ヨハネによる福音書20章29節:どのようにトマスの不信になることを避けるのか

    2020年 05月 15日

    【編集者メモ】トマスは主を見てから、主イエス復活されたことを信じました。そのため、トマスの信仰は主に罪に定められ、永遠に神様の祝福を失ったのです。終わりの日に、私たちはどのようにトマスから教訓を得て、主を迎えるのでしょうか。この文章はあなたにその答えを教えます。

    今は既に終わりの日の末期であり、主を迎えるこの肝心な時に、クリスチャンは主イエスの再来を待ち望む心が切実になっています。多くの人は皆主が雲に乗って降臨されるのを待ち焦がれていますが、大きな災害がまもなく降りかかり、私たちはいまだに主が雲に乗って降臨されるのを見ていません。これはいったいなぜでしょうか。まさか私たちは主の再来を迎えることにおける実践を間違えたのでしょうか。これによって、私は聖書に記載されているトマスのことを思い出しました。主イエスが受肉されて働きを行われた間に、トマスはいつも疑いを抱き、心では主イエスがキリストであることを信じていませんでした。トマスは主イエスが復活されたことを聞いた時でも信じず、自分の目で主の霊体を見てから信じたのです。最終的に彼は主イエスから「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである。」という宣告を受けたのです。トマスの物語は私たちすべての主の再来を切望している人にとって一つの警告です。もし、私たちは主を迎えることにおいて、ただ自分の目で見るだけによって、真理を尋ね求めないなら、トマスと同じ誤りを犯してしまうのではないですか。これは災害の前に携挙される機会を簡単に失ってしまうのです。このことから、私たちは主を迎えたいなら、トマスの神様への信仰における失敗の根源を理解し、トマスの誤った道を避けることが極めて重要であることが分かりました。次に、一緒に交流して探究しましょう。

    ヨハネによる福音書20章29節

    聖書の中にこう記載されています。弟子たちがトマスに主イエスが復活された知らせを教えた時、トマスは言いました。「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない。」(ヨハネによる福音書20:25)「 イエスは彼に言われた、『あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである』。」(ヨハネによる福音書20:29) 実際のところ、トマスは主イエスに従った間に主の御声に耳を傾けず、主イエスの説教がどれほど高くても、人に対してどんなに益になっても、彼はその中から、主の語られた言葉は真理を持っているかどうか、神様の声であるかどうかを尋ね求めなかったのです。いくら彼が何年神様を信じても、結局主イエスの本当の身分を認識することができなかったのです。そのため、彼は常に主イエスの身分に対して疑念を抱き、主イエスがキリストであることを信じず、これは彼の神様への信仰における失敗の根源です。まさにトマスは神様の声を聞き分けられなかったため、主イエスの身分を疑ってかかったのです。主イエスは十字架に釘付けにされる前に、弟子たちにご自身が死後に復活することを言われました。トマスは主の御言葉が成就されることを信じず、彼は弟子たちから主イエスが復活されたと聞いた時、依然として信じず、自分の目で、主イエスの復活された後の霊体が彼の前に現れたのを見てから信じたのです。主イエスが復活された後の霊体で彼に現れた時、彼は自分の目で主イエスの霊体を見て、主の釘痕を触ってから、主イエスが既に復活されたことを信じ、主イエスがキリストであることを確定したのです。しかし、その時は既に手遅れになり、彼の結末は既に定められ、永遠に神様の祝福を失ってしまったのです。

    私たちは主を迎えるこの肝心な時に、トマスと同じ誤りを犯しているのです。主が既に受肉して戻られたという証しを聞いた時、あくまでも信じず、神様の声であるかどうかを自ら進んで考察もぜず、白い雲に乗って来られなかったら、主イエスではないと堅く信じ、どうしても自分の目で主イエスの復活後の霊体を見てからでなければ信じない、これは私たちがなかなか主を迎えられない根本的な原因です。ある人は、私たちは預言に基づいて主が雲に乗って降臨されるのを待ち望むのは間違いなのかと言うかもしれません。私たちは聖書の中の主の再来に関する預言がたくさんあり、主が雲に乗って降臨される預言があるだけでなく、受肉されて密かに降臨される預言もあることを知らなければなりません。例えば、主はこう預言されました。「見よ、わたしは盗人のように来る。」(ヨハネの黙示録16:15)「だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。」(マタイによる福音書24:44)「いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。」(ルカによる福音書17:24~25)「人の子」と言えば、人間から生まれ、正常な人間性を持つことを指しているのです。もし、霊或いは主イエスの復活後の霊体であるなら、「人の子」と呼ぶことができません。そのため、これらの預言は、主の再来は災害の前に受肉して密かに来られて働きをなさることを指しているのです。私たちの想像によって、主の再来は復活後の霊体で雲に乗って降臨されるならば、主が密かに降臨される預言はどう実現されるのですか。当時、トマスは主イエスが死者から復活される預言を信じず、まさか私たちも主が密かに降臨される預言が実現されることを信じないのでしょうか。私たちはいまだにトマスの失敗した道を繰り返すのでしょうか。主イエスははっきりと私たちに教えてくださいました。「夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。」(マタイによる福音書25:6)「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」(ヨハネの黙示録3:20)「わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。」(ヨハネによる福音書10:27)ここから分かるのは、主の再来はご自身の語られた言葉を用いて私たちに戸を叩き、主を迎えるのに最も肝心なのは神様の声に耳を傾けることだということです。そのため、私たちはトマスの失敗から教訓を得て、主を迎えることにおいて、自分の目で主が雲に乗って降臨されるのを見ることだけによって信じてはいけなく、神様の声に耳を傾けることを重視すべきです。主が受肉して戻られたという証しを聞いたら、自ら進んで尋ね求め考察すべきです。神様の声だと分かったら受け入れて従ってこそ、本当に主を迎えて、主と共に宴席に着くのです。ペテロ、ヨハネなどの弟子たちのように、彼らは主イエスの言葉は権威と力を持つことに気づき、これこそ神様の声であることが分かり、最終的に主イエスに従って、主の救いを得られたのです。彼らは皆受肉された神様の語られた言葉を通して、主を迎えたのです。そのため、彼らは最も祝福された人です。

    ヨハネによる福音書20章29節

    もし、私たちが神様の言葉に従って、神様が密かに降臨される間に神様の声を聞いて主を迎えず、依然としてトマスのように、自分の目で見ることによって、主が雲に乗って降臨されるのを待つなら、私たちは主が雲に乗って降臨されるのを本当に見る時、どんな結果をもたらすのでしょうか。聖書にこう預言されています。「そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。」(マタイによる福音書24:30)「見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。」(ヨハネの黙示録1:7)ここから分かるのは、私たちが自分の目で主が雲に乗って降臨されるのを見るとき、その時はちょうど地上の諸族が胸を打って嘆く時です。理屈から言えば、人々は主を見たら、喜んで主を迎えるはずですが、なぜ地上の諸族はみな嘆くのでしょうか。それは、終わりの日に主の再来はまず災害の前に受肉されて密かに降臨され、真理を語られて人を裁き、清める働きをなさり、それらの神様の声を聞いて尋ね求めて受け入れる人が賢い乙女であり、神様の前に引き上げられるからです。彼らは神様の裁きと清めを受け入れ、神様に勝利者にされた後、神様の受肉されて密かに降臨される働きが完了するのです。その後、大きな災害が降りかかり、善人をねぎらい、悪人を懲らしめるのです。その時が人の結末を定める時でもあります。災害の前に作られたすべての勝利者は、神様に守られて生き残るのです。しかし、それらの主イエスが雲に乗って降臨されるのを熱心に切望し、終始神様の終わりの日の働きを受け入れない人、ひいては終わりの日のキリストを罪に定める人は、徹底的に神様に見捨てられ、排除され、彼らを待っているのは、神様の義なる懲罰です。したがって、神様が災害の後に公然とすべての国とすべての民族に現れる時、彼らは自分が抵抗した終わりの日のキリストがまさに主イエスの再来であるのを知ってから、歯ぎしりして泣くでしょう。その時、主が雲に乗って降臨される預言が実現されるのです。「見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。」(ヨハネの黙示録1:7)

    今、全世界では全能神教会だけが公然と主イエスが戻られて、それは受肉された全能神であり、真理を語られて終わりの日の人を裁き、清める働きをさなり、災害の前に一群の勝利者を作られる証しをしています。これはまさに主イエスの預言を実現しています。「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。」(ヨハネによる福音書16:12~13)「わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう。」(ヨハネによる福音書12:48)また『ペテロの第一の手紙』4章17節にこう書かれています。「さばきが神の家から始められる時がきた。」全能神が語られた言葉は、ヨハネの黙示録の預言「御霊が諸教会に言うこと」であり、既にインターネットに載せられ、すべての国々とすべての地方の人に向けられ、自由に尋ね求め考察することができ、これは主が人々に戸を叩いているということです。しかし、一部の人は、主がどう戸を叩いても、耳を塞いで主の御声を聞かず、あくまでもトマスのように自分の目で見ることに基づくなら、神様が災害の前に密かに降臨されてなさった救いの働きを逃してしまうのです。主が雲に乗って公然と降臨されるのを見るときは、まさに懲罰を受けるときであり、その時になって後悔しても手遅れになるのです。まさに主イエスが言われた通りです。「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである。」(ヨハネによる福音書20:29)全能神も私たちにこのように警告されました。「わたしはあなたがたに言う。しるし故に神を信じる者は、滅ぼされる部類であることは確かである。肉に戻ったイエスの言葉を受け入れることができない者は、地獄の子孫であり、天使長の末裔であり、永遠の破滅を逃れることのできない部類である。多くの者はわたしの言うことに耳を傾けないかもしれない。だがそれでも、天からイエスが白い雲に乗って降臨するのをあなたがたが自分の目で見る時、これは義の太陽が公に現れることであると、わたしはイエスに付き従ういわゆる聖徒全員に伝えたい。おそらく、その時あなたにとって大いなる興奮の時となるであろう。だが、あなたがイエスが天から降臨するのを見る時は、あなたが地獄へ落ち、懲罰を受ける時でもあることをあなたは知るべきである。それは神の経営(救いの)計画の終わりを告げるものであり、神が善良な人々を報い、邪悪な者たちを罰する時である。神の裁きは人間がしるしを見る前に、真理の現れだけがある時には終わっている。真理を受け入れてしるしを求めることがなく、故に清められている人々は、神の玉座の前に戻り、造物主の胸に抱かれる。『白い雲に乗らないイエスは偽キリストだ』という信念に執着する者たちだけは、永久に続く懲罰を受けなければならない。彼らはただしるしを示すイエスしか信じず、厳しい裁きを宣言し真のいのちの道を解き放つイエスを認めないからである。そのような者たちは、イエスが白い雲に乗って公に戻ってくる時に取り扱うしかない。彼らはあまりに頑なで、自信過剰で、傲慢である。どうしてこのような堕落した者たちがイエスに報いてもらえるだろうか。」(『あなたがイエスの霊のからだを見る時は、神が天と地を新しくした時である』より)私たちはいったい神様が災害の前に受肉して密かに降臨されることを否定して、ただ主が雲に乗って降臨されるのを見ることを待って、災いを受ける人になりたいのでしょうか。それとも、主が雲に乗って降臨されるのを見ていない時に、主が受肉して再来され、なさった救いの働きを受け入れて、神様からの約束を受け取る人になりたいのでしょうか。これは、私たち個人の選択によって決まるのです。

    寄稿家:心語(スペイン)

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