キリスト教が2000以上の教派に分裂していることは何を表しているのでしょうか

    2019年 10月 09日

    寄稿家:リー・メン(中国)

    信仰ステーションの兄弟姉妹の皆さん、こんにちは

    全世界で、イエス様の信者たちは多くの教派に分かれてしまっています。中国本土だけでも、信仰義認派、カリスマ派、呼喊派、大賛美派、三班僕人派、真イエス教会等が存在しています。私にはこれが理解できません。私たちは皆、主イエス様を信仰し、同じ聖書を読んでいるのに、どうしてこれほど多くの教派が現れるのでしょうか?このような形で主を信仰していて、私たちは主に良しとされることができるのでしょうか?

    リー・メン

    キリスト教が2000以上の教派に分裂していることは何を表しているのでしょうか

    リー・メン姉妹、こんにちは

    あなたの疑問は実に現実的な問題に関連するものです。ほとんどの兄弟姉妹もこれには困惑しています。真理のこの一面について、まずは様々な教派がどのようにして誕生するのかについて話したいと思います。

    異なる教派は聖書における人々の偏った理解および彼らの傲慢な本性が原因で誕生しています。

    キリスト教は主イエス様の働きにより生まれ、元々は主御自身が導き牧養されていたということは、私たち主の信者全員が知っています。当時の信者は正しい道からそれることがなかったため、分裂は起っていませんでした。しかし、主イエス様が天に上られ、主の弟子と使徒たちが息絶えた後、異なる教派が少しずつ出現するようになったのです。どうしてこれらの教派が形成されたのでしょうか?神の御言葉を見て、これを理解していきましょう。神はこう仰いました。「人々は長年の間聖書を研究し、まことに多くの解釈を編み出し、多くの労力を費やしている。彼らはまた、聖書について数多くの異なった意見をもち、それについて果てしなく議論しており、現在では二千以上の教派が形成されている。」

    神の御言葉より、異なる教派が形成される主な理由は主を信仰する人々が聖書に関して各々の偏った理解を持っているからだということが分かります。主イエス様は十字架に磔にされる働きを成就された後に去っていかれ、その後に主イエス様の信者たちが主の福音を伝道し始めたということは私たち全員が知っています。しかし、神の信者たちは聖書の教えに関する純粋な理解を持っていないため、その多くが聖書に関する各々の偏った理解を教会を設立するための教義とし、それを固持してしまっているのです。例えば、ある信者たちは、「なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。」(ローマ人への手紙10:10)、という言葉を受けて信仰義認派を築きました。他には主イエス様の、「悔い改めよ、天国は近づいた」(マタイによる福音書4:17)、という御言葉に執着し、「悔改め派」が主の御心に最も則したものだと思い込んでいる信者たちもいます。各教派それぞれが聖書に関して偏った理解を持っています。さらに、人々は傲慢さ、うぬぼれ、独善性、自尊といったサタンの性質を持っています。彼らは自分たちに才能と博識があり、自分たちの持つ聖書の理解のみが純粋なもので、それだけが正しいと思っています。従って、彼らは他人の意見を強く拒み、または非難し、聖書の教えを解説して自己顕示するのです。彼らは人々を自分たちの周りに引き寄せて、独自の教派を立ち上げます。教派はこのようにして誕生します。2000年にも渡り、クリスチャンは異なる教義を持っていることが原因で、絶えず討論を行い、新教派が形成されてきました。彼らはお互いを攻撃し、軽蔑し、議論し、そして除外するために決して1つに団結することができないでいます。このようにして1つの教会が2000以上の教派に分裂していったのです。これより、異なる教派の設立は人間が引き起こしているということが分かります。これは主イエス様が要求されていることでなければ、全く神の御心に沿ってもいないのです。

    宗教団体で神を信仰する人々は人々によって罠にかけられ、人々を崇拝し、人々に従い、真理を理解することや、神を知ることは決してありません。

    異なる教派が形成される原因を考えると、宗教指導者たちは誰もが神に仕えるために主の教えに従う代わりに、聖書に関する各々の理解を頼りに働き、説教していることが分かります。ならば、彼らの働きの本質は一体どのようなものなのでしょう?このような教派に属して神を信仰したら、どのような結果が伴うのでしょうか?神はこう仰っています。「たとえば、宗教界の牧師や指導者は自分の才能や立場を信頼して働きを行なう。長い間彼らに従う人々は、彼らの才能に感化され、彼らの人格からいくらか影響を受けるだろう。彼らは人々の才能、能力、知識に重点を置き、多少の超自然的なものや多くの深遠で非現実的教義に注目する(もちろん、これらの深遠な教義は達成不可能である)。彼らは人々の性質の変化に注目せず、むしろ人々の説教する能力、働く能力の訓練、人々の知識や豊かな宗教的教義の改善に注目する。人々の性質がどのくらい変えられたか、あるいは人々はどのくらい真理を理解しているかには注目しない。彼らは人々の本質には関心を持たず、ましてや人々の通常の状態、異常な状態を知ろうとはしない。彼らは人々の見解に反論せず、明らかにもしない。ましてや人々の欠点や堕落を修正したりはしない。彼らに従うほとんどの人々は生来の才能によって仕え、彼らが表すのは知識と曖昧な宗教的真理であり、それらは現実とは離れており、人々にいのちを与えることは全くできない。」

    神の御言葉から、宗教指導者たちと牧師たちは皆、神学的知識と教義に頼って働きと説教を行っているということが分かります。彼らは神への信仰において信者たちが持つ多種多様で不適切な考えや、信者たちの堕落を解決してくれることはありません。例えば、異なる教派間における攻撃や口論が起こる中で、牧師たちは皆自分たちの意見が正しく、他の教派の意見は間違っていると強く主張します。彼らは決して自分たちの逸脱や誤りを顧みることはなく、自分たちが傲慢な性質を表していることすら分かっていません。そして、彼らは信者たちが神を知ることを手伝うために神の御心を伝えることも全くありません。代わりに、彼らはいつも現実的な問題を避け、ただ単に中身のない理論を語っているだけなのです。彼らの交わりは罪の束縛を取り除くこととは全く無関係で、彼らはただ自分たちの才能、そして自分たちがどれだけ恵まれているか、さらには各々の神学的知識と理論を誇示したいだけなのです。信者は長い間牧師たちの言うことを聞いていると、必然的に彼らに影響されてしまいます。彼らは牧師たちの才能と牧師たちが非常に恵まれていることに憧れを持ち、牧師たちが雄弁で会話が上手なことに感銘を受け、自分たちも牧師たちのように豊かな聖書の知識を修得し、巧みに会話ができ、福音を伝え説教できさえすれば、他人の羨望と称賛の的になれるのになと思ってしまうのです。この結果、彼らは神の御言葉を実践することには注意を払わなくなり、神の御旨を見出そうともしなくなり、ただ単に儀式と規則に従うだけになってしまうのです。このように、宗教団体の信者たちは、律法の時代末期に神殿の中で神を信仰していた人たちと同じように、聖霊の導きを受けることができないのです。これ故に、彼らは何年神を信仰しても、真理を理解することも、神を知ることもできず、彼らの性質が変わることもないのです。従って、宗教の中で神を信仰するという本質は人間の指導者たちを崇拝しているに過ぎず、真に神に従っているということではないのです。

    宗教から離れ、神の働きについていき、神の御前に立ち返りましょう。

    聖書には次の節が記録されています。「終りの日に次のことが起る。ヤーウェの家の山は、もろもろの山のかしらとして堅く立ち、もろもろの峰よりも高くそびえ、すべて国はこれに流れてき…」(イザヤ書2:2)

    神はこう仰っています。「あらゆる宗教、あらゆる宗派の人々全てを、唯一の神の支配の下に集める……あなたがどの宗教に属していようと、最終的にあなたは皆神の支配の下に従うのである。神自身だけがこの働きを実行できるのであって、それはどの宗教の代表にも不可能である。世界には主要な宗教がいくつか存在し、各宗教がそれぞれ代表あるいは指導者を持っているが、その信徒も世界中の様々な国や地域に広がっている。大国であろうと小国であろうと、どの国にもいくつかの異なる宗教が存在する。しかしながら、世界中にどれほどの数の宗教が存在していようとも、宇宙の中の人はみな、究極のところ唯一の神の導きの下に生存しているのであって……万物は創造主の支配下にあり、最後には創造主の手中に戻る。人類は元々神に造られ、宗教に関係なく、全ての人が神の支配下に帰するものであり、これは必然である。」

    神の御言葉より、終わりの日の末期には、全ての宗教が1つとなり、全人類が神の家に立ち返るということが分かります。終わりの日に、神は人類を救う一段階の働きを実行する必要があり、それによって神の顕現を心から切望する人々全てが神の御声を聞き、それぞれの教派を去り、神の御前に立ち返れるようになるのです。この働きは神御自身以外の者が行うことはできません。神は私たちを創造し、導き、さらには栄光に輝く終着点へと連れていくことがおできになり、これは神の権威の象徴であると同時に神の唯一無二な性質の象徴でもあり、いかなる教派の指導者や聖職者でも代わって行うことはできません。世界には2000を超える教派が存在していますが、その全てが人間によって設立されています。神の羊たちはついに教派から歩み去り、創造主の支配下に戻り、そうすることで全ての教派が1つとなります。これが、終わりの日に神が達成することを意図される働きです。牧師と長老たちがどれだけ高い地位にあったとしても、彼らは皆、サタンに堕落させられた人間なのです。彼らは自分を救うことすらできないのに、他人を救えるはずがありません。万物を支配される唯一の真の神のみが私たちをサタンの被害から救い、神の御前に導くことがおできになります。今は終わりの日が到来し、イエス様がお戻りになられたと、多くの人々が証ししています。私たちは観念を捨て、宗教を去り、終わりの日の神の働きと御言葉を探さなくてはなりません。これは、賢明な人がする選択です。

    以上が僅かですが私たちの見解です。少しでもお役に立てば幸いです。もし他にも質問がございましたら、またお気軽にお知らせください。

    敬具

    信仰ステーションより

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