言葉を用いて人間との契約を立てる神

    (創世記9:11-13)「わたしがあなたがたと立てるこの契約により、すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は、再び起らないであろう」。さらに神は言われた、「これはわたしと、あなたがた及びあなたがたと共にいるすべての生き物との間に代々かぎりなく、わたしが立てる契約のしるしである。すなわち、わたしは雲の中に、にじを置

    人類の運命と万物の運命は創造主による統治と不可分である

    あなたがたは皆、成人である。あなたがたの中には、中年の者もいれば、高齢者もいる。未信者から信者となるまでの間、そして神への信仰を持ち始めてから神の言葉を受け入れ、神の業を体験するまでの間に、あなたがたには神による統治に関する認識がどの程度あったであろうか。人間の運命について、どのような識見を得たであろうか。人間は、生涯のなかで望みを全て叶えら

    人間の人生における6つの節目ー出生:第1の節目

    ある者が生まれた時、どのような家庭に生まれるか、性別、容姿、出生時期などが、人間の人生における第1の節目の内容である。 第1の節目のこうした部分に関して選択出来る者はいない。それらの部分は、創造主により遙か以前に定められたものである。こうした部分は外的環境の影響を一切受けず、創造主により予め定められたこれらの事実は、人的要因によって変わることが

    人間の人生における6つの節目-成長:第2の節目

    人間は、生まれた家庭により異なる様々な環境で育ち、自分の両親から様々な教えを受ける。これにより、ある者が成長して大人になるまでの条件が決定され、成長[b]は個人の人生における第2の重要な節目となる。この節目においても、人間には選択の余地が無いことは言うまでも無い。この節目もまた、事前に定められた既定のものである。 1.人間の成長時の条件は創造主により

    人間の人生における6つの節目-独立:第3の節目

    ある者が少年期と思春期を経過し、当然の結果として徐々に成熟した後の段階は、青年期と訣別し、両親を離れ、独立した個人として将来の道へと向かうことである。この時点において、人間は成人が直面しなければならない人々、出来事、物事、そして自分の運命の鎖の接合部のひとつひとつと直面する必要がある。これが、人間が経験しなければならない第3の節目である。 1.

    人間の人生における6つの節目-結婚:第4の節目

    ある者が成長して成熟すると、自分の両親や自分が生まれ育った環境から離れて行き、自分の両親とは異なる、自分の人生の方向性と人生の目標を追究するようになる。この時、その者は両親を必要としないが、一緒に生活出来る者、すなわちその者の運命が密接な関連性を持つ、配偶者を必要とする。このように、その者が独立してから最初に遭遇する主要な出来事は結婚であり、

    人間の人生における6つの節目-子孫:第5の節目

    結婚後、人間は次の世代の養育を開始する。どのような子どもが何人生まれるかについて、人間は干渉する余地が無く、それもまた、創造主が予め定めた、その者の運命により決定される。これが、人間が経験しなければならない第5の節目である。 一人の人間が子の役割を果たすために生まれた場合、その者は、別の子の親としての役割を果たすため、次の世代を養育する。こう

    物語:大いなる山、小川、強風、そして巨大な波

    曲がりくねった小川があり、その小川は大きな山の麓へと流れ込んでいた。この山は小川の流れを遮っていたので、小川は「私を通してください。私の進む道にあなたが立って先へ進むことが出来ません。」と、か弱い小声で山に頼んだ。すると、山は「どこへ行くのか」と尋ねた。小川は「自分の故郷を探しています」と答えた。山は「分かった。私を超えて流れてゆくがいい。」

    人間の人生における6つの節目-死:第6の節目

    慌ただしい日々と、挫折と失望、歓喜と悲哀、幸運と不運、忘れられない年月など、無数の出来事を経験し、巡る季節のなかで何の前兆もなく様々な人生の重要な節目を瞬く間に過ごした末、人間は衰退期に入る。過ごした年月は身体全体に刻み込まれている。もはや真っ直ぐ立つことは出来ず、濃色の頭髪は白くなり、明るく澄んだ眼は暗く曇り、滑らかで柔らかい肌はシミとシワ

    神様が人類の運命を支配されている事実をどうのように認識し、扱うのか

    神が人間の運命を統治しているという事実は、誰にも変えることが出来ない ここまでの話を聞いて、あなたがたの運命に対する考え方は変わったであろうか。神による人間の運命の統治を、あなたがたはどのように理解しているであろうか。簡潔に言うと、神の権威の下では、全ての者が能動的あるいは受動的に神の統治と計画を受け入れるので、人生においてどれほどもがいたと

    物語:種、土、木、日光、鳴き鳥、そして人間

    一粒の種が、土に落ちた。大雨が降った後、種は柔らかい芽を出し、根はゆっくりと種の下にある土の中に入っていった。やがて、激しい雨風に負けず、変わる季節の中で、月の満ち欠けとともに、その芽は伸びていった。夏には、芽が激しい暑さに耐えられるように土が水を与えた。その芽は、土のおかげで暑さを感じなかったので、夏の暑さの中で生き延びた。冬になると、土は

    神はソドムを滅ぼさなければならなかった

    (創世記18:26)ヤーウェは言われた、「もしソドムで町の中に五十人の正しい者があったら、その人々のためにその所をすべてゆるそう」。 (創世記18:29)アブラハムはまた重ねて神に言った、「もしそこに四十人いたら」。神は言われた、「それをしないであろう」。 (創世記18:30)アブラハムは言った、「もしそこに三十人いたら」。神は言われた、「

    ソドムの腐敗:人間にとっても、神にとっても、激怒に値する

    まず、「神のソドム破壊」に関する聖句を数か所検討する。 (創世記19:1−11)そのふたりのみ使は夕暮にソドムに着いた。そのときロトはソドムの門にすわっていた。ロトは彼らを見て、立って迎え、地に伏して、言った、「わが主よ、どうぞしもべの家に立寄って足を洗い、お泊まりください。そして朝早く起きてお立ちください」。彼らは言った、「いや、われわれは広場で

    ソドムは神の怒りを示すために滅ぼされた

    ソドムの人々が2人の使いに会った時、ソドムの人々は来訪の目的を尋ねることも、神の心を広めるために来たのかどうかを尋ねることも無かった。それとは反対に、人々は徒党を組み、あたかも野良犬か狼であるかのように、物も言わせず2人の使いを捉えようとした。神はこの出来事を見ていたであろうか。このような人間の行いを見た神は、どのように感じたであろうか。神は、

    神が世界を洪水で滅ぼそうと考え、ノアに箱舟を作るように命じる

    (創世記6:9-14)ノアの系図は次のとおりである。ノアはその時代の人々の中で正しく、かつ全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。ノアはセム、ハム、ヤペテの三人の子を生んだ。時に世は神の前に乱れて、暴虐が地に満ちた。神が地を見られると、それは乱れていた。すべての人が地の上でその道を乱したからである。そこで神はノアに言われた、「わたしは、すべての人を絶

    神が洪水後にノアに与えた祝福

    (創世記9:1-6)神はノアとその子らとを祝福して彼らに言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ。地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、海のすべての魚は恐れおののいて、あなたがたの支配に服し、すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。さきに青草をあなたがたに与えたように、わたしはこれらのものを皆あなたがたに与える。しかし肉

    神と人間との契約のしるしとして虹を作る

    (創世記9:11-13)「わたしがあなたがたと立てるこの契約により、すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は、再び起らないであろう」。さらに神は言われた、「これはわたしと、あなたがた及びあなたがたと共にいるすべての生き物との間に代々かぎりなく、わたしが立てる契約のしるしである。すなわち、わたしは雲の中に、にじを置

    神はアブラハムにイサクを捧げるように命じた

    アブラハムに息子が与えられ、神がアブラハムに与えた言葉は成就した。これはここで神の計画が停止したという意味ではない。むしろ神の壮大な人間の経営(救いの)計画はこの時点で始まったばかりであり、アブラハムが息子を授かった祝福は神の全経営計画からするとまだ序章といったところである。アブラハムがイサクを捧げた時に神とサタンとの戦いが静かに始まっていた

    神がアブラハムに息子を与える約束をする

    1.神がアブラハムに息子を与える約束をする (創世記17:15-17)神はまたアブラハムに言われた、「あなたの妻サライは、もはや名をサライといわず、名をサラと言いなさい。わたしは彼女を祝福し、また彼女によって、あなたにひとりの男の子を授けよう。わたしは彼女を祝福し、彼女を国々の民の母としよう。彼女から、もろもろの民の王たちが出るであろう」。アブ

    神のアブラハムへの約束

    神のアブラハムへの約束 (創世記:22:16-18)ヤーウェは言われた、「わたしは自分をさして誓う。あなたがこの事をし、あなたの子、あなたのひとり子をも惜しまなかったので、わたしは大いにあなたを祝福し、大いにあなたの子孫をふやして、天の星のように、浜べの砂のようにする。あなたの子孫は敵の門を打ち取り、また地のもろもろの国民はあなたの子孫によっ

    ソドムによる神への反抗と敵対の繰り返しの後、神はソドムを完膚なきまでに根絶した

    神の義なる性質に関する概要を理解した後、神が罪の町とみなしたソドムについて再検討することとする。ソドムの町の実態を理解することで、神がこの町を破壊される必要があった理由、そして神がそこまで完全に破壊した理由を理解することができる。そうした理解より神の義なる性質を知ることができる。 人間の立場から見ると、ソドムは人間の欲望と邪悪さを完全に満足

    神の怒りは、人間にとって隠された未知のものだが、神の性質に反することを決して容赦しない

    愚かで無知な人間全てに対する神の処分は、主として憐れみと寛容さに基づいている。その一方、神の怒りは、ほぼ全ての場合、時間や物に隠れていて、人間に知られることは無い。その結果、神が怒りを示していることや、神の怒りそのものを人間が理解することは困難である。したがって、人間は神の怒りを軽視する。人間に忍耐し人間を赦す神の最終的な業と段階に人間が直面

    神の怒りは、あらゆる正義の力と肯定的な物事を守る

    これらの神の言葉と考え、業を理解することで、あなたは、何者も背くことの出来ない、神の義なる性質を理解できるであろうか。人間がどの程度理解できるかを問わず、結局のところ、これは、神のみが持つ性質の一側面である。反抗に対する神の寛容さの不在は神のみが持つ本質であり、神の怒りは神特有の性質であり、神の威厳は神のみの独占的本質である。神の怒りの根底と

    ニネベに届いたヤーウェ神の警告

    (ヨナ書1:1-2)ヤーウェの言葉がアミッタイの子ヨナに臨んで言った、「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって呼ばわれ。彼らの悪がわたしの前に上ってきたからである」。 (ヨナ書3章)時にヤーウェの言葉は再びヨナに臨んで言った、「立って、あの大きな町ニネベに行き、あなたに命じる言葉をこれに伝えよ」。そこでヨナはヤーウェの言葉に従い、立って、

    神と聖書によるヨブの評価

    (ヨブ記1:1)ウヅの地にヨブという名の人があった。そのひととなりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかった。 (ヨブ記1:5)そのふるまいの日がひとめぐり終るごとに、ヨブは彼らを呼び寄せて聖別し、朝早く起きて、彼らすべての数にしたがって燔祭をささげた。これはヨブが「わたしのむすこたちは、ことによったら罪を犯し、その心に神をのろったかもし

    神は、ニネベの人々の心の底からの真摯な悔い改めを確認した

    ヤーウェ神の警告に対するニネベとソドムの反応の明らかな相違点 滅びる、とは何を意味するであろうか。言葉通りに解釈すれば、消滅するということである。しかし、どのようにして消滅するであろうか。一体誰が町全体を滅びさせることができようか。当然、そのようなことは人間には不可能である。ニネベの人々は愚かではなかったので、この宣告を聞いてすぐに、その旨

    サタンがヨブを初めて誘惑する(ヨブの家畜が盗まれ、ヨブの子供たちに災いが降りかかる)

      a.神が語った言葉 (ヨブ記1:8)ヤーウェはサタンに言われた、「あなたはわたしのしもべヨブのように全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかる者の世にないことを気づいたか」。 (ヨブ記1:12)ヤーウェはサタンに言われた、「見よ、彼のすべての所有物をあなたの手にまかせる。ただ彼の身に手をつけてはならない」。サタンはヤーウェの前から出て行った

    神への信仰が真実であれば、頻繁に神の労りを与えられる

    ニネベの人々に対する神の心の変化には、躊躇や曖昧さが一切含まれていなかった。むしろ、その変化は純粋な怒りから、純粋な寛容さへの変化であった。これが神の本質の真の明示である。神は、業に関して優柔不断であることや躊躇することが決して無い。神の業の根底にある原理と目的はすべて明白かつ明瞭であり、純粋で完璧であり、その中に策略や陰謀は一切潜んでいない

    サタンがもう一度ヨブを攻撃する(ヨブが皮膚病にかかる)

    a.神が語った言葉 (ヨブ記2:3)ヤーウェはサタンに言われた、「あなたは、わたしのしもべヨブのように全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかる者の世にないことを気づいたか。あなたは、わたしを勧めて、ゆえなく彼を滅ぼそうとしたが、彼はなお堅く保って、おのれを全うした」。 (ヨブ記2:6)ヤーウェはサタンに言われた、「見よ、彼はあなたの手にある。

    創造主の義なる性質は現実であり、生きている

    希なのは、神の憐れみと寛容さでなく、人間の真の悔い改めである 神のニネベの人々に対する怒りの程度を問わず、ニネベの人々が断食を宣言して粗布と灰を身に付けるとすぐに、神の心は次第に軟化し、神の心が変化を始めた。神がニネベを破壊すると宣言した時、ニネベの人々による罪の告白と悔い改めの前の時点で、神は依然として怒っていた。ニネベの人々が一連の悔い改

    人々のヨブに対する多くの誤解

    ヨブの試練は神の使いによってもたらされたものでもなければ、神自身の手によるものでもなかった。それは、神の敵であるサタンが直接もたらしたものである。その結果として、ヨブは大きな苦しみを経験したのである。それでもヨブは神に対する日々の認識、行動の原則、そして神に対する姿勢を余すところなく表した。これは事実である。ヨブが誘惑に遭わなかったならば、神

    ヨブはサタンを退け、神の目にあって真の人となる

    わたしはしばしば、神は人の内側を見るが、人間は人の外側を見ると言う。神は人の内側を見るので、人の本質を理解するが、人間は人の外側からその人の内側を判断する。ヨブが口を開いて自分の生まれた日を呪った時、ヨブの3人の友人を含めて多くの霊的な人達は非常に驚いた。人は神から来たのだから、神から授かったその命と肉体、そして生まれた日を感謝すべきであり、

    人類に対する創造主の真摯な思い入れ

    人々は、神を知ることは簡単ではない、と言うことが多々ある。しかし、わたしは、神を知ることが困難なことは全く無い、と述べている。なぜなら、神は人間が業を目にすることを頻繁に許しているからである。現在に至るまで、神が人間との対話を辞めたことは無い。神が人間から隠れ去ったことも無く、自らが隠れたことも無い。神の心、神の言葉、神の業は、全て人間に対し

    人類に対する創造主の真の思い

    この聖句のヤーウェ神とヨナの対話は、創造主の真の思い入れを表出するものであることに異論は無い。この対話は一方では、神の支配下にある創造物全体に対する創造主の認識を人々に伝えるものであり、それはヤーウェ神が、「ましてわたしは十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベ…」とある通りである。つまり、ニネベに関す

    人の子は安息日の主である

    1.そのころ、ある安息日に、イエスは麦畑の中を通られた。すると弟子たちは、空腹であったので、穂を摘んで食べはじめた。(マタイによる福音書12:1) 2.「あなたがたに言っておく。宮よりも大いなる者がここにいる。『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か知っていたなら、あなたがたは罪のない者をとがめなかったであろ

    ヨブについて(1)

    ヨブの経験した試練を学んできたわけだが、あなた方の大半はヨブ自身についてもっと知りたくなっただろう。特に、神から称賛される秘訣は何であるかを知りたいだろう。ではこれからヨブについての話をしよう。 ヨブの日々の生活に完全さ、正しさ、神への畏れ、悪を避ける生き方を見ることができる ヨブについて語ろうとするならば、「ヨブのように全く、かつ正しく、神

    ヨブについて(2)

    ヨブの理性 ヨブが積んできた経験と彼の正しさ、正直さは、彼が財産と子ども達を失った時にもっとも理性的な判断を下し、最も理性的な選択をしたことを意味する。ヨブのそのような理性的な選択ができたことは、彼が日々追い求めていたものと、神が日々自分にどのような業をなしたかを知ったことと切り離すことができない。ヨブはその正直さ故に、全てのものはヤーウェに

    イエスによるパリサイ人に対する戒め

    1.パリサイ人によるイエスの審判 身内の者たちはこの事を聞いて、イエスを取押えに出てきた。気が狂ったと思ったからである。また、エルサレムから下ってきた律法学者たちも、「彼はベルゼブルにとりつかれている」と言い、「悪霊どものかしらによって、悪霊どもを追い出しているのだ」とも言った。(マルコによる福音書3:21-22節) 2.イエスによるパリサイ

    神がヨブをサタンに渡したことは神の業の目的とどう関連するか

    大半の人々がヨブは完全で正しい人で、神を畏れ悪を避けたと知っているが、だからと言って神の意図をより深く理解できる訳ではない。人々はヨブの人間性とヨブが追い求めた姿勢を羨む一方で、次のような疑問を持つ。「ヨブは完全で正しく、人々にそれほど愛されたのなら、何故神はヨブをサタンの手に渡し、そのような苦しみを経験させたのだろうか」そのような疑問を大勢

    イエスによる奇跡

    1)五千人に食事を与えるイエス 弟子のひとり、シモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った、「ここに、大麦のパン五つと、さかな二ひきとを持っている子供がいます。しかし、こんなに大ぜいの人では、それが何になりましょう」。イエスは「人々をすわらせなさい」と言われた。その場所には草が多かった。そこにすわった男の数は五千人ほどであった。そこで、イエス

    ヨブの証によって、後の世代に警告と啓きが与えられる

    神がある人を完全に自身のものとする過程を理解すると、神がヨブをサタンに渡したことの目的と意味も理解するようになる。ヨブの苦しみが理解できずに悩むことがなくなり、新たな意味を見出すのである。自分達も同じ誘惑に遭わなければならないのだろうかと心配することはなくなり、神からの試みを拒絶しなくなるのである。ヨブの信仰、従順、サタンに勝利したことの証し

    神が人類のために造った基本的な生活環境-気流

    5番目の物事は何であろうか。5番目の物事は、各人に深く関係している物事であり、それ無しでは、この物質世界で人体が生きて行けない物事でもある。それは気流である。「気流」とは、おそらくあらゆる者が理解する言葉であろう。気流とは何であろうか。あなたがた自身の言葉で説明して欲しい。(気流は空気の流れである。)そのようにも説明できるであろう。空気の流れを「

    神が人類のために造った基本的な生活環境-音

    3番目の物事は、音である。音もまた、人間の通常の生活環境に備わっていることが必要とされるものである。音は、神が万物を造った時に出現した。その時、神は音を極めて周到に造った。それは、神にとって、そして人間の生存にとっても、極めて重要なものである。神が音の問題を周到に扱わなかったとしたら、人間の生存に対する大きな障壁となっていたことであろう。そう

    山上での説教・主イエスの喩え・戒律

    1.山上での説教 1)八福の教え(マタイによる福音書 5:3-12) 2)塩と光(マタイによる福音書 5:13-16) 3)律法(マタイによる福音書 5:17-20) 4)怒り(マタイによる福音書 5:21-26) 5)姦淫(マタイによる福音書 5:27-30) 6)夫婦の離縁(マタイによる福音書 5:31-32) 7)誓い(マタイによる福音書 5:33-37) 8

    神が人類のために造った基本的な生活環境-気温

    2番目の物事は、気温である。気温が何かは誰でも知っている。気温は、人間の生存に適した環境に備わっていることが必要とされるものである。摂氏40度を超える場合など気温が高すぎる場合、人間の生活は極めて過酷なものとなる。そうした気温は、極めて体力を消耗させるものではなかろうか。摂氏零下40度を超える場合など気温が低すぎる場合はどうであろうか。それもまた人

    迷える羊の喩え

    迷える羊の喩え 「あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。そのように、これらの小さい者のひとりが滅びることは、天にい

    神が隠されていてもヨブの信仰は揺るがない

    ヨブは神のことを聞いて知っていた (ヨブ記9:11)「見よ、彼がわたしのかたわらを通られても、わたしは彼を見ない。彼は進み行かれるが、わたしは彼を認めない。」 (ヨブ記23:8-9)「見よ、わたしが進んでも、彼を見ない。退いても、彼を認めることができない。左の方に尋ねても、会うことができない。右の方に向かっても、見ることができない。」 (ヨ

    神が人類のために造った基本的な生活環境-空気

    まず、神は人間が呼吸できるように、空気を造った。この「空気」は、人間が日常生活において常に接している空気ではないのか。この空気は、就寝中も含めて、常時人間が依存している物ではないだろうか。神が造った空気は、人間にとって計り知れないほど重要なものである。空気は人間が呼吸するとき毎回必要不可欠であり、命そのものに不可欠な物である。感じることの

    神が人類のために造った基本的な生活環境-光

    4番目の物事は、人間の目に関する事柄、すなわち光である。光は極めて重要である。あなたがたが眩しい光を見た時、そしてその光がある程度の光度に達した場合、あなたがたは盲目になる。つまるところ、人間の目は、肉の目である。肉にある目は損傷に耐えられない。太陽の光を敢えて直視する者が居るだろうか。(居ない。) 直視してみたことのある者は居るだろうか。試しに

    人間生存のために神が作った最も基本的条件から、神が人類に与えるものが分かります

    人間の生存のためのこれら五つの基本的条件を神が取り扱った方法から、神が人類に与えるものが分かりますか。(はい。)つまり、神は人間生存のための最も基本的条件を作ったのです。同時に、神はこれらを管理し、制御し、人間が存在するようになって数千年を経た今も、依然として継続的に人間の生活環境を変化させ、人類にとって最善かつ最適な生活環境を与え、人間の生

    神は人間のために用意した様々な植物性の食料

    ここまでは、全体的な環境、すなわち神が世界を創造した後に人間のために用意した、人間の生存に必要とされる条件について話をした。5つの物事について話をしたが、この5つの物事が、全体的な環境である。次に話す内容は、肉にある人間全員の生活と密接に関連する事柄である。それは、肉にある人間の生活に一層よく当てはまり、則した必要条件である。それは、食料である

    神が人類のために備えられた肉類、水源、薬草

    穀物や果物、野菜、様々なナッツ類などは、すべて植物性の食料である。それらは植物性の食料であるものの、人体の必要性を十分に満たすだけの栄養素が含まれている。しかし、神は「これだけ人間に与えれば十分であろう。人間はこれだけ食べていればよい。」などとは言われなかった。神はそうした食料に留まらず、人間にとって一層美味しい食料を用意した。その食料とは何

    神は様々な地理環境の境界を定めました

    本日は、こうした神が人間と万物に与えた律法により、どのようにして人類が育まれているかについて話をする。それでは、この主題はどのようなものであろうか。この主題は、こうした神が万物に対して与えた律法が、どのようにして人間を育んでいるか、ということである。これは極めて大きな主題なので、いくつかの部分に分け、それらの各部分をあなたがたに分かりやすく説

    ヨブは神の名を称え、祝福を受けるか災いに遭うかは考慮しない

    聖書の中のヨブの物語では語られていない事実がひとつある。それが今日のテーマである。ヨブは神を見たこともなければ自分の耳で神の言葉を聞いたこともないが、ヨブの心には神の居場所があった。ヨブの神に対する態度はどのようなものであったのだろうか。先ほど読んだように、「ヤーウェのみ名はほむべきかな」というものであった。ヨブは神の名を無条件に、無制限に、

    七の七十倍赦すこと 主の愛

    1.七の七十倍赦すこと そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。」(マタイによる福音書18:21-22) 2.主の愛 イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし

    霊的世界とは何であろうか

    それでは、霊的世界について話をしよう。霊的世界とは何であろうか。わたしが簡潔に説明する。霊的世界とは、物質世界とは異なる重要な場所である。それでは、わたしがそれを重要であると言う理由は何であろうか。これについて詳細に話をする。霊的世界の存在は、人間の物質世界と不可分の関連性がある。霊的世界は、神による万物の統治のうち人間の生死の周期において重

    ヨブがその生き方で生み出した価値

    試練の後のヨブ (ヨブ記42:7-9)ヤーウェはこれらの言葉をヨブに語られて後、テマンびとエリパズに言われた、「わたしの怒りはあなたとあなたのふたりの友に向かって燃える。あなたがたが、わたしのしもべヨブのように正しい事をわたしについて述べなかったからである。それで今、あなたがたは雄牛七頭、雄羊七頭を取って、わたしのしもべヨブの所へ行き、あなた

    神の権威により、第一の日に人類の昼と夜が生まれ、確立した

    それでは、最初の聖句を検討する。「神は『光あれ』と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。」(創世記1:3-5)この聖句では、創世における神の最初の行動が描写されており、神の過ごした最初の日と、その日に昼と夜があっ

    第二の日、神は権威により水と天、そして人間が生活する上で最も基本的な空間を造った

    次に、2番目の聖句を検討する。「神はまた言われた、『水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ』。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。そのようになった。」(創世記1:6-7)神が「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」と述べた後、どのような変化が起きたであろうか。聖句には、「神はおおぞらを造って、おおぞらの下

    第三の日、神の言葉により地と海が生まれ、神の権威により、世界が生物で満たされた

    次に、創世記1:9~11の最初の節を検討する。「神はまた言われた、『天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ』。」神が「天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ」という短い言葉を述べた後、どのような変化が生じたであろうか。また光と天以外に、この空間に何が存在したであろうか。聖句には、「神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と

    神の権威により、第四の日に人類の季節、日、年が造られた

    創造主は、最初の3日間、言葉により神の計画を実現しながら過ごした。この3日間において、神は多忙にしている様子も、疲弊している様子も無く、逆に神はこの3日間を満喫し、世界の劇的な変化を実現していた。神の前には全く新しい世界があり、神の心に秘められていた美しいイメージは、遂に神の言葉となって明らかとなった。新たな物の出現はいずれも、赤ん坊の生誕のよう

    復活後にパンを食べ、聖句を説明するイエス

    一緒に食卓につかれたとき、パンを取り、祝福してさき、彼らに渡しておられるうちに、彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった。すると、み姿が見えなくなった。彼らは互に言った、「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか」。(ルカによる福音書 24:30-32) こう話していると、イエスが彼

    復活後のイエスによる弟子達に対する言葉

    八日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。トマスはイエスに答えて言

    第五の日、様々な生物の命により、創造主の権威が様々な形で示された

    聖句には、「神はまた言われた、『水は生き物の群れで満ち、鳥は地の上、天のおおぞらを飛べ』。神は海の大いなる獣と、水に群がるすべての動く生き物とを、種類にしたがって創造し、また翼のあるすべての鳥を、種類にしたがって創造された。神は見て、良しとされた。」(創世記1:20-21)とある。聖句では、神がこの日に水の中の生物や空の鳥、つまり様々な魚や鳥を創造し

    ラザロの復活が神を褒めたたえる

    こう言いながら、大声で「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばわれた。すると、死人は手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれたまま、出てきた。イエスは人々に言われた、「彼をほどいてやって、帰らせなさい」。(ヨハネによる福音書11:43-44) あなたがたは、この聖句を読んで、どのような感想を持つであろうか。主イエスが行ったこの奇跡の意味は、この前に検討した奇跡よ

    第六の日、創造主が言葉を述べると、神の心にあった生物すべてが次々と現れた

    気付かれることなく創造主の万物創造の業は5日間にわたって続き、創造主による万物創造の業は、6日目に入った。この日もまた新たな始まりの日であり、特別な日であった。それでは、6日目前夜における創造主の計画は、どのようなものであったのだろうか。神は、どのような生物を造る予定であったのだろうか。神の言葉は次の通りであった。 「神はまた言われた、『地は生

    創造主の権威のもとでは、万物が完璧である

    鳥や魚、木や花、神により造られた物は、移動する物と移動しない物を含め、第六の日に造った家畜や昆虫や、野生動物を含め、すべて神にとって良いものであり、また神から見て、神の計画によれば完璧に達しており、神が望む基準を満たしていた。創造主は、自身の計画に従って自身が意図した業を、段階的に実施していった。神が造り出すことを意図していた物が次々と生まれ

    アダムへの神の命令

    (創世記2:15-17)ヤーウェ神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。ヤーウェ神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。 この箇所からあなたがたは何かを学んだだろうか。この箇所をあ

    神は動物の毛皮を使ってアダムとエバのために着る物を作られる

    (創世記3:20-21)さて、人はその妻の名をエバと名づけた。彼女がすべて生きた者の母だからである。ヤーウェ神は人とその妻とのために皮の着物を造って、彼らに着せられた。 ではこの3番目の箇所を見ていこう。ここではアダムがエバに与えた名前には意味があるということが語られている。この箇所は、創造された後アダムが自分の考えを持ち、たくさんのことを理解していた