聖書の中の災いの前に携挙されるとは何を指しているでしょうか

    2019年 09月 12日

    信仰ステーションの兄弟姉妹:

    私たちはいま終わりの日の最終段階にいますが、あらゆる種類の災害がますます大規模になっているという報道を目にしました。災いの前に自分が携挙されるかどうか、災いの前に自分が勝利者にされるかどうかは、私にとって鍵を握る問題です。何があろうとも主の御名を守り、主のために一生懸命働き、いかなる艱難に遭っても後戻りしない限り私たちは勝利者になれるというのが、これら二つの問題に対する私の意見です。そうすれば災いが訪れたとき、私たちは空中に引き上げられて主にお会いし、主のお約束を享受できるのです。しかし中には私の意見に疑問を投げかける人がいて、あんなことやこんなことをいまや成し遂げた人がいるとか、さらには、災いは大規模になりつつあって多種多様な災害がすでに降りかかっているけれど、いまだに誰一人として空中に携挙されるのを目撃されていない、などと言っています。携挙されるというのは、本当に空中へと携挙されることを意味しているのでしょうか。それに勝利者にされるというのは、これらのことを成し遂げるだけでいいほど単純なものなのでしょうか。私にはそれがまったくわからず、あなたの意見を伺いたいと思います。お返事お待ちしています。

    ショウギョウ

    聖書の中の災いの前に携挙されるとは何を指しているでしょうか

    ショウギョウ姉妹:

    自分が完全には理解していない問題について追求したり話し合ったりできることは、神様の御心にかなっています。主に感謝いたします。

    災いの前に携挙されるかどうか、災いの前に勝利者にされるかどうかは、私たちが天国に入れるかどうかに直接関係しています。しかし、最後に勝利者につくられ、天国へ携挙されることを望むなら、まずは携挙されることが一体どういうことなのか、勝利者につくられるとはどういうことなのかを理解しなくてはなりません。それを話し合うため、この二つの問題を以下のように分けました。神様が私たちを導いてくださいますように。

    1.「災いの前に携挙される」ことは何を意味するのか

    災いの前に携挙されることが何を意味するのかを理解したければ、まずは携挙されることが何を意味するのかを知らなければなりません。携挙されるというのは、主がお戻りになるとき、私たちを空中に引き上げて主に会わせてくださることだと考える人がいます。それは(テサロニケ人への第一の手紙第4章17節)でパウロがこう述べたからです。「それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう」しかしこれは主が意図なされたことでしょうか。この言葉はパウロ自身が言ったに過ぎず、主イエスがそうおっしゃったのでもなければ、聖霊がそのような証しをしたわけでもないので、主の意図を表わしていることはありえません。私たち全員が知っているとおり、はじめに神様は土を使って地上に人類をお作りになり、ご自身が地上にお作りになったすべてのものを管理させるとともに、ご自身を崇拝して讃えるようお命じになりました。さらに神様ははるか昔、自分は地上に神の国を築いて人間とともに地上にとどまり、世の国々はすべてキリストによって統治される国になるとはっきり告げられました。それは黙示録で次のように預言されているとおりです。「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして…」(ヨハネの黙示録21:3)「この世の国は、われらの主とそのキリストとの国となった。主は世々限りなく支配なさるであろう」(ヨハネの黙示録11:15)したがって主はお戻りになるとき、人々を空中に引き上げて主に会わせてくださるのではなく、地上に御国をお築きになるのです。神様が私たちに用意してくださった終着点は地上にあるからです。さらに、もし私たちが空中に引き上げられたとしても、そこで生き延びることはできないはずです。ゆえに、携挙されるとは天に携挙されることだという考えは、真理とも神様の働きの事実とも合致していません。それは私たちの観念と想像の産物に過ぎず、行きすぎた願望なのです。

    では、携挙されるとは何を意味するのでしょうか。ここで神様の御言葉の一節を読みましょう。そうすれば理解できます。それは次の一節です。「引き上げられる」とは、人々が想像するように、低いところから高いところに連れて行かれることではない。これは大きな間違いである。「引き上げられる」とは、わたしの予定と選びを指しているのだ。それはわたしが予め定め、選んだすべての人々を対象としている。長子、子ら、または民の地位を得た者は皆、引き上げられた人々である。これは人々の観念と最も相容れないものである。将来わたしの家を分かち合う者は、わたしの前に引き上げられる人々である。これは絶対に真実であり、決して変わらず、誰も反論することはできない。これはサタンに対する反撃である。わたしが予め定めた者は、誰でもわたしの前に携挙されるだろう。」

    この一節から、引き上げられるとは低い場所から高い場所へと引き上げられることを意味するのではなく、むしろ神様によって予め定められ、選ばれた人を指していることがはっきりとわかります。予め定められるとは、時代に先立ち救いを獲得するよう神様によって予定された人を指し、選ばれるとは、神様の足跡に従い、神様の御前に出てその新しい働きを受け入れられるよう予定されている人を指しています。それが引き上げられることの意味です。私たちがよく知っているとおり、律法の時代の末期、主イエスは新段階の働きをなさるべく来られました。当時、ペテロ、ヨハネ、マタイ、ヤコブなどはみな主イエスの宣べ伝える説教を聞いたので、律法を捨てて主に従い、かくして神様の御前に引き上げられました。同じく主イエスは、自分は終わりの日に戻り、人間のあいだに来て彼らを救うべく言葉を話し働きを行なうとおっしゃいました。それは主イエスがこうおっしゃったとおりです。「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう」(ヨハネによる福音書16:12~13)「さばきが神の家から始められる時がきた。」(ペテロの第一の手紙4:17)「わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう」(ヨハネによる福音書12:48)「また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた」(ヨハネの黙示録20:12)以上の御言葉から、主イエスは終わりの日にお戻りになるとき、私たちにおっしゃるべきことがまだたくさんあり、ご自身の御言葉を表現して裁きの働きをなさることがはっきりわかります。私たちは神様による終わりの日の裁きの働きを受け入れることでのみ、本当に神様の御前へと携挙されることができるのです。

    したがって、その言葉が暗示するとおり、災いの前に携挙されるとは、大いなる災いの前に神様が人の姿をとって再びこの世界へ来られ、行なうべき働きをなさること、そしてそのときに主のお戻りを喜んでお迎えすることでのみ、私たちは災いの前に携挙されるということを意味しています。
    ここまで、災いの前に携挙されることが何を意味するのかを話し合いました。次は災いの前に勝利者にされることが何を意味するのかを話し合いましょう。

    2.「災いの前に勝利者にされる」とは何を意味するのか

    災いの前に勝利者にされることが何を意味するのかを理解する前に、まずは勝利者とは何かを理解する必要があります。それは文字どおり、勝利する人たちの集団です。神様を信じる人全員が知っているとおり、サタンは神様の敵であり、ゆえに私たちは勝利しなければなりませんが、そのことは間違いなく、私たちがサタンに勝利しなければならないことを意味しています。したがって、勝利者とはサタンに勝利する人たちの集団を指しています。しかしサタンに勝利するとは何を意味するのでしょうか。私たちの祖先アダムとエバがサタンに誘惑されて以来、人類はずっと罪の中で生き、傲慢、うぬぼれ、利己心、卑劣、不正、欺瞞といったありとあらゆる堕落した性質で満たされてきました。私たち一人ひとりは残らずそれらに束縛され、そのような害毒に頼って生きていると言えます。したがって、サタンに勝利するとはサタンの束縛や足かせを振り払い、私たちをむしばむサタン的な害毒を完全に取り除き、もはやそれらによって生きることがなく、その代わりに神様の御言葉を聞いてそれによって生きることができるという意味です。そのようにして私たちは勝利者と呼ばれることができ、私たちの罪が真に清められるとともに、光の中で生きて神様のお恵みにふさわしくなれるのです。それは黙示録に記されているとおりです。「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである」(ヨハネの黙示録7:14)「いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである」(ヨハネの黙示録22:14)「勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない」(ヨハネの黙示録3:12)「勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐであろう。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる」(ヨハネの黙示録21:7)「彼らは、女にふれたことのない者である。彼らは、純潔な者である。そして、小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。彼らは、神と小羊とにささげられる初穂として、人間の中からあがなわれた者である。彼らの口には偽りがなく、彼らは傷のない者であった」(ヨハネの黙示録14:4~5)また神様の御言葉は次のように述べられています。「災害の前に完全にされる者たちは神に従順である。彼らはキリストに拠り頼んで生活し、キリストを証しし、キリストを崇める。彼らは勝利した男児たちであり、キリストの良き兵士たちである。」

    これらの御言葉から、勝利者とは大いなる艱難を乗り越える人だということがわかります。そのような人たちは神様の御言葉の裁きを経験し、自分の堕落した性質がすっかり清められ、神様への服従という現実を自分のものにしており、神様の国に入って神様のお約束を享受します。言い換えると、勝利者になることは主への信仰において苦しんだり、代償を払ったり、主の御名を守ったりできることでも、艱難が生じたときに後戻りしないことでもありません。そうではなく、神様による終わりの日の裁きの働きを受け入れ、自分の罪を清めていただくことを意味しているのです。しかし私たちの現在の汚れと堕落のうち、どのくらいが清められたでしょう。私たちはいまだに傲慢、うぬぼれ、利己心、卑劣、不正、欺瞞といった、自分の堕落した性質をまったく取り除いていません。神様が祝福してくださるときは神様に服従できますが、好ましくないことが起きると思わず神様を責めかねません。自分よりも見事に説教を行なえる人を見ると、その人に対する嫉妬と憎悪が自分の中に生じます。自分の利益に関する出来事があると、不正に走り正直でなくなることがあります。これらはいくつかの例に過ぎません。したがって、災いの前に携挙され、勝利者にされることを望むなら、災いが訪れる前に神様による終わりの日の働きを受け入れ、神様の御言葉の裁きと刑罰を経験し、サタンの堕落した性質を残らず振り払い、神様の御言葉によって生き、キリストを讃え、万事においてキリストの証しをし、神様に従い神様を崇拝しなければなりません。そうして初めて、神様によって勝利者にされたと考えられるとともに、神様のお約束を受け継いで神様の国に入る資格を得るのです。

    ショウギョウ姉妹、「災いの前に携挙される」「災いの前に勝利者にされる」とはどういう意味かについて、私たちの理解と認識は限られていますし、このようなお話ししかできませんが、あなたのお役に立ったなら何よりです。他に理解できないことがあったり、別の問題を抱えたりしたときはお知らせください。また一緒に探求して話し合いましょう。

    信仰ステーション

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