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聖書の言葉-賢い者と思慮のない者・箴言 22章3節

聖書の言葉

賢い者は災を見て自ら避け、思慮のない者は進んでいって、罰をうける。

この聖句から教えられたことは、我々の日常生活の中にはどのような人と物事を接すればいいのか、真の聡明な人は、心の中に神様の地位があり、神様に従順し畏れ敬い、何かあった時に神様の御心を追い求め、自分の好みと想像によって接さず、ゆえに神様の啓きと導きが得られ、これらの事を見分けられ、どの事が自分に災いをもたらすかが分かり、彼は災いを見て自ら避け、害されないように。これは自分の「いのち」に責任を負うことです。愚昧無知な人はこれらに弁別がなく、何事に臨む時に真心をもって神様に祈らず、神様の御心を追い求めず、結果に関心を持たず、自分に益があれば進んでいって、結局これらが災いであることが分からないので、害されます。この邪悪な時代で、人を神様から離れさせ、堕落し犯罪させる悪いことがたくさんあり、何事に遭った時に、是非弁別を論じず、自分の肉の好みと欲望で扱われば、容易にサタンの探りに陥り、サタンに捕られ、サタンに苦しめられ、悪いことに従って罪を犯し神様に抵抗さえする恐れがあります。

どのようにして賢くって思慮深い人になって、災難が来ると見れば身を隠すことができるでしょうか?神はこう言われました。「あなたの心を外に引き付けるものに触れてはならない。また、神からあなたの心を引き離す可能性のある人々と接してはならない。あなたの心が神に近付くのを邪魔する可能性のある物事は何であれ、全て捨てるか、近付かないようにしなさい。その方があなたのいのちにとってより有益である。」(「神の前で心を静めることについて」より)神の言葉は明確にしています、私たちが何かをしなければならない時、私たちはこのようなことをすることが私たちの心を神から遠ざけるかどうかについて考える必要があります。もし、神との間の正常な関係を破壊するようなことなら、私たちは肉を裏切って行かなければなりません、また、肉を捨て去る意志と力を私たちに与えるために神に頼って祈らなければなりません。このように実践する人は悪を行うことを避け、私たちのいのちが損失しないように守ることが出来ます。

聖書の言葉,賢い者は災を見て自ら避け,思慮のない者は進んでいって,罰をうける,箴言

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