神様の性別の奥義を理解して、主の再臨をお迎えする(I)

    2019年 11月 16日

    寄稿家:余光(カナダ)

    私は1992年に主イエスを信じ始め、次の聖句を聖書で読みました。「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネによる福音書3:16)主イエスは人類の罪を贖われるために、罪の捧げ物として十字架にかけられました。そのことを考えるたび、私は心の中で大いに感動しました。主を信じ始めたあと、私は教会の集会に熱心に参加し、時間があるときはいつも聖書を読んで祈っていました。

    ある日、妹が以前に会ったことのない二人の姉妹を自宅に連れてきました。彼女たちは話の途中で、神様は受肉してすでに戻られていて、女性の姿で現われ働きをなさっていると言いました。私はそれを聞いてすぐに反論しました。「どうしてそんなことがあり得るんですか。聖書にはっきりこう記されています。『神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである』(ヨハネによる福音書3:16)聖書に記されているひとり子は間違いなく男性です。ということは、主もきっと男性としてお戻りになるはずでしょう。神様が女性としてお戻りになったとどうして言えるんですか」私がここまで反対する姿勢を示したにもかかわらず、姉妹はそれを見ても、私に精一杯の思いやりを示してこう言いました。「姉妹、神様が女性として受肉なさったことが私たちの観念に合わなくても、神様の働きは私たちの意志で変わるものではないことを知らなければなりません。また、神様の御業を私たちの考えで判断してはいけません。例えば主イエスがおいでになって働きをなさったとき、それは人間の観念と想像を超えていました。何しろ、主は宮殿ではなく飼い葉桶の中でお生まれになったのですから。また、主はユダヤ人を率いてローマ当局を打倒することもなさらず、その代わりに敵を愛して寛大さと忍耐強さを示すよう人々に教えられました。当時のパリサイ人は、主イエスの働きが自分たちの観念に合わないからといって、主に抵抗して断罪したのではなかったですか」そのとき私の心の扉が閉まり、彼女たちが何と言おうと私は耳を傾けませんでした。その代わりに立ち上がって他の用事を済ませに行ったのです……

    神様の性別の奥義を理解して、主の再臨をお迎えする

    その後、私の母が全能神による終わりの日の働きを受け入れ、私にこう説教しました。「神様は受肉してお戻りになっています。全能神はお戻りになった主イエスで、御言葉を表現なさり、人間を清める働きをなさるのよ。私たちは何年も主を信じて、その再臨をお迎えできる日を心待ちにしてきたわ。主がお戻りになったことを受け入れないなら、あなたの信仰はすべて無駄になります。妹が戻ってきたら彼女の話にちゃんと耳を傾けなさい。さもないと主の到来をお迎えする機会を逃して、一生それを後悔するわ」しかし私は、主イエスは男性なのだから、お戻りになった主も男性のかたちでおいでになるはず、決して女性のかたちでおいでになることなんてないと、心の中で信じていました。そしてそれを受け入れないよう母に忠告さえしましたが、母はそれに耳を傾けませんでした。すでに決心を固めていたのです。

    その後、何名かの兄弟姉妹が来て私に主の再臨の福音を宣べ伝えましたが、私はそれを聞きたいと思わず、彼らに抵抗しました。しかしそのとき、私たちはみな主の信者であり、愛をもって客を迎えなければならないと聖書に書かれていることを思い出しました。彼らの説教することが自分の観念に合っていようといまいと、それでも正常な人間性を生きなければならないのです。それで私は自宅に彼らを迎えました。彼らが教えを説くあいだ、私は無表情のまま脇に座っていました。しかし、私がどんな態度をとっても、彼らは私への思いやりに満ちたままで、それでもわざわざ私に説教してくれるのだと気づきました。彼らがどのように生きているかを見て、私は警戒心を解きはじめました。

    そこで私はこう言いました。「あなたたちは主イエスが女性としてお戻りになったと教えていますが、私にはそれがよく理解できません。私たち全員が知っているとおり、主イエスは以前お戻りになったとき、男性としておいでになりました。それなら、主は終わりの日にも男性としてお戻りになるんじゃないでしょうか。女性としてお戻りになるなんてどうしてあり得ますか」

    私の疑問を聞いたあと、ひとりの姉妹が辛抱強くこう言いました。「『創世記』第1章26節から27節にはこう記されています。『神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された』神様はご自分のかたちに男女を創造されたと、創世記にはっきり記されています。私たちが言うように神様が男性なら、聖書のこれらの言葉はどう説明できますか。実際、神様の本質は霊であり、男女の区別はありません。男女の区別が生じたのはひとえに神様が受肉して人類を救われたからですが、そのことは神様が男性であるとも女性であるとも意味していません。主イエスが男性として受肉なさったからといって、神様を規定してはいけないのです。神様が男女どちらで受肉なさろうとも、それが神様の働きである限り、私たちは考察して受け入れなければなりません。その取り組みにあたって自分の観念や想像に頼ってはいけません……」

    私はその通りだと思いました。神様はご自分のかたちに男女を創造されたと、創世記にはっきり記されています。神様はアダムを男性に、エバを女性に造られましたが、二人とも神様のかたちに造られたのではないでしょうか。それは事実です。兄弟姉妹が帰ったあと、彼らの話には理知があり、聖書ととてもよく符合していたと私は考えました。もう一度来てくれるなら、熱心に耳を傾けてその真相をすべて突き止めようと決心しました。

    しかし数日後、私の姉が大教会から五人の兄弟姉妹を連れてきましたが、彼らは深刻な口調でこう言いました。「東方閃電の教えを宣べ伝える者がお宅に来ましたか。それを信じてはいけません。主が女性のかたちでおいでになって働きをなさるなど、どうしてあり得ますか。それを信じてはいけません……」彼らは順番にそれぞれの話をしましたが、私はそれまでためらっていたものの、彼らが言ったことのせいで、開きかけていた心の扉が再びばたんと閉じました。その後、教会の人に突き止められてしまうのではないかと不安になり、兄弟姉妹が神様による終わりの日の働きを説教しようと再び来たときも、私は自宅に入れるのを拒否しました。

    しかし母はそれまで通り全能神を信じ続け、集会が開かれるたびに参加し、どんな悪天候だろうと一度たりとも休みませんでした。それに全能神を信じ始めて以来、顔には満面の笑みが浮かび、神様への信仰も積極的かつ強くなったことに私は気づきました。家族を親切に優しく扱い、他人に対して寛大で忍耐強く、単に主を信じていたころとは大きな変わりようでした。しかし私はと言えば、教会に行って説教に耳を傾けていましたが、それらは同じ古い話ばかりで、霊が糧を得ることはありませんでした。自宅で聖書を読んだり祈ったりしても聖霊の働きを感じられず、聖書を読むことにおざなりの注意を払うだけで、読んでいる途中で眠ってしまうこともありました。どれほど読んでも聖書の中にある主の御心をまったく理解できず、祈るときも心が入っていませんでした。私は動作を繰り返しているだけでした。信仰はますます冷たいものになり、霊が乾いてしおれるように感じました。心も揺れ動き始めました。全能神が本当にお戻りになった主イエスだということがあり得るのか。私は真の神様の働きを閉め出しているのか。

    続く。

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