クリスチャンとして、正常な教会生活は極めて重要である

    2019年 11月 12日

    こんにちは、信仰ステーションの兄弟姉妹の皆さん、

    私は日中の仕事でとても疲れてしまい、夜はよく眠れません。結果的に、予定の時間に集会に出ようという気が起きなくなっています。束縛されたくありません。私に霊的な必要があった時に、兄弟姉妹を探しておしゃべりすればそれでいいのではないか、と思っています。この問題の原因は何なのでしょう。どのように解決すべきですか?

    アンジーン


    こんにちは、アンジーン姉妹、

    予定の時間に集会に出席する気が起きず、霊的な必要を感じた時だけ、積極的に兄弟姉妹を求めておしゃべりをすればよいのではないか、ということでした。そのように考えるのは、神を真に信じるとはどういうことか、集会の重要性とは何かを理解していないからです。真理のこの側面は、神様から称賛されるような信仰を持つことができるかどうかに直接関係しているため、非常に重要です。この点について、私がどのように理解しているかを少しお話します。お役に立てれば幸いです。

    クリスチャンとして、正常な教会生活は極めて重要である

    神様を真に信じるとはどのような意味か

    最初に神様が人間を創造された理由は、人間が地上で神様を称え、礼拝するためであったことを私たちは皆知っています。主イエスは言われました。「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。」(マタイにによる福音書22:37-38)主の信じる者として、信仰と神様への礼拝、そして神様と正常な関係を持つことを最優先にすべきです。集会、祈り、真理を語り合うこと、賛美歌を歌うこと、そして神様を讃えることが、神様との正常な関係を確立する方法です。クリスチャンとして、最低これらを必ずやるべきです。神様の言葉はこう言っています。「『神への信仰』とは神の存在を信じることを意味し、これは神に対する信仰の最も単純な考えである。さらに、神の存在を信じることは、真に神を信じることと同じではない。むしろそれは強い宗教的含みを持つ単純な信仰である。神への真の信仰とは、神はすべてのことに支配権を持つという信念に基づいて神の言葉と働きを経験することを意味する。堕落した性質から解放され、神の望みに応じ、神を知ることができる。そのような道程を経てのみ、神を信じていると言える。」(「神の働きを経験する者のみが真に神を信じる」より)「神の心において、自分の信仰が認められたことの無い人々がいる。換言すると、そうした人々の信仰を神が称賛しないため、そうした人々が神に付き従う者であることを、神が認めない。……こうした者は、神に対する信仰を、一種の余暇活動の趣味として捉え、神を単なる精神的な支えのように扱っている……神は、こうした人々のことを、どう思うであろうか。神は、こうした人々を、信者以外の者とみなす。」(「神の性質と神の業の結果を知る方法」より)ここから分かるのは、もし、私たちの神様への信仰が単に口頭で認め、心の中で信じることのみから成っていて、真理を追い求めず、神様の言葉を経験したり実践したりせず、信仰を精神的な支えや趣味としてとらえているのであれば、真に神様を信じているとは言えません。神様はこの手の信仰を称賛しません。神様の真の信者たちは、頻繁に神様の御前に出て、よく神様に祈り、よく神様の言葉を読み、集会に何度も出席し、神様の言葉から来る真理に対する理解を深めるべきです。同時に、神様の言葉を実際の生活に適用させ、経験し実践しなければなりません。信者たちは毎日起こることは神様によって支配され、定められていると信じています。これが特に当てはまるのは、彼らが自分の考えとは異なる何かに遭遇した時、そしてそのことが自身の堕落した性質を明らかにしている時です。彼らは神様の御前に出て、神様の言葉に従って自分自身と向き合えます。彼らは神様が定めた環境の中で学ぶべき課題、実践に移すべき真理を求めることができます。その後、彼らは神様の要求に従って実際にそれを実行し、サタン的な堕落した性質を投げ捨て、正常な人間性を生き、最後には、神様に対する真の認識、神様への従順、神様への愛を達成するのです。この方法によって神様の働きと言葉を体験する時にのみ、神様を真に信じるということが成り立ちます。このようなやり方で神様を信じて初めて、私たちは神様の承認を得られます。反対に、私たちの信仰に神様との正常な関係、集会への定期的な参加、祈り、真理を語り合うこと、そして、神様の言葉を実践に移すことが含まれていないならば、もし、空き時間だけの信仰であるならば、もし、数年間神様を信じても、堕落した性質がまったく変わらず、神様を真に理解しないならば、未信者の信仰と変わりがありません。神様はそういった信仰を信仰とは認めません。もし私たちの信仰がこのようなものであるなら、最後まで信じたとしても、神様の承認と救いは得られないでしょう。

    教会生活は不可欠です

    予定の時間に集会に出席する気が起きないなら、教会生活の重要性を理解していないと言えます。実は、教会生活は神の言葉を語り合い、真理において理解を深めて成長する生活であり、それはまた聖霊の働きを体験し、神様の愛を享受する生活でもあります。真理を理解し、真理において成長し、神様の救いを得ることは、聖霊の働きなくしてはまず達成できない成果です。互いに仕え、施し合い、本分を尽くして神様に対して証しとなる教会生活を通してのみ、容易に聖霊の働きと神様の清めと救いを得られるのです。言い換えれば、信仰の面で神様の承認を獲得することと、神様の救いを達成することは、正常な教会生活と密接に関係しているのです。聖書は言っています。「ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか。」(ヘブライ人への手紙10:25)主イエスは言われました。「また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである。」(マタイによる福音書18:19-20)ここから分かるのは、教会生活を生きることは、クリスチャンである私たちに対する神様の要求のひとつであるという事実です。私たちの素質には限りがあり、真理を受け取る器官も備わっていませんから、神様の言葉の真理と奥義を理解するのは非常に困難です。文字面ばかり追っていても、神様の意図と人間に対する要求をほとんど理解していないでしょう。しかし、教会生活に参加し続け、兄弟姉妹と一緒に祈り、神様の言葉を読み、理解したことや経験を語り合うなら、聖霊による啓きと照らしを得ることができます。私たちはさらにたくさんの光と報いを得て、神様の意図と要望をはっきりと理解していくでしょう。実践の道ももっと明らかになるはずです。特に、神様の言葉を理解しなかったり、さまざまな困難に直面したりした時、兄弟姉妹が一致して神様を求め、祈るならば、私たちを通して聖霊が働かれ、真理を理解している兄弟姉妹を通して私たちを潤し、導いて下さいます。そうすれば、神様の言葉の隠された意味を理解することができ、真理を知る私たちの問題や困難は全て解決します。教会生活で多くの問題を解決すればするほど、もっとたくさんの真理を理解し、得ることができます。そうすることで、私たちは二度と混乱したり問題を抱えて生きることはなくなります。私たちの人生は楽になり、解放されます。神様の意図と要求に従って、遭遇する状況にも取り組んでいくことができます。次第に神様の言葉が、状況の対処に使える原則や指針になります。聖霊の導きの下で神様を信じる正しい道に踏み出せるのです。

    教会生活に参加しないならば、時々自分だけで祈ったり、神様の言葉を読んだりしている状況ならば、聖霊の働きを得ることは非常に限られてしまいます。聖霊の働きなしでは、真理を理解できず、真理の現実に入って行くこともできないでしょう。困難や問題にぶつかった時は、神様の意図を理解しないがゆえに、対処法も真理の実践方法も分からないという事態が頻繁に起こります。自分自身の観念や想像に頼って物事を行うなら、神様の意図を妨害するばかりでなく、神様の性質に背くことになってしまいます。神様による救いはもちろん、聖霊の臨在も失うのです。神様の言葉はこう言っています。「あなたは、自分の霊的生活が正常ではない場合、神の現在における業を理解できず、そうした業が自分の観念と全く相容れないものであると常に感じ、神に進んで付き従っていても、内部の推進力が欠如している。したがって、現在において神がどのような業を行っていても、人間は協力する必要がある。人間が協力しなかった場合、聖霊はその業を行うことが出来ない。また人間に協力精神が無ければ、聖霊の業を得ることがほとんど出来ない。……人間が神に協力せず、より成長することを求めなければ、神は人間が従前持っていたものを奪うであろう。人間は内心常に楽な方に貪欲で、既に用意されているものを楽しむことを好む。人間は全く代償を払うことなく、神の約束を得ることを望む。こうしたことは、人類の突飛な考えである。代償を払わずにいのちを得るなどと言うが、それほど容易なことが一体あるだろうか。ある者が神を信じ、いのちにおける成長と性質の変化を求めているのであれば、その者は代償を払い、神が行う業が何かを問わず、常に神に付き従う状態に達する必要がある。それが、人間がすべき事である。その全てに規則として従っていたとしても、それを頑なに遵守せねばならず、いかに試練が大きくても、神との正常な関係を手放してはならない。あなたは祈りを捧げ、教会生活を維持し、兄弟姉妹と共に居ることが出来る必要がある。あなたは、神が自分を試すときでもなお、真理を求める必要がある。これが霊的生活のための最低限度である。」(「あなたは神への忠誠を保たなければならない」より)神様の言葉から、私たちにとって正常な霊的生活が非常に重要であることが分かります。祈り、神様の言葉を読み、集会に出席することのすべてが霊的生活を構成しています。これらを守れなければ、聖霊の働きを得られないでしょう。私たちの心が神様に従いたいと願っても、信仰を持つことはできません。ですから、仕事がどれほど忙しくても、肉体的に疲れていても、神様との正常な交わりを失ってはいけないのです。最低でも、正常な霊的生活を維持する必要があります。神様の御前で生活し、問題に遭遇した時は真理を求め、実践しなければなりません。そうすることによってのみ、私たちの霊的ないのちは確固たるものになります。そうして初めて、問題に遭遇した場合に取り得る道が与えられるのです。

    神様の御前に生き、神様の保護を受ける

    主イエスは言われました。「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイによる福音書11:30)主は私たちが楽に、自由に生きることを望んでおられます。主は私たちがこの世のことにまみれて苦しむ姿を見たくないのです。ならば、仕事で疲れすぎているために集会に出席する気が起きないのはなぜでしょうか。実は、そのような考えはサタンから来ています。その考えの中にはサタンの悪の陰謀が含まれています。神様は言われています。「神が人間に対して行いたいことはサタンが破壊しようとすることであり、サタンが破壊したいことは人間を通してすべて表れる。……サタンによる人類の破壊も明確に示される――彼らはますます堕落させられ、その状態はだんだん落ち込んでいく。あまりにも悲惨になると、サタンに捕らえられることもある。」(「全宇宙への神の言葉の奥義の解釈」の「第十五章」より)サタンは神の敵です。あらゆる面で神に敵対し、頻繁に私たちの弱点を狙い、攻撃してきます。サタンに堕落させられた私たちの内側はサタンの毒に満ちています。私たちは富を愛し、栄誉や地位、肉の楽しみを愛します。富や栄誉のためであればどんな努力もし、それを手に入れるためならどんな代価も払います。ですからサタンはそのような堕落した私たちの性質を利用して肉欲に溺れさせ、神様との正常な関係性を阻害し、私たちを神様から離れさせ、神様を裏切らせ、最後に私たちを呑み込むという目的を達成します。もし私たちがいつも肉の欲望を満足させ、神様に頻繁に近づかないならば、いとも簡単にサタンの罠にはまってしまい、この世の邪悪な波に流されて、遂には神様の思いに背いて神様に嫌われるようなことまでするようになってしまうでしょう。集会は私たちが神様に近づく機会です。神様と私たちの距離を縮めてくれて、神様の前で生きるようにしてくれて、神様の検証を受け入れ、神様の配慮と守りを受けるようにしてくれます。神様との関係が正常になれば、霊的にも鋭くなり、神様が好まれる物事と嫌われる物事が見分けられるようになります。何か問題に直面しても、神様の側に立つ事ができ、肉の好みに従って神様に反することや拒絶することはありません。結果的に私たちは更に神様からの祝福を受けることができます。ですから、私たちが神様に認めて頂いて救いを得る上で、教会生活はとても重要です。信仰が弱く、状態が正常でない時は、もっと頻繁に神の御前に出て、神に祈り、神に頼らなければなりません。教会生活から離れないことです。同時に、神を満足させるという決意を神の御前固めるべきです。このように神と協力する時、サタンの陰謀は私たちに何ら影響を及ぼさず、サタンは慌てふためいて消え失せます。神との関係性がいったん正常になれば、集会への出席を束縛だとは感じなくなります。反対に、集会に出席することは、神と親しくなり、神の愛を味わう方法だと思うようになるでしょう。

    神の導きに感謝します!アンジーン姉妹、ここで今日の私たちの交わりを終わりにします。今日お伝えした内容が役に立つことを願っています。分からない点があれば、それについて一緒に話し合いましょう。

    信仰ステーション

    編集者から:今日の「ディボーションでの交わり」を読んで、神様を心から信じるということ、そして教会生活の意味がわかりました。また、定期的に集会に出席することが、神様を信じて救われるという極めて重要な点に直接関連していることから、とても大切だということが分かりました。引き続き、私たちの福音映画『神への信仰』も是非ご覧になってください。神様に称賛されるような信仰を一緒に求めていきましょう。

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