神様を崇拝することと偶像を崇拝することの違い

インターネット上に主イエス様のイラストを掲載したり、これを兄弟姉妹と共有したりすることは偶像崇拝に当たり、神様を崇拝することにならないという旨のステートメントがオンライン上で出回っています。それは本当でしょうか?神様を崇拝することと偶像を崇拝することを私達はどのように区別することができるでしょうか?

主イエス様は次のように仰っています。「しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである」(ヨハ4:23)。主イエス様の上の言葉に基づき、多くの思慮深く賢い人々は次の事実に同意するでしょう:誰かが神様を本当に崇拝しているか否かは、その人の表面的な態度だけではなく、その人が本当に神様を信じ、真理を渇望しているか否か、その人が神様の御前で自分自身の本当の姿をさらけ出す正直な人であるか否かにより判断すべきです。つまり、表面的に敬虔そうに見える人が必ずしも神様の真の崇拝者とは限りません。神様の真の崇拝者は、霊そして真理で神様を崇拝することにフォーカスしており、対外的な実践にフォーカスしていません。そのため、私と兄弟姉妹達はすべて、主イエス様のイラストは神様が私達と共にあることを示す単なるシンボルやメタファーであると信じています。私達はこれらのイラストを使って偶像を崇拝しているわけではありません。

イエス,偶像,礼拝
Good News Productions International and College Press Publishing

偶像崇拝とは、実際、何を意味しているのでしょうか?それは、イラストや聖書を神様とみなし、それらの前にひれ伏したり、ひざまずいたりすることを意味します。それが本当の偶像崇拝です。いくつかの例を紹介します。お祈りをする際には聖書を目の前に置かなければならない人がいます。また、外出の際には聖書を必ず携帯したり、就寝時には聖書を抱いて寝たりする人さえいます。また、お祈りをする際には必ず主イエス様のイラストを見る人もいます。他には、聖書に手を置いて長い時間お祈りをする人もいます。これらの人はすべて、自分たちは神様を崇拝していると信じています。しかし、実際は、彼らは主の存在や聖霊の働きをだいぶ前に感じられなくなっています。教会の牧師の中には、神様に関する真実の知識を話したり、信者が真理を実践し、神様の御心に従うための本物の道を明らかにしたりすることができない人もいます。混乱した方法でメッセージを聞く人達は、聖霊の働きの足跡を積極的にどう探せばよいのかが分からず、いのちの供給を得ることができなくても、さまざまな宗教的儀式にしがみついています。この種の信仰は、本当に神様を崇拝することになるでしょうか?もし誰かが聖霊の働きを得ることができず、イラストや聖書を神として崇拝するならば、崇拝の対象は、実際には空気または、その人の観念や想像の中にあるぼんやりとした神様であり、本質的に、その人は偶像を崇拝していることになります。一方、主イエス様のイラストを自宅の壁に飾り、神様にお祈りを捧げる際にはとても敬虔な気持ちになり、お祈りの中で、心からの言葉を口にし、主の愛について考え、感動に涙が溢れることがよくある人達もいます。この人達は、通常、神様の御言葉を実践し、経験することにフォーカスしており、聖霊から頻繁に啓示を受け取り、真理の現実に関する知識を得ています。これは、聖霊の働きにより達成される結果です。これらの人々に対して、偶像崇拝だと言うことができるでしょうか?

次に、神様を信じているのに、神様を偉大なる存在として称賛せず、盲目的に牧師や長老を崇拝している人達がいます。彼らは牧師や長老が言うことを何でも鵜呑みにし、その言葉に従うため、神様の御言葉に頼って、彼らの言葉が真理と即しているか、彼らの行いが神様の御心に従っているかを見定めることはありません。再来される主をお迎えすることに関して、多くの人々は牧師や長老に特に従順です。もし彼らの牧師や長老が何かを非難し、反対すると、それの真意を見定めずに従います。牧師や長老が主は再来されていませんと主張したり、主が来られる方法を明示したりすると、彼らは、神様の御言葉に従い見定めたり、神様の御言葉に記載される御心に従い実践する方法を求めるのではなく、牧師や長老の言うことに盲目的な信仰を置きます。彼らの目には、神様を信仰するとは、すべてのことにおいて牧師や長老の言うことを聞くことを意味しています。彼らはあまりにも人を崇拝し、盲目的に信仰しているため、神様を人としてとらえて、従うことさえしています。これこそ真の偶像崇拝で、彼らが崇拝している人間こそ彼らの偶像です。

主イエス様は次のように仰っています。「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』」(マタ7:21-23)。私達が神様を信じる中で、私達は心の中に神様の場所を作り、頻繁に神様を崇め、神様の証を立て、あらゆることにおいて真理を追求し、神様の御言葉に従い、それを実践に取り入れていく必要があります。これは、神様の御心に従うもので、こうすることで、私達は確実に聖霊の働きを得ることができます。こうすることで、主イエス様のイラストを何枚自宅や教会に飾ろうが、またはウェブサイトに掲載しようが、それは完全に正しいことになります。なぜなら、これらは福音を広め、神様の証を立てることが目的で、それは疑う余地がなく神様から命じられたポジティブなこととみなされるからです。逆に、神様への信仰が名ばかりで、実際にはステータスや権力を崇拝する人は、牧師や長老を盲目的に信じ、彼らに従い、人を神様として扱い、手紙や教義を真理としてしがみつきます。これらの人々が聖霊の働きを得ることは決してありません。彼らがどれほどの宗教的儀式を行おうと、神様はこれらの人々をお好きではなく、むしろ嫌い捨てられます。それは、これらの人々が、その本分である神様を崇拝することや神様の証を立てることを行わず、または神様の御言葉を重要なものとして取り入れたり経験したりすることを考慮することがないためです。これらの人々はいのちのないもみ殻であり、偽の信者です。彼らの信仰こそ、正真正銘の偶像崇拝です。

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