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聖書の言葉-望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい

聖書の言葉

望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい。

生活上で、私たちが直面している苦境にかかわらず、不平を言ってはいけません、悲しんではいけません、避けてはいけません。忍耐強くなることを学び、いつも喜び、すべてが神の赦しと神のご厚意があることを信じることです。「たゆまず祈る」、神様は私たちが困難な時にのみ祈ることを望みません、常に祈りによって神様との交わりを保つことを望んでいます。神が言われたように、「神が人類を創造し、魂を与えた後、もし彼らが神を呼び求めなければ、彼らは神の霊と繋がることができず、したがって天からの『衛星テレビ放送』は地上で受信できないように神が定めた。神がもはや人々の魂の中にいなければ、他のものが入り込める空席が残され、そこにサタンが入り込む機会をつかむ。人々が心から神と繋がれば、サタンはただちにパニックに陥り、大急ぎで逃げ出す。人類の叫びによって神は彼らに必要なものを与えるが、初めから彼らの中に『住む』ことはない。神は彼らの叫び求める声によっていつも援助するだけで、人々はその内面の力から忍耐力を得るので、サタンは思うままに人の心に入って『遊ぶ』ことはしない。このように、人々が常に神の霊と結びついていれば、サタンは混乱を引き起こしに来ようとはしない。サタンが混乱を起こさなければ、人々のすべての生活は正常であり、神はまったく妨害なしに彼らの中で働く機会を得る。こうして、神が行いたいと思うことは人間を通して達成することができる。」

私たちは祈りによって神の霊とつながっています、また神は私たちの祈りを通して私たちに必要なものを与えてくれます。ある時のことです、私はある姉妹と一緒に本分を行う時、彼女は私と相談せずに一人で決めて、そして自身の意志で行った結果、間違いを出してその後に私はやっと知ることができました、その上事情はまだ私が片付けなければなりませんでした。私は当時とても怒っていて、特に彼女に腹を立てたい、問いただしたいと思いました:“なぜ今まで言わずに間違いを犯してから言うのか、私も余計な事を心配したくありません、自分で解決すればよい!”しかし、私はクリスチャンであり、異邦人のようなことは出来ません、私は正常な人間性を生きるべきです。その時、私は神の前にきて祈りました、私は怒りたくないが、しかし私は自分自身を拘束することができません、神様私の心を安静できるように導いてください。すると不思議なことに、ひざまずいて祈り始めたとき、私はとても怒っていましたが、祈った後、怒りが消え、心も落ち着くことができました、彼女が私に彼女のせいだと言っていなくても、怒ってしまうのは間違っていることだと感じました。神は誰が合理的で、誰が理にかなっていないかを見ていません、神は真理を実践できる人、神の御言葉に従う人のみ見ています。その時私は本当に人間にできることはないが、神には何でもできるのだと強く感じることができました。私たちが神に祈り、神に頼っている限り、神は私たちに与えるでしょう!ア-メン!

聖書の言葉,望み,喜び,患難に耐え,常に祈りなさい

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