私はやっと家に帰り着きました

    2018年 10月 15日

    寄稿家:チェン・ヂィウェイ(台湾)

    私は祖母の家で育ちました。彼女は偶像を礼拝することに深く心を向ける仏教徒でした。太陰月の初日と15日目に、彼女は果物を供えて家の土神と先祖を礼拝していました。そして、清明節(お墓参り日)、龍船節、中元節、中秋節といった祭りの時期になると、祖父と祖母は沢山の肉、ベジタリアン料理や果物を備えたり、金神を沢山燃やすなどして偶像を礼拝しました。さらに、中国の太陰暦における元日には私の家族全員が仏陀を礼拝しに伽藍に足を運びました。また、私たちは毎年礼拝用のキャンドルに火を付け、その年が家族の誰かにとって運命の年であれば、彼は太歳神を礼拝しに行って、捧げものをする必要がありました。これ故に、私は自然と偶像を礼拝することを自分の生活の一部として見ていました。

    私は修士課程を修了した後、最初の仕事に就き、正式にキャリアをスタートさせ、彼女とのお付き合いも順調でした。しかし、現実は想像していたほど簡単ではありませんでした。私の仕事はストレスの溜まる仕事で、製造過程における問題が沢山あり、私はそれを解決する必要がありました。私は仕事で困難に遭遇すると、その仕事を辞めて他の仕事を探したくなることが何度もありました。逆境に直面すると、人々はよく宗教の力を求めて現状を変えようとします。私も例外ではありませんでした。一度、自分の将来の結婚生活、仕事、そして運勢を知りたかった私は、とても正確な預言をすると言われていた寺院の住職の所に行って自分の運勢を占ってもらったことがありました。そこで、私は住職がつり香炉の方を見ながら何かをつぶやくのを目にしました。その数分後、彼は私にこう言いました、「あなたは今の仕事で次第に出生して、現在のガールフレンドは将来あなたの妻となるでしょう。」彼の言葉を聞いた私は喜びであふれそうになってこう思いました:「どうやら明るい将来を期待できそうだな。キャリアでも最高の地位に上がれそうだし、愛する彼女のために家も建てられそうだ。」これを聞いて私はこの上なく幸せで満足な気分になりました。こうして、私は住職に対する感謝の気持ちとして少し寺院に寄付をしてから幸せな気分で家路に就きました。

    しかし、私は悪い仲間と知り合いになったことで自分に不運が起るとは思ってもいませんでした。一度、海外旅行中に、私は一緒にいた仲間から自分のスーツケースにヘロインを入れられてしまい、中国に帰国した後、薬物所持で起訴された結果、それに5年間も巻き込まれてしまったのです。この当時、私の母は私の運勢を占ってもらおうと沢山の寺院の占い師の所に行きました。しかし、彼らの言うことは違いました:私は台湾北部にのみ属し、中部と南部でキャリアアップを図っても失敗するだけだという人がいたり、私は関羽のみを礼拝することができ、他の偶像を礼拝しても意味がないと言う人もいました。しかし、私は関羽をどのように礼拝しても、最終的に私の起訴の評決が下され、私は冤罪を被って4年半も刑務所に入れられてしまったのです。その後、私は刑務所から出ると、彼女にふられ、たて続けに転職するはめになり、私は自分のキャリアは悪化の一途をたどっているような気がしました。そして私はこう困惑し始めました:「住職は私と彼女の過去については正確に占うことができたのに、将来の運勢になると、どうして当時言っていたことは現実と全く違うんだろう?」次第に、私は自分が礼拝していた偶像に対して疑いを抱くようになりました。しかしながら、私は幼い頃から祖母が偶像を礼拝している様子を見てきたので、心の中では依然として偶像を信じていました。

    家に帰り,仏教徒,真の神

    悪い出来事が立て続けに起ってから、様々な偶像を礼拝したり、修道院長を頼りにしても何の効果が得られなかった時、私は母が大腸がんを患っていることを知り、晴天のへきれきであったこの知らせを受けた私は精神的に参りそうになりました。私は一度、媽祖廟に行って母がこの困難を切り抜けられるよう女神にお願いしようと考えたり、自分の先祖に助けてを求めようと思ったことがありましたが、私はこれら偶像に対して疑念を持っていたことに加えて、自分の事業で多忙にしてもいたので偶像の礼拝にはずっと行っていませんでした。

    その後、私は病院で母の世話をしていた時、Facebookでブラジル在住の中国人と知り合いました。彼女は私にキリスト教の信仰に興味があるかと聞いてきました。私はすかさずこう応えました、「話は聞いてもいいですよ。」そして、彼女は私に2人の兄弟を紹介してくれました。彼らは私たちのオンラインでの会話を通じて私が仏教家庭で育ったことと偶像に関して困惑していたことを知った後、真の神と偽の偶像の見分け方を交流してくれました。
    私は彼らが交流してくれた内容を未だに覚えています:「第1に、真の神は天と地と万物を創造する力を持っておられます。聖書の創世記には神は天と地と万物を創造されたと記録されています。聖書以外に誰が天と地と万物を創造したのかについて記載してある書籍は存在しません。例えば、釈迦仏。彼はヨガの練習をして、ゴータマ・ブッダの菩提樹の下で仏陀になりました。これは、彼が仏陀になる前に、神は既にゴータマ・ブッダの菩提樹を創造しておられ、万物は仏陀によって創造されていなかったこと、まして人類の創造については言うまでもないということを十分に証明しています。これ故に、天と地と万物を創造できる御方のみが真の神なのです。

    第2に、真の神は永遠無窮であり、自存し、常に存在しています。偽の偶像はと言うと、それらの歴史を調べさえすれば、それらがどこから生まれてきたのかが分かります。その大多数が人間であり、それらが亡くなった後、人々は神として礼拝し始めたのです。彼らは生きていた間、一度も自らを神であると言ったことはないのです。例えば、李修縁(済公)は生きていた時に多くの人々を助けたため、その後の世代の人々から敬意を表して「生き仏」と呼ばれていました。関羽(関公)もまた恩主公と呼ばれていました。三国時代の中、彼は戦争中に戦争の影響で苦労していた人々に穀物を分け与えたことで、その名誉を恩主公として讃えられました。加えて、林黙娘(媽祖)もいます。彼女は災難に見舞われている漁師や遭難船を救うため、海の上に頻繁にその姿を現したと言われており、それを理由に人々から広く尊敬されています。これより、これらの人々は人間から神と呼ばれるようになり、当時以降の世代の人々から礼拝されていることが分かります。これ故に、何世代にも渡って人々は皆彼らを神として礼拝してきたのです。これは人間が自分たちで偶像を作り上げたことを意味しています。これを踏まえて、このような偶像があなたを大切にし、守ることができると思いますか?

    従って、私たちはいのちの源を見つけ、人類に天と地、そして万物を創造なさった御方を求める必要があるのです。万物の主権者はたった御一方しかおらず、その御方はまことで生ける神なのです。この神こそが、私たち人間を創造され、私たちを今日まで導いてくださり、私たちの私生活を支配しておられるのです。私たちが必要とするものは全て、この唯一なる真の神、すなわち創造主が備えてくださっているのです。」

    2人の兄弟の交流を聞き終えた後、私の頭の中は急にすっきりしました。私は次の理解に至りました:「私が以前礼拝していた偶像は全て私たちが自分たちで作り上げていたものであり、私たちの先祖に神として尊敬されていただけだったのです。それらは真の神ではないのです。私がどのように礼拝しても、私の願ったことが一度も現実化しなかったのは不思議ではないのです。実際、真の神は全世界に御一方だけなのです。その御方こそが天と地と万物を創造され、万物を支配される創造主なのです。」その後、2人の兄弟は私とさらに交流してくださったので、私は神による創造と神の主権についてもっと理解することができました。

    この兄弟たちが私に福音を説いてくれた間、私は彼らは思いやりがあり、誠実であると感じました。彼らは私に神の御言葉を沢山読んでくれて、それからは気候変動について、そして世界中で災害がより頻繁に起っていることについて話し始めました。また、彼らは、私たちが毎日遭遇する人々、出来事、そして物事は私たちを偶然訪れて来るのではなく、私たちの回りの物事もたまたま起こるのではなく、むしろ神によって統治され、用意されているということも話してくれました。彼らの交流を聞いた後、私はこれら全てに隠された秘密を少し理解できました。私は以前理解できなかったことを沢山理解できるようになり、神の御言葉について増々興味を持ちました。私は真の神が表す御言葉について、そしてこれら啓蒙的な御言葉が私たちに伝えてくださることをもっと知りたくてたまらなくなりました。この後すぐ、私は神の働きを真剣に調査する決心をしました。

    その後、私は神のこの御言葉を目にしました、「神の業に制約的部分は一切なく、また業が人間や物事による阻害を受けることはなく、また神と敵対する勢力により混乱させられることもない。…またイエスの業は、人間を自由にし、解放し、人間が光のなかに存在できるようにし、生きることができるようにする道であった。そして、偶像や偽の神を崇拝する者は、サタンの呪縛を受け、様々な規則や禁忌の制約を受けながら日々を過ごす。今日は何かが禁止されているが、明日はまた別の何かが禁止され、こうした者の生活に自由はない。こうした者は手かせ、足かせをされ、喜びについて何ら語ることがない、囚人さながらである。『禁制』とは何であろうか。それは、制約、束縛、そして邪悪である。ある者が偶像を崇拝するということは、とりもなおさず偽の神を崇拝し、悪霊を崇拝することである。そうした崇拝には制約が伴う。あれとこれを食べてはいけない、今日は外出できない、明日はコンロを点けてはならない、その翌日は転居してはならない、婚礼や葬儀、さらにお産まで、特定の日を選ぶ必要がある。こうした状況を何というか。こうした状況を『禁制』という。禁制は人間による呪縛であり、サタンの手かせ、足かせであり、邪悪な霊がそれを支配し、人間の心身を束縛する。こうした禁制が、神に存在するであろうか。神の聖なる存在について述べる場合、神には禁制が皆無であることを、まず考える必要がある。神の言葉と業には原則があるが、禁制はない。なぜなら、神こそが真理であり、道であり、いのちだからである。」(「神の働き、神の性質、そして神自身 3」より)神の御言葉はとても現実的で、神の仰った御言葉は正に真実であります。私は偽の偶像を礼拝するようになった後、毎日のように何かと禁止されていることがありました。私の運命の年が来た時、私は私の星が一時的に太歳神と衝突するかもしれないから、その年を安全に過ごせるよう寺院に行って太歳神に供え物をするように言われました。それに、7か月目の太陰月には地獄口が開くと言われていたので、私の家族は私が水を供なう活動をするのを禁止し、ウォータースポーツが大好きだった私はその月はウォーターパークに行くことが全くできませんでした。交通事故で入院していた親戚の見舞いに行くときですら、私たちはその日が病人を見舞いに行くのに適した日かどうかを通勝で確認する必要がありました。ふり返ってみると、禁止事項は本当に多過ぎるほどあり、それによって私は全てにおいて抑制され、普通の人間としての生活まで失ってしまったのです。これはとても有害なことだったのです!

    家に帰り,真の神,偽の偶像

    そして、私はさらにこの神の御言葉も目にしました:「それでは、サタンはどのような手段を用い、どのような言葉であなたにサタンを信じさせるであろうか。たとえば、あなたが自分が何人家族かをサタンに伝えていないかも知れないが、サタンはあなたが3人家族で、7歳の娘がいると言うだけでなく、あなたの両親の年齢まで言うかも知れない。あなたが最初に疑念を抱いているとすると、それを聞いてサタンを少し信用出来ると感じるのではなかろうか。(その通りである。)するとサタンは『今日の仕事は困難で、あなたは上司から然るべき評価を受けられず、上司は常にあなたに反対している。』などと言うかも知れない。それを聞いたあなたは『まさにその通りだ。仕事はまったくうまくいっていない。』と思うであろう。それで、あなたはサタンをさらに信じるようになるであろう。そして、サタンは別の事を述べてあなたを騙し、さらにサタンを信じさせ、あなたは少しずつ自分がサタンを拒否することも、疑うことも出来なくなっていることに気付くであろう。サタンは些細な策略や、つまらない策略を何回か用いるだけで、あなたを魅惑しようとする。あなたは魅惑されているので、自分の姿勢を保つことが出来なくなり、何をして良いか分からなくなって、サタンの言葉に従い始めてしまう。これが、人間を腐敗させる上でサタンが用いる「実に聡明な」手段であり、その手段により、あなたは無意識のうちにサタンの罠にはまり、誘惑される。… それは何故であろうか。それは、人間に真理が欠如しているため、人間はサタンの誘惑に対抗することが出来ないためである。サタンの邪悪さと狡猾さ、欺き、悪意に対して、人間は極めて無知であり、騙されやすく、弱いであろう。これは、サタンが人間を腐敗させる方法のひとつではないだろうか。(その通りである。)」。(「唯一無二の神自身 5」より)私はこの神の御言葉を読んだ後に突然、初めて光が見えました。どうりでサタンは過去の出来事について話すことができるわけです。サタンは私たちの知らないことを私たちに言って、私たちがサタンを礼拝し、真の神から遠く離れてしまうように私たちを騙すのです。サタンと悪霊はとても卑劣なのです!

    祖母の影響を受けていた私は幼い時に迷信を信じるようになりました。私は大人になった後、自分の将来と運命を知りたくて、幾度となく修道院長に自分の運勢を占ってもらいに行きましたが、私は毎回幸せな気分から一変して動揺させられていました。それはこの人たちが口先だけの悪霊であり、私の将来などほんの僅かも知らなかったということで、それはなぜなら私たちの運命は神の御手にあるからです。

    その後、私はしばらく集会に参加し、神の御言葉を読んだことでサタンの策略を見抜き、それに関する見識を得て、迷信を信じたり、偶像を礼拝することを止め、代わりに、唯一なる真の神、すなわち神に従いました。さらに、私は神の御言葉から人生における真の拠り所と方向性を見つけました。神はこう仰りました:「人は神に造られたのだから、もともと神を礼拝すべきであるが、人が神に背いてサタンを礼拝してしまった。サタンは人の心の中の偶像になった。こうして、神は人の心における地位を失い、つまり人を造った意義を失った。だから、彼が人を造った意義を回復しようとするなら、人に本来の似姿を回復させ、人に堕落した性質を脱ぎ捨てさせなければならない。人をサタンの手から奪い返すには、必ず人を罪の中から救い出さなければならない。このようなやり方によって、彼は次第に人に本来の似姿を回復させ、本来の機能を回復させる。そして遂には、彼の国を回復する。」(「神と人は共に安息に入る」より)「…人がどんなに努力しても、奮闘しても、神の配慮、守り、備えなしには、人は受け取るはずであったものを何も受け取ることができないということである。神からのいのちの供給なしには、人は生きる価値を失い、いのちの意義を失う。」(「神は人のいのちの源である」より)。

    神に感謝します!神の御言葉を読んだ後、私の心はさらに啓発されました。私はこう気が付きました:「私たちは元々神に創造いただいたのだから、神を礼拝すべきなのです。それにもかかわれず、私たちはサタンに操られるようになって以来、誤ってサタンを父とみなし、天と地と万物を創造された唯一なる真の神を礼拝せず、むしろ人々が自ら作り上げた偽の偶像たちを礼拝していたのです。結果的に、私たちは世の終わりの神の救いを探求しても、受け入れてもいなかったのです。」こう分かった後、私は自分が極めて無知あったと感じ、サタンがとても卑劣であることも深く学びました。サタンは私を酷く傷つけ、40年にも渡って私を悪霊の命令の支配下にある慰み者としながら暗闇に閉じ込めていたのです。今日、私は神の御言葉を読み、そして兄弟姉妹の交流と助けを受け、神の御恵みによってついに真のために偽を捨て去り、創造主の前に行って神の働きについて行っています。

    私は神の御言葉を読んで次のことも知りました:「過去に、私は偽の偶像を礼拝し、供え物もしていましたが、それは祝福を受けるため、明るい将来を手にして良い結婚相手を見つけるため、社会で成功を収めるため、そして信仰を頼りにして利益を手にするためでした。これは偽の信仰に過ぎないのです。私は元々神に創造いただいた創造物なのですから、真の神を礼拝することは私の本分であり、責任なのです。」私は真の神を識別できるようになり、神の御言葉を読み、いのちの方向性を見つけられるようになった今、神を信仰する道を上手に歩んで、適切に真理を追い求める必要があります。そうすることで、私は真の形で神に服従できるようになり、やっと神のものにしていただけるのです。神に感謝します!

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