聖書の歴史:神様の働きと言葉は聖書を越えることができるのか

信仰ステーションの兄弟姉妹:

皆さんこんにちは。つい最近、ある人が私に終わりの日の全能神の働きの証言をしてくれた上に、全能神の御言葉を記した『言葉は肉において現れる』という書籍もくれました。この本を読んだ後、私は全能神の御言葉には権威と御力があると感じたと同時に、『言葉は肉において現れる』に書かれた御言葉は聖霊によるものであると確信しています。しかし、私は、全能神の御言葉と働きが聖書の範囲を超えて存在している理由が全く理解できないのです。

ジェンシンより

聖書の歴史,神様の働きと言葉は聖書を越えることができるのか

ジェンシン姉妹

こんにちは。この疑問を明らかにするには、先ず初めに聖書がどのように制作され、構成されているかを理解しておく必要があります。聖書は旧約聖書と新約聖書を含みます。旧約聖書には神が天地を創造した働き、および律法の時代になされた働きが記録されており、これらはモーセと預言者たちによって記録されています。新約聖書には主イエス様がユダヤの地でなされた働きが記録されており、それは主イエス様が去った後、主の教えに綿密に従ったイエス様の弟子たちによって書かれています。最初、これらの書簡は様々な地に散在していましたが、主が去ってから300年以上経過した後、宗教会議の場で様々な国々の宗教指導者たちが散在していた全書簡の中から27通を選別し、それらを今日の新約聖書に編成したのです。すなわち、主イエス様が働きをしに来臨された時、新約聖書はまだ存在しておらず、新約聖書は主が去ってから300年以上経つまで制作されなかったということです。聖書は単に神が過去になされた働きの記録と証言を構成したものであり、それは神が過去になされた働きを記した歴史書なのです。

神の働きは原則に基づいており、聖書には制限されていません。むしろ、神御自身の御計画とその時の人々の必要性に基づいて実行されるので、聖書の範囲を完全に超えていきます。主イエス様は働きをしに地上に来られた時、旧約聖書の律法には従わず、むしろ主の働きは律法の範囲を完全に超え、主がなさった働きは全て旧約聖書の範囲を超える新しい働きだったのです。例えば、旧約聖書は人間が宮の中で神を礼拝することを命じましたが、主イエス様は宮の外で働きをなさり、心を使って誠実に神を礼拝するようにと人々に仰せられました。旧約聖書は人間が安息日には働かないことを命じていましたが、主イエス様は安息日に病人の世話をされました。旧約聖書は、罪を犯した人間は犠牲を捧げてのみ許されることを規則としていましたが、主イエス様は、主イエス様を救い主として信じさえすれば、人々は罪を許されると仰せられました。この全てが、主イエス様のなさった働きは旧約聖書に従ってなされた働きとは違い、その全てが旧約聖書の範囲を超える新たな働きであったことを示しています。神の働きが十年一日のごとく続くことは決してありません。神は常に新しい働きをなさり、神のなさる新しい働きの各段階は人間をより良い形で救うために行われます。

さらに、主イエス様は3年半に渡って働きをなされ、その間に仰せられた御言葉と宣べ伝えられた説教は数知れません。新約聖書の四つの福音書は主イエス様が仰せられた御言葉の限られた部分だけを記録してあり、それについてはヨハネもこう言いました。「イエスのなさったことは、このほかにまだ数多くある。もしいちいち書きつけるならば、世界もその書かれた文書を収めきれないであろうと思う。」(ヨハネによる福音書21:25) これは、主イエス様の御言葉と働きが本当に新約聖書には完全に収録されていないことを裏付けるため、「神の御言葉と働きは全て聖書に記述されており、神の御言葉と働きが聖書の範囲を超えて存在することなど決してあり得ない」という意見は事実に即していないのです。

聖書に次の預言があります。「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。 けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。」(ヨハネによる福音書16:12ー13)「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。」(ヨハネの黙示録2:7) 終わりの日の神はまだ働きをし、御言葉を表す必要があります。神は人々に備える真理をもっと表す必要があり、それが実現する前に自動的に聖書に記録されることは不可能です。終わりの日に、神は神が表す裁きの御言葉を通じて人間を救うために再臨されます、そして神を心から信仰する者たちは清められ、その後、神はその者たちを素晴らしい終着点へと導かれます。これはヨハネの黙示録にあるこの預言を成就します。「見よ、わたしは、すぐに来る。この書の預言の言葉を守る者は、さいわいである」(ヨハネの黙示録22:7)神がもし再臨なさる時に、私たちが思うように聖書の範囲を超える働きができないとしたら、神が仰せられるこれらの預言が成就して、預言通りに実現するはずがありません。

全能神はこう仰ります。「律法の時代の働きを見たければ、また、イスラエル人がどのようにヤーウェの道に従ったかを見たいのなら、旧約を読まなければいけない。恵みの時代の働きを理解したいのなら、新約を読まなければいけない。しかし、終わりの日の働きについては、どうすればいいのか。今日の神の導きを受け入れ今日の働きに入らなければいけない。これが新たな働きであり、誰も予め聖書に記録していないからだ。……今日の働きの道は人間がかつて歩んだことのないもので、誰も見たことのないものである。それはかつて誰もしたことのない働きであり、それは神が地上で行う最新の働きだ。だから、かつて行われたことのない働きは歴史ではない。今は今であり、まだ過去になっていないからである。人々は神が地上で、イスラエルの外で、より偉大で新しい働きをしたこと、それがすでにイスラエルの範囲を超え、預言者たちの預言を超え、これまでに預言されていない、新しい、驚くべき働き、イスラエルの外の新たな働き、人々が見も想像もできない働きであることを知らない。どうして聖書にこのような働きの具体的な記録が載っているだろう。誰が今日の働きの細部に至るまで漏らすことなく、事前に記録することができただろう。」この神の御言葉から、神の働きは常に新しく、決して古くなく、それは繰り返されないということが理解できます。各時代において、神は新たな段階の働きをなさりますが、当然この新たな働きは聖書に記録されていないので、私たちは聖書を使って神の働きを制限したり、調べることはできません。終わりの日に、神は裁きの言葉を表して人間を清める働きを行うためにもう一度受肉なされました。神の御言葉と働きはヨハネの黙示録に記された預言を成就しています。神を信仰し、神に従う私たちは、神を聖書の内容に制限してはなりません、なぜなら、神は真の生ける神であり、神がなさることは全て人間を清めて救うためになされるものだからです。人間を救う神の働きの目的を認識し、そして神の働きと御言葉は全て私たちが自分たちの堕落した性質を脱却し、自分たちの罪に課される束縛と制限から抜け出すためのものだと理解することができれば、私たちは神が表してくださる真理を受け入れるべきなのです、私たちは終わりの日に神がなさる裁きの働きを受け入れるべきなのです。神の本当の御旨を探求しないまま神の新たな働きに従わず、やみくもに聖書にこだわり、聖書に制限、かつ束縛されていたら、それは神の信仰をし損なう道を歩んでいるということにならないでしょうか?

私たちが受け入れられること、そして理解できることにも限界があります。私はこの交流が、終わりの日の全能神の働きを学ぶ上であなたのお役に立つことを願っています。何か理解できないことがありましたら、お気軽に返信ください。

信仰ステーションの兄弟姉妹

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