クリスチャンの証し-人生の新たな道を発見しました

    2018年 12月 30日

    寄稿家:ティエシン(マレーシア)

    目標を立てて全力で取り組む

    貧乏だった私の家族はいつも人から馬鹿にされ、見下されていました。私の両親は私が幼かった頃から、「お前は競争心を持たなくてはだめだ。しっかりとした将来性があれば、誰からも見下されることはない」、と言って私を教育してきました。その当時、私は一生懸命に勉強して上に這いあがり、両親の期待に応えることだけを目標にしていました。

    小学生の時、私は一生懸命に勉強しました。もっと多くの言葉を覚えたかった私は、毎日宿題をした後、父に新聞を読みました。小学3年生の時以来、私は語学力を伸ばすために毎日マレーシア語、英語、そして北京語で日記を書いていました。沢山努力したおかげで、私は学校でいつも好成績を収めていました。成績を更に伸ばしたかった私は放課後の授業も受けたかったのですが、父はその授業料を払うことができませんでした。こうして私はその授業料を払うために終末はレストランで働きました。私は注文とテーブルの掃除の両方を担当していたので、素早く仕事をこなすことができませんでした。私がもたもた仕事をしていると、ボスは汚い言葉で私を怒鳴りつけました。私はこれが起きるたびに酷い扱いを受けている気分になり、いつも夜に泣いていました。私は、「授業料のことがなかったら、あんたの下でなんか絶対に働かないんだから」、と思いました。私はこのようにしてお金を稼ぎ、同時に勉強していたのです。必至に稼いだ授業料で私は気が狂ったように勉強しました。夜は12時が過ぎてからベッドに入り、毎朝5時に起きて授業の見直しをしました。さらに、試験勉強をしていた時は1週間ほとんど寝ることはありませんでした。眠気が襲ってくるとコーヒーを飲んで目を覚ましたり、休憩中に自分のデスクで軽く睡眠をとりました。長い間続けていると、これはとても耐えがたくなってきましたが、人との差をつけたかった私はどれだけ辛かったり、しんどくても諦めないという意思を持っていました。

    彼女は勉強しています,人生の新たな道を発見しました

    高等学校に入学すると宿題の多さによる負担から好成績を上げるプレッシャーが増していきました。大学を目指していた私は1年目は勉強をしながらパートで働いて個人授業を受けて、次の2年間は一生懸命に勉強する決意をしていました。後に、私はコーヒーショップで仕事を見つけました。勤務時間が平日は夜の7時から夜中の12時まで、週末は夜の7時から朝の7時でした。その当時、私の仕事仲間は一緒によく外食してお酒を呑んでいました。私はお酒を呑まないでいると、彼らから非社交的だと言われました。私は職場で良い関係を維持するために嫌々ながらも参加しました。ある時、私は少し酔っぱらって午前1時に家に帰ったことがありました。顔を洗って歯を磨いていると、突然体中に力が入らなくなり、シンクの側で気を失ってしまったのです。運が良かったことに、私がバケツにぶつかる音を聞いた父が私をトイレから引きずり出してくれました。その後、父は私の個人授業の費用を払ってくれと約束してくれました。これで私はもうパートの仕事をする必要がなくなったのです。こうして、私は勉強に没頭しました。私は毎晩平均で4時間しか寝ませんでした。私は正午に学校から帰宅すると急いで昼食を食べ、学校の勉強の見直しをするために自分の部屋に閉じこもり、家族と話すことはほとんどありませんでした。私にとっては食事や家事をすることすら時間の無駄でした。この絶え間ない負担は耐え難いものでした。その後、私は不眠症に悩まされてしまいました。長い間コーヒーを飲み続けていた私はコーヒーの効果を感じなくなっていたのです。眠い時にどれだけコーヒーを飲んでも、もはや効果はありませんでした。

    2011年6月、私は高等学校から卒業しました。大学から合格通知を受けた時、私は成功がまるですぐそこまで来ているかのようにホッと安堵の長いため息をつきました。そして私は心の中でこう計画しました:「大学を卒業したら、数年間働いてまとまったお金を用意しよう。それで自分のビジネスを始めたら家とか車が買える。。。」私が自信ありげに明るい将来の計画を立てていたその時でした、悲痛な知らせが飛び込んできて、私はそれに一気に押し潰されてしまったのです。

    母の他界

    大学の合格通知を受けてすぐ、私は母が長期的な過労と精神的な過度の負担により乳がんに罹っていたことを知り、言葉を絶するほどの悲痛に駆られました。私は母の病気は治らないのではないかと心配しました。母が死んでしまったら、私の成功など何の役にも立たない。その後、私は乳房切除術を受けに行く母を病院まで同行しました。耐え難い痛みと苦しみから開放されることを願った母は頻繁に自らの命を絶つことを望みました。それは私にとって心臓に鋭い痛みが走るほどつらいものでした。生まれて初めて、人間は病魔の前ではとても脆いものだと私は感じました。

    その1年後、母の状態が一時的に安定していたので、私は大学に戻って勉強を続けました。2013年8月のある日、父から電話がかかってきました。母は癌細胞が肺、肝臓、そして脊髄まで拡がり、癌の終末期に陥ったと父は言いました。私はこれを聞いて倒れそうになりました。急いで実家に帰って見ると、まだ40代後半であった母は60歳を超えているように見えました。足が弱くなっていた母は松葉づえを使ってしか歩けなくなっていました。癌に侵された肺のせいで呼吸が困難になっていた母は寝椅子に仰向けになって座ることを余儀なくされていました。その後、歩けなくなってしまった母は入院を余儀なくされ、私は病院で彼女の世話をしました。私は病棟の中で癌に苦しむ大勢の人たちと出会い、その中には意識不明のままの人、食べることができない人などがいました。私は心の中で言いようのない悲しみに駆られました。この時点で、私は既に、私たち人間はどれだけ有名で、どれだけ身分が高くても、病魔の前では本当にちっぽけな存在であることに気が付いていました。ある日、母は突然意識を失いました。私はパニックになり、必死に泣き叫びましたが母は帰らぬ人となってしまいました。母が去った瞬間、地位や、仕事や、車や、家など、全世界がもうどうでもよくなってしまいました。

    これから歩んで行く道

    母が他界して以来、私はとても落ち込んでしまい、授業を受ける気分ではありませんでした。私は学校の勉強を何とか乗り切ってはいましたが、試験に向けて復習する気にはなりませんでした。私はまるで歩く死体になったようでした。1人でいると、こう考えずにはいられませんでした:「今までずっと、成功すること、尊敬されること、そして両親の期待に応えることを目指してやってこれた。それで大きなプレッシャーに耐えることもできた。でもお母さんが突然死んで、私たちの命は儚いことが分かった。私たちがいつこの世界を去るかなんて、誰にも分からない。私たちは死ぬまで大変な人生を送るためだけに生まれてきているのかしら?私のいのちの道は一体どこに向っているのかしら?

    福音との出会い

    ある日、主を信仰している仕事仲間がインターネット上の集会に参加しないかと私を誘ってくれました。当時、私はとても落ち込んでいたので、これから先を進んでいくためのモチベーションを見つけるためにそれを受け入れました。ある集会の時、私は兄弟姉妹に自分の母が他界したことについて話しました。彼らは私を気の毒に思ってくれました。ヂャオ兄弟はこう言って交流しました、「私たち人間は神から距離を置き、サタンの支配下で暮らし、その害に苦しんでいます。私たちはサタンに何時でも飲み込まれてしまう可能性があります。今まで、主への信仰において、私たちは誰もがサタンに堕落させられていたことを知っていましたが、それがどのようにして私たちを堕落させたのかは知る術がありませんでした。神の御言葉を読んでいた時、私はサタンが私たち人間を堕落させる手段に関する見識を初めて得ることができました。神はこう仰っておられます:『神とともに時代を通り抜けてきたのに、神が万物と生けるものの運命を支配することや、神がどのようにして万物を指揮し方向づけるのかを、人は知らない。これは遥か昔から今日まで、人には分からないことである。その理由は、神の業があまりに見えにくいからあるいは神の計画がまだ実現されていないからではなく、人の心と霊が神から離れすぎているからである。したがって、人が神に付き従っているときでも、彼は知らないうちにサタンに仕え続ける。誰も神の足跡や出現を自発的に探し求めないし、誰も神の配慮と守りのもとで存在することを望まない。むしろ、人は、この世と、不正な人類が従う生存の法則に適応するために、喜んで悪であるサタンの腐敗に頼ろうとする。この時点で、人の心と霊はサタンに捧げられ、サタンの食物となる。さらに、人の心と霊は、サタンが住む場所になり、サタンの恰好の活動場所となる。このようにして、人間であることの根本的原則についての理解と、人間存在の価値と目的についての理解を、人は気づかないうちに失うのである。神からの律法と、神と人の間の契約は、人の心のなかで徐々に消えていき、やがて人はもはや神を求めたり、神を心に留めたりしなくなる。時が過ぎるにしたがって、人は、なぜ神が人を創造したのか理解しなくなり、もはや神の口から来る言葉を理解しなくなり、神からくるものすべてを認識しなくなるのである。人は神からの律法と掟に反逆し始め、人の心と霊は無感覚になっていく…。神は神の本来の創造物である人を失い、人は自分が始まったその起源を失うのである。これは今の人類の悲しみである。』

    そしてヂャオ兄弟は続けて交流しました、「アダムとイブは神が創造なされたエデンの園で最初は幸せな生活を送っていました。彼らには疲労や痛みなどなく、まして死を味わうことなどもってのほかでした。しかし、彼らはサタンの虚偽に耳を傾けて神を裏切ってしまい、サタンの支配下で生きるはめになってしまったのです。サタンは何千年にも渡って、偉大な人間や有名人の様々な観点、および ‘先立つものは金’、’苦は楽の種’、そして ‘この世は金しだい’ といったようなサタンの教育をもって私たちを騙し、私たちに毒を植え付けてきたのです。サタンからこれらの観点を受け入れてしまうと、私たちのいのちに対する考え、価値観、そして人生の目標が変わってしまうのです。私たちは地位と権力を称賛します。私たちはお金と権力がないと無能と見下されてしまうと考えます。私たちはお金と権力が私たちの生きる道を裕福にし、魅力的で幸せな人生を与えてくれると信じています。この結果、私たちは全力でお金稼ぎに取り組み、人生の大部分を多忙に暮らします。しかし、最終的に私たちはただ死んでしまうだけなのです。明らかに、サタンの虚偽は苦しみと暗闇しかもたらしません。私たちは、サタンが人類を堕落させることの真理を明確に理解してのみ苦しみを振り払うことができるのです。」

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