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主の再臨をお迎えする大変な経験 (II)

全能神はこうおっしゃっています。「ヤーウェの働きからイエスの働きに至るまで、イエスの働きからこの現段階の働きに至るまで、これら三段階は神の経営全体を隙間なく覆うものであり、またそのすべてが一つの霊による働きである。創世以来、神は常に人類の経営にいそしんできた。神は初めにして終わりであり、最初にして最後であり、時代を始める存在にして時代を終わらせる存在である。異なる時代、異なる場所における三段階の働きは、間違いなく一つの霊の働きである。これら三段階を切り離す者はみな神に敵対している。今、第一段階から今日に至るまでの働きが、すべて一つの神の働きであり、一つの霊の働きであることを、あなたは理解しなければならない。そのことに疑いの余地はあり得ない。」「ヤーウェの働きの後、人のあいだで神の働きを行うためにイエスは受肉した。イエスの働きは単独で実行されたのではなく、ヤーウェの働きの上に築かれた。それは律法の時代を神が終わらせた後の新しい時代のための働きであった。同様に、イエスの働きが終わった後、神は次の時代のためにさらに神の働きを続行した。神による経営(救い)全体はいつも前進しているからである。古い時代が過ぎると、新しい時代に置き換えられ、古い働きが完了すると、新しい働きが神の経営を続行する。今回の受肉はイエスの働きの完了に続く神の二回目の受肉である。もちろん、この受肉は単独で起こるのではなく、律法の時代と恵みの時代の後の第三段階の働きである。神の働きの新しい段階はそれぞれいつも新しい始まりと新しい時代をもたらす。そこで神の性質、神の働き方、神の働く場所、神の名にもそれに付随した変化がある。したがって、人にとっては、新しい時代の神の働きを受け入れるのが難しいのは無理もない。しかし、いかに人が反対しようと、それには関係なく、神はいつも自分の働きを行っており、いつも人類全体を前方に導いている。イエスが人の世に誕生した時、イエスは恵みの時代をもたらし、律法の時代を終わらせた。終わりの日において神はもう一度肉となり、今回人間の姿になった時、神は恵みの時代を終わらせ、神の国の時代をもたらした。神の二回目の受肉を受け入れる人々はすべて神の国の時代に導かれ、直接神の導きを受け入れることができるだろう。イエスは人間のあいだでたくさんの働きをしたが、全人類の贖いを完了して人の贖罪のためのささげものとなるだけだった。人から堕落した性質のすべてを取り除くことはなかったのである。サタンの影響から完全に人を救うためには、イエスが贖罪のささげものとして人の罪を引き受けることが必要だっただけではなく、神にとっても、サタンによって堕落させられた人の性質を完全に取り除くためにもっと大きな働きを行うことが必要だった。そこで、人が罪を赦された後、神は人を新しい時代に導くために人間の姿に戻り、刑罰と裁きの働きを開始し、この働きは人をより高い領域に連れてきた。神の支配の下に従う人々はすべてより高い真理を享受し、より大きな祝福を受けるだろう。彼らは本当に光の中に生き、真理、道、いのちを得るだろう。

 全能神の御言葉を読んだあと、兄弟は説教を続けました。「ヤーウェ神の働きと主イエスの働きと全能神の働きが一つの全体として結びついたときはじめて、それは人類を救う神様の働き全体を構成します。実際、神様が新たな働きの段階を始められるたび、神様が表現なさる性質、神様が働きをなさる方法、御名、働きの場所は変わりますが、これら働きの三段階は密接に結びついています。主イエスはヤーウェ神の働きを土台として贖いの働きをなさいました。終わりの日、全能神は主イエスによる贖いの働きを土台として真理を表現なさり、神様の家から始まる裁きの働きをなさっているとともに、創世以来ずっと隠されてきたすべての奥義を私たちにあらわされています。例えば、人類全体が今日までどう発展してきたかや、三段階の働きの奥義や、人類の将来的な終着点などです。加えて、神様は真理を表現なさって私たちの罪深い本性を暴き、反抗と不正を裁き、罪を清める道を示されてきました。神様による終わりの日の裁きの働きを受け入れる人はより多くの真理を理解し、自分のサタン的な本性をより識別し、神様の犯すことができない義なる性質をより理解して、徐々に真理を実践に移し、サタン的な本性の束縛から解放され、神様を畏れ悪を避ける道を歩むようになります。堕落した性質が清められるとき、私たちは神様に従い神様を畏れる人になり、神様の祝福のもとで生きることができ、人類を救われる神様の働きも終わりを迎えます。それは黙示録の預言の通りです。『事はすでに成った。わたしは、アルパでありオメガである。初めであり終りである。かわいている者には、いのちの水の泉から価なしに飲ませよう』(ヨハネの黙示録21:6)」

 神様の御言葉と兄弟の説教を通じ、神様の働きの各段階が以前の段階の上に築かれること、直前の段階よりもさらに高いこと、神様の働きの三段階がすべて一緒になって人類を救われる神様の働き全体を構成することを理解しました。主イエスの贖いがなければ、人類は永遠に律法の下で暮らしていたでしょう。神様がおいでになって罪を取り除く働きをなさらなければ、私たちは罪を犯しては告白するという状態の中で生きるだけで、罪の束縛から決して自由になれないでしょう。神様による終わりの日の裁きの働きを受け入れて初めて、私たちは自分の堕落した本性を理解するとともに、自分の肉を捨てて真理を実践し、性質の変化を成し遂げます。そのときはじめて、天国へ入るのにふさわしくなるのです。すると兄弟は神様の働きの三段階が描かれたカラフルな画像を送信し、人類を救われる神様の三段階の働きをより明確に理解できるようにしてくれました。神様が働きを行なわれる方法、働きの場所、神様の御名は各時代で異なるものの、働きの三段階はすべて密接に結びついていて、各段階が欠かせないことを私は知りました。神様は人を一歩一歩サタンの支配下からお救いになりますが、神様の素晴らしさとお知恵に深く感動せずにはいられませんでした。神様以外にこの働きを行なえる者はいないのです。その瞬間、私は信じられないほどの解放感を覚え、もはやその兄弟を排除することなく、私たちの集会もよりくつろぎと活力に満ちたものになりました。

神様の働きを知って子羊の足跡に従うようになる

 その後、兄弟が神様の御言葉の二節を送ってくれました。全能神はこうおっしゃっています。「三つの段階の働きは一人の神によってなされ、そしてこれは最も偉大なビジョンであり、神を認識するための唯一の道である。三つの段階の働きは、神自身にしかできなかったことであり、誰も神の代わりにできることではなく、要するに、初めから今日まで神自身の働きは神にしかできないのである。」「三つの段階の働きを知り、正しく認識できる者だけが、完全にまた正確に神を知ることができる。少なくともその人たちは神をイスラエル人の神、あるいはユダヤ人の神とは定義しないし、人のために永久に十字架にくぎ付けにされる神とは見ないだろう。もし神の働きの一段階だけから神を認識するようになるのならば、その認識はあまりにも少なすぎ、大海原の一滴に過ぎない。そうでなければ、なぜ多くの古い宗教家達が神を生きたまま十字架に磔にしたのか。それは人は神を限られた範囲に制限するからではないのか。

 兄弟はこう説教しました。「神様の御言葉から、神様の働きの三段階を知ることは神様を知る道だと理解できます。神様の働きの三段階を知って初めて、神様の全体的な性質、神様が人類を救われる数多くの方法、神様のお知恵を知ることができ、人類を救われる神様の意図を残らず理解して、それによって私たちが神様に抱くであろう観念や誤解を一掃できるのです。神様に関する認識が神様の働きの一段階にとどまったままで、神様はヤーウェと呼ばれ、律法を布告して人類の生活を導かれることしかできなかったとか、神様は主イエスと呼ばれ、人類に恵みをお授けになることしかできなかったとか考えるなら、私たちはごく簡単に自分の観念と想像を基に神様を規定してしまいます。現在、宗教界の牧師や長老の多くは主イエスの働きだけに固執し、十字架の上でなされた贖いの働き以外は神様の働きではなく、イエスの御名をもたない者はお戻りになった主ではないと考えています。彼らは全能神による終わりの日の働きを全力で拒んで断罪し、信者が真の道を考察するのを防ぐべく全能神に関する噂さえ広めています。彼らとファリサイ人の違いは何でしょう。最も偉大なビジョン、つまり神様の三段階の働きを知らず、謙虚に探し求める心をもっていなければ、私たちは簡単に当時のイスラエル人と同じようになり、宗教指導者に従って神様の到来を断罪してそれに抵抗し、神様を拒むことを行ない、最後は神様の性質に背いて神様の救いを失ってしまいます」

 兄弟の説教を聞いたあと、自分が神様の働きを何一つ知らず、盲目的に牧師の言葉に耳を傾けていたせいで、主の再臨をお迎えする機会を危うく逃すところだったことを思い出しました。そのときあまりにも愚かで無知だったことについて、私は心から自分を憎みました。同時に、私の心は主への感謝で満たされていました。私は言いました。「神様、感謝いたします。全能神と主イエスが一つの神様であることを、私はいま知っています。神様のあわれみと恵みがなければ、当時のイスラエル人と同じようになって宗教指導者に惑わされ、主をお待ちしながら主に抵抗して拒否し、最後は神様に捨てられ淘汰されていたでしょう」

 兄弟は言いました。「神様、感謝いたします。私たちは一つの神様によってなされる働きの三段階を理解していますので、全能神に従うのが主イエスを裏切ることではなく、お戻りになった主イエスをお迎えして子羊の足跡に従うことだと知ることができます。黙示録にこう記されている通りです。『小羊の行く所へは、どこへでもついて行く』(ヨハネの黙示録14:4)」

 姉妹と私はそれを聞いてとても感激しました。子羊の足跡に従えることはかくも大きな祝福だからです。私の愚かさと無知を忘れてくださり、私が兄弟の説教を通じて中国共産党による噂を見抜けるようにしてくださるとともに、観念と想像を捨てて主の再臨をお迎えできるようにしてくださったことについて、主に感謝いたします。その後、私は兄弟姉妹と集会に出席するようになりました。神様の御言葉を読んだり、全能神教会による福音動画を見たりすることを通じて、以前に理解していなかった数多くの真理を理解するようになりました。一ヶ月後には、全能神はお戻りになった主イエスだと心から確信するとともに、神様の終わりの日の働きを受け入れました。神様、感謝いたします。全能神にすべての栄光あれ」

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