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霊的戦い:子供が病気にかかったが、私は神様の特別な恵みを見ました(II)

娘が又しても病に陥り、祝福を求める私の動機が明らかにされました

その数日後、私は次女の太ももの内側にしこりのような物を発見しました。私が彼女を病院に連れて行くと、それはリンパ節だと医者は言いましたが、血液検査をしても原因は分かりませんでした。娘が声をからすほどに泣くのを見て私の心臓は引き裂かれそうになりました。切羽詰まった私の夫は地元で古くから伝わる治療法を見つけてきて、塩を熱し、それを毎日彼女の腫れ上がったリンパ節に塗りました。その数日後、しこりは少し小さくなったものの、無数の赤い斑点が彼女の体中に出てきたのです。私はもう一度彼女を急いで病院に連れて行きました。すると、医者は彼女を検査して、それはウイルスが引き起こしているもので、リンパ節内のウイルスを抑制することができれば、彼女は直ぐに良くなるけれど、発疹の上に水疱が出始めたら問題である、と言ったのです。これを聞いていると私の心はとても痛み、神を非難する心が又しても頭をもたげてきたのです:「彼女が病気になってからもう相当時間が経つわ。どうして彼女は良くならないの?私は祈って、悔い改めているのに。サタンはどうしてまだ娘をこんな風に痛めつけるの?神はどうして私の子供を助けてくれないのよ?」

集会の場で、私は自分の状態について話しました。ジン・ヤン姉妹は心配そうな口調で私にこう言ってくれました。「姉妹、母親として自分の子供が苦しむのを見ることはさぞ負担になることでしょう。でも私たちは信仰による人々です。私たちは、全てが神の御手の中にあると信じなければなりません。私たちは神の全能なる支配を認めなければならないのです。神のお許しがなければ、サタンはどれだけ暴れても私たちには何もできません。神の御言葉を一緒に読みましょう。」

私は読みました、「神から見ると、サタンは山に咲くユリの花よりも劣り、空を舞う鳥や海の魚にも劣り、地のウジ虫にも劣ります。万物の中におけるサタンの役割は、万物に仕え、人類のために働き、神の働きと経営計画に役立つことです。サタンの本性がどれほど悪意に満ちていようと、その本質がいかに邪悪であろうと、サタンにできるのは、神に仕え、神を際立たせるという、その役割に従順に従うことだけです。これがサタンの本質と立場です。サタンの本質はいのち、力、権威から切り離されており、サタンは神の手中にある玩具、神に役立つ道具に過ぎません」(「唯一無二の神自身 1」)

ジン・ヤン姉妹はこのように交流してくれました。「全能神の御言葉から、全能神の権威と御力が読み取れます。また、サタンの無力さ、卑劣さ、そして害悪も理解できます。私たちの考えとして、サタンは私たちを傷つけ、病気にし、不幸にさらすことができます。サタンは私たちを苦しめ、困らせ、人間にはできないことが出来るように思えます。しかし、神からしたら、サタンは地上の蛆にすら及びません。それは単に奉仕する物であり、引き立て役に過ぎないのです。それは神の働きを妨害し、邪魔することしかできず、全く何の能力も持っていません。神のお許しがなければ、サタンは私たちに何もしようとしません。ヨブが聖書に記述されている試練を受けた時も同じでした。サタンはヨブが神を恐れ、悪を避けていたことを嫌い、ヨブを滅ぼして神が栄光を手にできないようにしようとうずうずしていたのですが、サタンはいかに獰猛であろうとも、神のお許しなしにはヨブの頭の毛1本すら傷つけようとしなかったのです。これは神の権威が定められたことだったのです。あなたの子供も神の御手の中にあります。なので、神がお許しにならない限り、サタンは彼女を傷つけようとはしません。だからこそ、私たちはこのような状況に直面する時、神への信仰を持たなければならないのです。」

私は彼女の交流を聞いた後、心の中でこう思いました:「正にその通りだわ!神のお許しがなければ、サタンは私の娘に何もできないのよ。それは事実なんだわ!以前、神のこの御言葉を読んだことがあったのに、どうしてこの状況に直面したとたんに忘れてしまったのかしら?私の神への信仰はなんて薄いのかしら!」

ジン・ヤン姉妹は続けてこう交流してくれました:「神は意味の無い働きは一切されません。神の優しい御旨はこのような状況が私たちに降りかかることを許すということに込められており、それによって私たちが霊的にどれだけ未熟であるのか、そして私たちが神に対して真の信仰を大して持てていないということを示す事実を明らかにしてくださるのです。それはまた、私たちの信仰に対する考え方が間違っていることも明らかにしてくださりました。私たちは信仰する中で、常に祝福を求めること、取引をすることを考えており、不純な心を持ち過ぎているのです。姉妹、神の御言葉の他の節も読んでみましょう。」

私は熱心に読みました。「あなたがたは、神を信じる人は神を愛すべきであり、祝福のためでなく、神の旨を満たすためだけに努力すべきであると言うが、あなたがたの生活に現れているものはそれとは程遠く、ひどく汚れている。ほとんどの人は、平穏やその他の利益のために神を信じる。自分の利益にならなければ神を信じず、神の恵みを受けられないのであれば不機嫌になる。あなたが言ったことが、どうしてあなたのほんとうの霊的背丈でありえようか。家庭において避けられない出来事、たとえば子どもの病気、家族の入院、農作物の不作、家族からの迫害等については、このようなよく起こる日常的なことさえもあなたには過剰である。このようなことが起きると、あなたは当惑してどうして良いかわからなくなる。そして大抵、神について不満の言葉をこぼす。神の言葉に騙されたとか、神の働きに振り回されたと不平を言う。あなたがたはこのような思いを抱いていないのか。このようなことは自分にはまれにしか起こらないと思っているのか。あなたがたは毎日こうした出来事のただ中に生きている。あなたがたは神への信仰を成功させることや、いかに神の旨を満たすかについては少しも考えない。あなたがたの真の霊的背丈は低すぎて、ひよこの背丈よりも低い」(「実践(3)」)

ジン・ヤン姉妹はこのように交流してくれました:「神は私たちの信仰の誤った観念と動機を明かしてくださりました。私たちは、神を信仰しているのだから、神は私たちを守るべきで、家庭でも不幸が起るはずがない、私たちと私たちが愛する人たちは病気に罹らなくてよいはずだと思っています。物事がそうなれば、私たちは生気をもって信仰するのですが、そうでなければ否定的な姿勢の中を生きて神を非難してしまいます。時に、私たちは神に祈り、自分たちの堕落を省みて、神を頼り、このような不幸な出来事を神の御旨に委ねることもありますが、心の中では神が自分たちの要求を満たし、平安と祝福を与えてくださることを期待し続けています。神が私たちの要求を満たしてくれないと、私たちは神を非難し、状況がひどく悪化すると神を見捨ててしまう場合すらあります。これは、私たちは信仰する中でただ単に神と取引をしているだけで、それは恵みと平安を手にするためだけのものであるということを示しているのです。これはあまりにも不純過ぎます。神は創造の主であり、私たちは創造物です。神が私たちに平安と祝福を与えてくださっても、与えてくださらなくても、私たちが神を信仰し、礼拝すべきであるというのは、変わることのない天地の原則です。それは私たちの本分なのです。ならば、私たちは期待に反する状況に遭遇すると、どうして神を非難するのでしょうか?サタンは人類が堕落する全体的な原因です。サタンは常に人々を傷つけ、苦しめ、私たちの苦しみは全てそこから生まれています。神を信仰し始める前、私たちはよくサタンから傷つけられ、ありとあらゆる種の病に罹っていませんでしたか?ならば、どうしてサタンを嫌わないのでしょうか?それは良心と理知を顕著に欠いていると思いませんか?考えてみてください、信仰を持たない中で子供が病気になったら、私たちはただパニックに陥るだけです。私たちはどうしていいのか分からず、増々辛い思いをします。しかし、私たちは神を信仰しているので、私たちには拠り所があるのです。私たちは自分たちの信仰がその状況を乗り越えさせてくれると信頼できると同時に、それによって真理を理解し、人類を傷つけるサタンの邪悪な本質を見抜くこともできるのです。私たちは神の全能なる支配をもっと理解することができ、私たちの神への信仰も厚くなり、私たちの霊的背丈も次第に成長することができます。これは神から私たちへの特別な恵みと祝福であると同時に、私たちが教訓を学び、真理を得るための貴重な機会でもあるのです。」

私は神の御言葉と姉妹の交流を受けて恥かしくなり、動揺しました。私は頷いて、自分が本当に良心、理知、そして人間性を欠いていたことを知りました。私の神への信仰は自分が恵みと祝福を得るためだけのものだったのです。神の祝福を受けた時、私の心は喜びで満ち溢れました。しかし、試練が降りかかり、自分の子供が病気になり、素早く回復しないとなると、私は神を非難し、誤解していました。サタンは私が神の救いを受けるのを妨げるために、私の子供が連続的に病気に罹るようにしていました。私はサタンを嫌うかわりに、神を非難していたのです。これは極めて理不尽なことです。当時のことを振り返ってみると、私は集会に参加したり、神の御言葉を読んでいても、自分の娘の病気のことが気掛かりでそれに情熱を傾けることができていませんでした。私はサタンの妨害を受けて取り乱していました。私は本当に霊的に未熟なのです!

ジン・ヤン姉妹は考え込むように言いました:「姉妹、私たちは神の御言葉を読んで、神の御心を理解したじゃありませんか。まだ子供の病気のことが心配なんですか?」

私は照れながら笑みをこぼし、首を振ってこう言いました:「もう心配はしていません。私の娘が神の御手の中にあることはもう理解できましたから。ただ、私の信仰が弱すぎるだけです。私は今回の試練を通じて神に文句を言ってしまったにもかかわらず、神は私に御慈悲を差し伸べてくださり、変わらず私を導いて、私が真理を理解できるようにしてくださりました。神に感謝です!私は真理を追い求めることに更なる努力を注ぎ、神の試練を受け入れられるよう霊的に成長する必要があります。私はもう神を非難して、サタンの餌食になるわけにはいかないのです。」

ジン・ヤン姉妹は笑顔で頷いてこう言いました。「私たちの信仰が弱いのはまだ神の全能なる支配を正しく理解できていないからです。私たちは神の唯一なる権威と御力を認識していると口では言うことができても、実体験を欠いているのです。」彼女はそう言いながらコンピュータの電源を入れてこう言いました。「ドキュメンタリー 『万物の主権を握るお方』 を見ましょう。」

私は嬉々として頷き、コンピュータを見つめました。私はジン・ヤン姉妹がYouTubeでそのタイトルを検索して、それを軽くタップするのを見ました。すると、音楽が鳴り始め、壮大なイメージが目の前にぱっと映った瞬間、私は強く感動しました。

後記

太陽が沈み、夕日は空の半分に柔らかみのある真っ赤な夕焼けを残しました。公園で散歩をしている人たちがいれば、ボールで遊んでいる人たちもいました。子供たちは芝生の上でお互いを追いかけ回して遊んでいました。私は神の御言葉の讃美歌を聞きながら芝生の上に座り、よろよろと進みながら、歩こうと頑張っては、転がり、またはい上がる娘の明るい笑顔と活気にあふれる愛らしい姿を眺めてました。私は嬉しさのあまり、笑みをこぼしました。

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