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病気にかかっている時、クリスチャンは四つの実行を持つべきである

以前、母は体が弱くて病気にかかりやすいのでした。わたしが物心ついた時も、家には、もっぱらさまざまな薬を保存している引き出しがあり、しかも引き出しの中に、いつも薬がいっぱい詰めてあったのです。このような環境の中で育つわたしは病気になると、むやみに病気を治療します。病気にかかっている時、わたしは病気が早く治ることを切に望み、他人の言っているよい薬は何でも買います。母が主を信じた後、引き出しの中の薬はだんだん少なくなります。ある時、わたしが風邪薬さえ見つけられません。実は、わたしが言いたいのは、神を信じたら、病気にかかることがなくなり、薬を飲む必要がなくなり、医者に診てもらう必要もなくなるということではありません。では、病気にかかっている時、わたしたちはどんな態度をとるべきですか、どのような実行が正しくて主の心にかなうのですか。経験し、祈り、真理を求めることによって、わたしはわたしたちが次のいくつかの実行を持つべきだと認識しました。

病気にかかっている

第一に、わたしたちがサタンに腐敗させられた後、罪を持つようになったから、わたしたちが病気にかかるのは正常です。そのため、わたしたちはそれを正確に扱うべきで、不平を言ってはなりません。

わたしたちは罪の起源を知ったら、病気がどのように生じたかを知りました。わたしたち人類の祖先は神に創造された後、つらさがなく、生老病死苦もありませんでした。サタンがアダム、イブを誘惑して罪を犯させた後、わたしたち人類は生老病死の苦しみを受けるようになりました。今、わたしたちの病気がますます多くなります。しかも、さまざまな病気はますます多くの若者に起こります。幼い子供が胃病を患い、若者が癌にかかることすらあります。さまざまな変な病気がますます多くなり、ますます治しにくくなります。病気の種類、病因が増えることは、この世界がますます邪悪になり、サタンが人類を腐敗させた程度がますますひどくなることを証明しています。この邪悪な暗やみの世界で生きているわたしたちは腐敗していて、罪を持っているので、きっと病気にかかります。だから、わたしたちが神を信じたら、神がきっとわたしたちの病気をいやしてくださるという過分の望みを抱いてはなりません。それは、わたしたちが理知を持たないことの表れです。

また、わたしたちが分からなければならないもう一つのことは、人が病気にかかるのが正常だということです。わたしたちが五穀を食べた後、さまざまな病気にかかることは、自然の法則です。わたしたち自身が不規則な生活をしたり、汚いものを食べたりしたら、もっと容易に病気を患います。だから、病気にかかっている時、わたしたちは真理の追求をやめてはならず、神に対する不平不満を持ってはならず、もっぱら祈って、神がわたしたちをいやさなければならないと要求するべきではなく、今までどおりに祈り、集会に参加し、神に仕え、心の中で神に近づくべきであり、本当に神に従うクリスチャンになるべきです。

第二に、わたしたちが病気にかかるということに、神のみこころがありますから、真理を求め、神に従うことが非常に重要です。

病気がサタンから来たものですが、神の許しがなければ、サタンは何もできません。では、なぜ神はわたしたちが病気にかかることを許されるのですか、神のみこころが何ですか。

わたしたちは被造物であって、見識が狭く、霊界のことを見透かせません。その上、神のみこころはいつも物事の背後に隠されています。そういうわけで、わたしたちは神のみこころを理解しない時、いつも神を誤解し、神の働きを主観的に判断します。今、わたしたちは次のことが分かりました、病気にかかっていて、神のみこころを理解しない時、絶対に主観的に判断してはならず、それは神のわたしたちに対する顧み、守りであり、わたしたちを災難から逃れさせる方法の一つであるかもしれないということが。だから、病気にかかっている時、わたしたちは待つこと、真理を求めることを学ぶべきであり、神がどのようにしても、わたしたちに対する神の愛と救いが変わらないと信じるべきです。神以外に、わたしたちを救うために受肉し、しかも息を引き取るまで十字架につけられた者がいるだろうか。それゆえに、神に従い、神のみこころを求めることが本当に重要です。

第三に、病気にかかったら、神の前で心を落ち着けて、自分にどんな罪過があるかを反省し、そして神に罪を告白し、悔い改めるべきです。

わたしはある兄弟の次のような経験、証しを見たことがあります。その兄弟は風邪をひいた時に喘息を患いました。そこで、彼は主に彼をいやしてくださるようにと懇願し、また、主から与えられた病気の試練を甘んじて受けると、主に祈りました。でも、彼の喘息はなかなか治りません。病気の苦しみは主に従っていく上での彼の信仰に影響を及ぼさなかったのですが、彼はずっとこの病気に苦しめられていました。一年後のある大集会の中で、一人の兄弟は彼がこんなに若いから、このような病気を患うはずではなかった、彼が自分の言動を反省すべきだ、と言いました。しかも、あの兄弟は二回彼に指導を与えました。それで、彼は自分の言動を反省し始めました。ある日、彼は福音を宣べ伝えた時、聖霊の啓きと導きを得ました。それによって、彼は自分はおおげさな言葉を言い、尾ひれをつけて話す人で、誠実な心がなく、彼のこれらの腐敗した性質は神に嫌われるものだと認識しました。彼が自分の腐敗を認識し、悔い改めたので、その日の夜に彼の喘息が治りました。その時から、彼の喘息が二度と発作を起こさなくなりました。この兄弟の経験した事は、あなたも経験したことがあるかもしれません。病気にかかっている時、確かに学ぶべき学課があります。それは、わたしたちの霊的な命が成長するのを助け、わたしたちを変え、きよめる手段です。

神はわたしたちをきよめ、救って、わたしたちを腐敗から抜け出させるために、ただ積極的な面でわたしたちを導く、というのではありません。ある時、神はまた病気、苦しみによってわたしたちを精錬し、懲らしめ、このような方法でわたしたちをきよめ、変え、守られます。それは、わたしたちがもっと大きな、神を怒らせる事をするがゆえに、神に見捨てられて、サタンから害を受けることがないためです。だから、病気にかかっている時、わたしたちは神に祈り、神のみこころを探り、自分のどんな腐敗がまだきよめられていないかを反省すべきです。もし、自分は確かに自分の腐敗のゆえに神に懲らしめられたと認識したなら、わたしたちは神の前に出て、本当に悔い改めようとする態度を持つべきです。わたしたちが真心をもって神に立ち返る時こそ、神はわたしたちの祈りを聞き入れます。

第四に、融通のきかない規定を守って、病気を治療しないのはいけません。

病気にかかっている時、医者に診てもらってもいいし、薬を飲んでもいいです。それは正当なことです。融通のきかない規定を固く守って、治療を遅らせてはなりません。それは間違ったやり方です。もし治療を遅らせて悪い結果をもたらしたのなら、わたしたちは愚かなことをしたことになります。だが、わたしたちは自分がクリスチャンだということを忘れてはなりません。だから、医者に診てもらい、薬を飲む時、自分が神の支配に従うべきだということも忘れてはなりません。わたしたちはこのように祈るべきです。「神よ! 今、わたしが薬を飲み、病気を治療するのは、ただあなたに協力するのです。わたしの病気がいつ治るかは、あなたの手によってコントロールされているのです。わたしはあなたの支配を信じ、あなたの按配に従います」。

さらに、わたしたちは病気にかかったからといって、真理の追求や、神に対する奉仕、礼拝をおろそかにしたり、祈り、集会に参加するのをやめたり、神に対する信仰を失ったりしてはなりません。病気を治療している時、わたしたちは神のみこころを求め、神のなみなみならぬ苦心を理解すべきです。そうすれば、わたしたちはサタンの試みに打ち勝って、自分が勝利を得たという証しをすることができます。

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