人を識別するとは何か、人を裁くとは何か

    2019年 02月 01日

    信仰ステーションの兄弟姉妹の皆さんへ:

    私は昨日、教会の仲間に偶然会いました。彼女は私が知らなかった聖書の奥義をたくさん語ってくれたので、私は彼女の話しから多くを学びました。しかし、彼女が牧師と長老たちの行動と行為を暴露して、彼らが現代のパリサイ人だと言った時、私はそれに賛成できませんでした。私は彼女が牧師と長老たちを裁いていると思いました。それは主の非難を受ける行動であり、なぜなら主イエス様は、「人をさばくな。自分がさばかれないためである。」(マタイによる福音書7章1節) 、と仰せられているからです。しかし、それは彼らを裁いているのではなく、識別しているのだと彼女は言いました。彼女は、「にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。」(マタイによる福音書7章15節)、という主イエス様の御言葉を参考にして、主は私たちが識別することを学ぶよう望んでおられるがために、「にせ預言者を警戒せよ」と仰せられているのだと言った上に、私たちは普段、他人の外見を見るだけで、その人たちの本質を完全に理解することはできないのだとも言いました。彼女の言ったことを聞いた後、私は当惑しました。私は人々を識別することと、裁くことの意味が分かりません。これらの疑問について、ご教示お願い致します。

    惠子

    人を識別するとは何か,人を裁くとは何か

    惠子姉妹へ:

    お手紙ありがとうございます。人々を識別すること、そして人々を裁くということについて、私の個人的な理解をお話しさせていただきたいと思います。お互いから学び合いましょう。

    第1に、識別することを学ぶということは、主から私たちへの要求であるということを知っておかなければなりません。主イエス様はこう仰せられました、「パリサイ人のパン種、すなわち彼らの偽善に気をつけなさい。」(ルカによる福音書12章1節)。2000年前を振り返ってみましょう。当時のユダヤ人はパリサイ人を識別することができなかったため、むやみにパリサイ人の言ったことを信じ、最終的に主イエス様を十字架に釘付けにするという最も重大な罪を犯しました。彼らの犯した過ちの教訓から、私たちは識別力がないと、人々に従い、人々の言うことを聞くばかりで、気付かないうちに神に背いてしまうということが分かります。私たちは神を信仰する道を歩むにあたって、偽善者たちを警戒する必要があり、それは私たちがいのちに入る上で大いなる助けとなるということは明らかです。さらに、聖書の中には麦と毒麦を分ける話や、忠実なしもべと悪いしもべの話といった、主イエス様が語られるたとえ話がたくさんあり、それらは私たちが真信者と偽信者、真羊飼いと偽羊飼いを識別することを修得するのに役立てるためのものです。こうすることで、私たちはいずれの人にも誤った道に導かれたり、利用されたり、悪用されたり、操られることなく、心から神に従い、神の御言葉を心に掛けることができるのです。主イエス様はこう仰りました、「彼らは盲人を手引きする盲人である。もし盲人が盲人を手引きするなら、ふたりとも穴に落ち込むであろう。」(マタイによる福音書15章14節)。私たちは人々を識別する方法を知らないと、誤まった道を進みやすくなってしまい、知らぬ内に神を信仰しながら人々に従い、人々を崇拝する信者になってしまうことが分かります。最終的に、私たちは穴に落ち、私たちの信仰は無駄になってしまいます。これ故に、私たちの信仰において、神に救っていただくためには、識別することを学ぶことが極めて重要になります。これについて、神はこう仰りました、「 神を信じ、神に関する認識を追求するのは、容易なことではない。それは、ただ寄り集まって説教を聞くだけでは達成されないし、熱情だけでは完全になれない。あなたは、経験し、知り、原則に基づいて行動し、聖霊の働きを獲得しなければいけない。経験を積めば、多くのことを判別できるようになる──善悪、正邪、何が血肉によるもので何が真理によるものであるかを区別できるようになるだろう。あなたは、こうしたことの区別ができなければいけない。そうすれば、どういう状況にあっても、迷うことはないだろう。これのみが、あなたの真の基盤なのだ。」

    さて、人々を識別するとは実際に何を意味するのでしょうか?それは、真理を用いて人の状態と行為を詳細に吟味することを意味します。そして、さらに、それは真理に従っている、事実と一致している、そして何の動機や目的も抱いていないことを意味します。このような交流は人々を識別することができ、信者たちが真理を理解し、欺かれないようにすることに役立てることができます。これは神の御旨に完全に即していることであります。

    主イエス様はパリサイ人を暴露してこう仰りました、「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。このようにあなたがたも、外側は人に正しく見えるが、内側は偽善と不法とでいっぱいである。」(マタイによる福音書23章27-28節)。 パリサイ人は貧しい者に与えたり、多くの善良な行いをするなど、表面的には善良な振る舞いを見せていました。そして、神に対して敬虔の念を表すため、彼らは衣服の房に聖句を書いてさえいました。しかし、彼らは主イエス様の御言葉と働きを探求することも、調査することもなく、多くの信者たちが主イエス様に従っているのを見た時、自分たちの地位と生活が危うくなると考えたのです。この結果、彼らは主イエス様の働きが律法の範囲を超えていたことを理由に主イエス様をローマ政府に引き渡し、十字架に張り付けるよう激しく要求したのです。パリサイ人の行動から、彼らは間違いなく偽善的であったことが分かります。主イエス様がパリサイ人を暴露されたのは、人々を裁くということの例であったと言えるでしょうか?いいえ、なぜなら神が表されるものは全て真実であり、それは裁きとは異なる分類のものだからです。今日の牧師と長老を見てみましょう。彼らは表面的にはとても謙虚に見えます。彼らは貧しい者に与え、信者たちに寛容になり、耐え忍び、そして弱気な信者たちを支えるようにと教えます。しかし、彼らは主の再臨の福音を耳にした時、それを探求して学ぶことにはほんの僅かの努力も費やそうとしません。そして、信者たちが真の道を求め、それを調べに行く様子を目撃した彼らは、各々の教会で信者たちをしっかりと操るために、そして自分たちの地位を守るために、ありとあらゆる手段で虚偽を広め、信者たちを怖がらせ、脅し、彼らが真の道を求めて調査するのを妨げます。彼らは主の再臨の福音を伝導する兄弟姉妹に対して軽率な結論を出し、非難し、中には中国共産党政府と手を組んで福音の伝道活動をする兄弟姉妹を逮捕させたり、自らの手で彼らを中国共産党政府に引き渡してしまう者までいます。牧師と長老のこういった振る舞いから判断して、彼らが神の目に善良な人々として映るはずがありません。神は彼らが犯したこと全てを褒め称えることなどおできになるでしょうか?彼らの行動とパリサイ人の行動に何の違いがあるというのでしょう?従って、現代の牧師と長老をパリサイ人と呼ぶことは主イエス様の御言葉に完全に準じることであり、私たちが困惑させられるのを避けるために彼らを神の御言葉に従って識別するのは正しいことなのです。神の御言葉は現実的で、正確で、適切であり、その中に人々を裁くものは一切ありません。これ故に、神の御言葉に従って人々の行動と行為を識別することは紛れもなく正しいことであり、その理由は真理が全ての人々と物事を判断する基準であるからです。

    ならば、人々を裁くとはどういうことなのでしょうか?それは人が各々の卑しむべき目的を果たすという意図をもって喋るということです。彼らの言うことは神の御言葉や真実には一致していません。彼らは大げさに喋り、主義として他人を非難し、各々の観念と想像を用いて結論を出し、他人に濡れ衣を着せるために真実をゆがめ、証拠を捏造すらします。その結果として、彼らの攻撃は他人に苦しみと害をもたらしているのです。例えば、ヨブが試練を受けていた時、3人の友人が神の御心を探求する前に好き勝手な判断をしました。それはヨブ4:6–9にこう記録されています、「 あなたが神を恐れていることは、あなたのよりどころではないか。あなたの道の全きことは、あなたの望みではないか。考えてみよ、だれが罪のないのに、滅ぼされた者があるか。どこに正しい者で、断ち滅ぼされた者があるか。わたしの見た所によれば、不義を耕し、害悪をまく者は、それを刈り取っている。彼らは神のいぶきによって滅び、その怒りの息によって消えうせる。」 この言葉は、ヨブが災いを被った理由は、間違いなく彼が罪を犯して神に抵抗したためであり、彼は急いで神の御前に行ってそれを告白し、悔い改める必要があるということを示唆しています。しかし、人類を試して精錬するという神の御心を理解していなかった彼らは、自分たちの観念と想像まかせに神の働きを判断し、好き勝手にヨブを裁き、そして非難し、結果的に神に嫌われ、捨てられてしまいました。最後に、ヨブは神の御前に行き、彼らのために祈りを捧げました。そしてその時初めて、彼らは神の許しを得たのです。聖書にはこの記録があります、「ヤーウェはこれらの言葉をヨブに語られて後、テマンびとエリパズに言われた、『わたしの怒りはあなたとあなたのふたりの友に向かって燃える。あなたがたが、わたしのしもべヨブのように正しい事をわたしについて述べなかったからである。それで今、あなたがたは雄牛七頭、雄羊七頭を取って、わたしのしもべヨブの所へ行き、あなたがたのために燔祭をささげよ。わたしのしもべヨブはあなたがたのために祈るであろう。わたしは彼の祈を受けいれるによって、あなたがたの愚かを罰することをしない。あなたがたはわたしのしもべヨブのように正しい事をわたしについて述べなかったからである』。」(ヨブ記42章07-08節)。

    これより、神の御心を理解していなければ、神の御旨を推測するべきではないということ、そして他人を好き勝手に非難したり、盲目な判断をしたり、神に自分たちの個人的な考えを押し付けるべきでもない。そんなことをしてしまうと、神に嫌われ、捨てられてしまうということが分かります。私たちは、口で一切の罪を犯さず、神の御心を求めること、そしてそれが自分に明らかにされるのを待つことを学んだヨブの例を模範にするべきです。ヨブは神を畏れる心を持っていたため、最終的には試練の最中に神の証しを立て、神の称賛を得たのです。

    今、この終わりの日の中で、私たちは裁きと中傷に満ちた環境の中を生きています。私たちは神を怒らせたり、神に抵抗してしまわないように、何かが降りかかってくることがあれば、大衆に従うのではなく、先ずは真実を詳しく調べ、事態を明確に理解し、それから結論を出す必要があります。このようにする人々のみが神を畏れる心を持っているのです。

    惠子姉妹、私のこの話があなたのお役に立つことを願っています。他にもご質問がありましたら、私たちまでご連絡ください。

    信仰ステーション

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