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人生に疲れました。どうしたらいいですか?

拝啓

いかがお過ごしでしょうか。以前あなたにお聞きしたことを思い出しました。最近、社会が競争的で、生きていてとても苦しく疲弊しているように感じます。どうすれば心の底から幸せになれるのか、分からないのです。あなたは私に、一緒に神様を信じようと、そうすれば、神様に守られ、人生に平安と喜びを感じ、神様の言葉を読み、真理を学ぶことで、悩みや不満から解放されると言っていました。正直なところ、私は信仰を持ちたいのですが、当時は仕事をしてお金を稼ぐのに精一杯で、あなたをはぐらかしてしまいました。私はこの数年間、朝から晩まで忙しく過ごしてきました。会社で一番になり、自ら努力して素晴らしい人生を送りたいと思いました。しかし、何度も挫折し、失敗を繰り返しました。周りの同僚が昇進・昇給していくのを見ながら、私は相変わらず同じポストにいて、とても困惑していて、疲れや空虚感や惨めさを感じていました。お姉さん、神様のことをもっと教えてください。あなたのように、自由で楽に生きたいのです。お返事をお待ちしています。

お手紙ありがとう。

今のあなたの生活がどれほど大変で、疲れているのかを知り、本当に胸が痛みます。真理を理解しないまま現代を生きることは、私たちにとって本当に苦しいことです。お金や名声や利益のために身を粉にして働き、例えお金や名声や利益を得ても、すべてが空虚ではないでしょうか。私たちはまだ本当の幸せを手にしていないのです。なぜ、神を信じると平和や喜びが得られるのでしょうか。それは、人間は神がお創りになったのですから、生まれること、老いること、病気になること、死ぬこと、幸せも苦しみも、人の運命も、すべて神様の手にゆだねられているからなのです。「自分の振る舞いは周りの人に見られてなくても、神が見てくれる」「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があります。私たちの行うこと、言うこと、行く道が神の御心にかなうものであれば、私たちは祝福されるのです。人が神に従うとき、私たちは神の守りを受け、そして人生に平安と喜びを得ることができるのです。いつも祈り、神の言葉を読んでいれば、何らかの真理を知り、物事を洞察することができるようになり、そうすれば、そんなに苦しくなく、イライラすることもなくなるでしょう。真理を受け入れ、神の言葉を実践することができれば、堕落した自分を捨て、神に救われ、真の自由と喜びを得ることができるのです。

もし、私たちが幸せに、そして安心して暮らしたいと願うなら、まず、私たちの人生がなぜ空虚で惨めなのか、私たちの苦しみの根本原因は何なのかを正確に理解する必要があるのです。

このような神の御言葉があります。

人間の生涯を通して経験する出生、死、疾病、老齢の苦痛は、何に由来するのでしょうか。これらの事が人間に発生する原因は何でしょうか。人間が最初に造られた時、こうした苦痛は人間に発生したか、というと、発生しなかったのではないでしょうか。それならば、こうした苦痛は、何に由来するものでしょうか。肉の苦痛や問題、虚無感、この世における極度の悲惨さなどの物事は、人間がサタンにより試され、人間の肉が堕落した後に発生しました。サタンは人間を堕落させた後、人間を苦悩させるようになりました。その後、人間は一層堕落してゆき、人間の疾病は深刻になり、人間の苦難は一層激しくなり、人間は空虚感や悲劇、この世で生き続ける能力の欠如を一層感じるようになりました。人間が感じるこの世に対する望みは減り続けました。この苦難はサタンにより人間にもたらされたものであり、サタンにより人間が腐敗させられ、堕落した後になって初めて発生したものです。

人々は神の指揮と統治を認識していないので、常に挑戦的かつ反抗的な態度で運命に立ち向かい、神の権威や統治、待ち受ける運命を捨て去ることを願い、現状を変え、運命を改変するという儚い望みを抱いています。しかし、人間は決してそれに成功することはなく、事あるごとに挫折します。こうした葛藤は、人の魂の奥底で生じ、骨身に沁みるほどの並々ならぬ苦痛を伴うものであり、人はその間絶えず自分の命を浪費しています。この痛みの原因は何でしょうか。神の統治が原因でしょうか、それとも人が不運な境遇に生まれたことが原因でしょうか。明らかに、そのいずれでもありません。結局は人々が進む道、人々が選択する人生の過ごし方が原因となっています。

サタンは名声と利得を用いて人間の思想を支配し、人間が名声と利得しか考えられないようにします。人間は名声と利得のために奮闘し、名声と利得のために苦労し、名声と利得のために恥辱に耐え、持てるすべての物事を犠牲にし、名声と利得のためにすべての判断と決断を下します。このようにして、サタンは目に見えない足かせを人間にかけ、人間にはそれを外す力も勇気もありません。したがって、無意識のうちに人間は足かせをかけられ、大変苦労しながら歩んでゆきます。この名声と利得のために、人類は神を避け、神を裏切り、ますます邪悪になります。このようにして世代を追うごとに人間はサタンの名声と利得の只中で破壊されてゆきます。

神の言葉は、人類が苦しみながら生きている根本的な原因を明らかにしています。

神が最初に創られたアダムとエバは、神様に従い、神の言葉に耳を傾けていたことをご存知でしょうか。彼らは神に見守られ、エデンの園で幸せに暮らし、苦しみも悲しみも知りませんでした。しかし、アダムとエバがサタンに誘惑され、欺かれ、神の言葉に逆らって善悪を知る木の実を食べたとき、彼らは神の祝福を失い、エデンの園から追い出されたのです。その後、人類はサタンの支配下に置かれ、苦しみの中で生きています。サタンは数千年の間、無神論、唯物論、進化論などの誤った理論を利用して人類を欺き、堕落させました。人類はますますサタンに堕落させられ、私たちの中には、傲慢で、人を欺き、かたくななサタン的性質が深く根ざしている故に神の存在を否定し、神が天地と万物を創造したことを否定し、神を崇拝しなくなり、神からますます離れていくのです。しかも、サタンは、悪魔や偉人、有名人を使って、「一頭地を抜く、名を揚げる」「生きては傑出(けっしゅつ)した人物となり,死してまた鬼界の雄となる」「運命は自分の手にある」などの生存法則、間違った考えを私たちに植え付けるのです。こうした論理や間違った考えの影響を受けて、私たちはお金や地位を得ることだけが、他人から尊敬され、生きがいのある人生を送ることができると考えるようになるのです。また、平凡に生きることは何の役にも立たず、志を持たないことであり、他人から見下され、軽蔑されるだけであり、哀れな人生であると考えるようになるのです。そのために、人間として豊かな生活を求め、毎日苦労して残業して、若いうちから、いろいろな病気にかかり、中にはそのために命を落とす人もたくさんいるのです。また、高い地位を得るために、同僚と悪巧みをしたり喧嘩をしたり、出世のために手段を選ばず人を踏みつけ、人を利用し、人を騙すこともあります。自分は人に陥(おとしい)れられないようにと警戒し、一日中恐怖と苦しみの中で生活する人もいます。また、あらゆる努力の代償を払っても、出世という願望を果たせず、幻滅し、心が折れ、あるいは悲観して、自殺という人生の終わりを選ぶ人も少なくありません。実は、私たちの苦しみは、私たちがサタンに堕落させられ、サタンの間違った考えを受け入れ、サタンの哲学や論理に従って生きているために生じているものなのです。

神は、私たちがサタンによって苦しめられていることを知った上で、そのことを見分ける力をつけさせるために、サタンがどのように人を堕落させるかを示し、私たちが幸せに生きていくための道を示してくださっているのです。神は言われました。「能力や知能指数、意志の力の差異に関係なく、運命を前にして人々は皆平等であり、偉大か取るに足りない人間か、背が高いか低いか、高貴か下賤かによる差別はありません。人が従事する職業、人の生業(なりわい)、人が生涯にわたって蓄える富は、両親や才能、努力、野望によって決まるものではなく、創造主により予め定められています。

...運命を把握することもなく、神の統治を理解することもなく、霧の中を敢えて苦労してよろめきながら手探りでさまよった時、旅路は困難で悲痛すぎるものになることが分かります。したがって、人の運命への神の統治を人々が認めた時、賢明な人は、それを知り、受け容れて、自らの手で良い人生を作り上げようとしていた悲痛な日々と訣別することを選び、運命に逆らい、いわゆる「人生の目標」なるものを自らの方法で追い求めることを止(や)めます。神の存在もなく、神を見ることもなく、神の統治をはっきりと認識することもなければ、毎日は無意味で、無価値で、惨めです。どこにいようが、どのような仕事をしようが、人の生き方と目標への追求は終わりのない悲しみと深刻な苦痛しかもたらさず、回想するに堪えないものになります。創造主の統治を受け容れて、その指揮と采配に従い、真の人生を求めて初めて、人は徐々にすべての悲しみや苦痛から解き放たれ、人生の虚無感を払拭できるのです。

神の言葉はそれを明確に説明しています。私たち一人ひとりの運命は、神によって支配され、定められています。どんな家庭に生まれ、どんな技能を持ち、どんな職業に就き、どれだけ裕福になるかは、ずっと以前に神があらかじめ定めていました。私たちは被造物である以上、「一頭地を抜く、名を揚げる」「運命は己の手にある」といったサタン的な法則や間違った理論に従い、自分の力に頼って、やみくもに生きてはならないのです。その代わり、神の摂理に従い、創造主が私たちのために決めてくださったことを受け入れ、真摯(しんし)に、誠実に、最善を尽くして、すべてのことを神の御心に従わなければならないのです。例えば、聖書に記されているヨブの話です。彼は、自分の人生における神の主権を感謝し、経験し、認識することに集中し、神を畏れ、悪を避ける道を歩もうとしました。そこで神はヨブを義人と名付け、東方の民の中で偉大な存在となるようにと祝福されました。しかし、サタンは納得せず、ヨブに対して非難を浴びせました。サタンは強盗を送り込んでヨブの家畜をすべて奪い、子供を失わせ、ヨブの全身に痛みを伴う腫物を出させました。ヨブは神の御心を理解していなかったが、それでも自分のため、子供のため、財産のために神に何かを求めることはせず、神の計画と支配に服従し、神を讃えて地に伏し、言いました。「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」(ヨブ記1:21)ヨブは、神への従順と神への畏敬によってサタンを打ち負かし、堅く立って神のためにはっきりとした証をし、神によって二倍に祝福されるようになりました。ヨブが求めたのは、地位や財産でもなく、ましてや自分の両手で明るい未来を切り開くことでもなく、神を知り、神に従い、神を畏れ、悪を避けようとすることであったのです。したがって、ヨブは霊的な平安と喜びを得ただけでなく、それ以上に神の称賛を受け、価値と意味のある人生を全うしたのです。

ご存知のように、私も神を信じる前は、「運命は己の手にある」「一頭地を抜く、名を揚げる」という言葉を真(ま)に受け、自分の努力で大金を稼ぎ、一流の人生を送り、人に尊敬されたい、それが実現すれば喜びや幸せがあると信じてきました。結婚後、夫と二人でお金を借りて事業を始めたのですが、予想に反して何度も何度も赤字になりました。負けを認めたくないので、成功者の講演を聴くようになり、ダイレクトセールスの世界に入り、保険を売るようになりました。努力すれば成功者になれると思いましたが、結局、浮き沈みの激しい年月を経て、すべて失敗に終わりました。今まで頑張ってきた結果がこれだと思うと、耐え切れず、生きているのが苦しくなりました。人生に希望を持てなくなり、人生が終わったような気がしました。人目を引くことができないのなら、生きている意味がないじゃないか、それで、すべてを終わらせる方法として、自殺まで考えました。私が神を信じるようになり、神の言葉を読むようになってから、私の苦しみはすべて、サタンの間違った考えによって生き、自分の努力で運命を変えようとし、神の主権と常に争っていたためであったことに、ようやく気づきました。実は、神は人類をお創りになった時に、私たちの生活に必要なものを全て用意されていて、普通に働けば、生活を維持することはできます。そうすれば、神を信じて礼拝する時間が増えるので、神の前に生きて、神の配慮と保護を受けることができるのです。しかし、私は神の愛を理解していなかったし、神の善意も理解していなかったのです。野心と欲望に駆られ、運命に抗い、人の上に立つ生き方をしたいと常に思っていましたが、私にもたらされたのは苦痛だけでした。これらのことを理解したとき、私は自分がいかにサタンに深く堕落させられているか、そして私が追い求めていることは、神が人間を創造したときの意図に完全に反していることをようやく理解したのです。同時に、私たち人間は、神を信じ、神の計らいに従うことで、サタンの束縛や苦しみから解放され、楽で幸せな人生を送ることができることを理解するようになったのです。

その後、兄弟姉妹との集まりによく参加し、神の言葉を読み、自分たちの体験や理解を交わり、まだ苦しみの中に生きている人たち、痛みに苦しんでいる人たち、自分の道を見つけられないでいる人たちに、神の救いを伝え、彼らも神の前に出てきて、神の救いを受け入れるようになりました。今、私はお金もあまりなく、物質的な楽しみもあまりないのですが、神に選ばれて神の前に出て、毎日神の言葉を享受し、問題や困難にぶつかった時に神の言葉で真理を求め、実践の道を知ることができ、多くの問題が解決されているので、私の心は平和と喜びに満たされています。この心の奥底から湧き出る安らぎや平安は、お金で買えるものではありません。この数年間、神の働きを経験することで、いくつかの真理を理解するようになり、名声や利益、地位を求める虚しさがはっきりと分かるようになったのです。富裕層、著名人など、高い地位がありお金持ちの人たちは、本当に幸せで楽しい人生を送っているのでしょうか。なぜ、多くの富裕層、著名人が自殺という人生の終わりを選ぶのでしょうか。どんなに地位が高くても、どんなにお金があっても、それらは一時的な肉体的な楽しみを与えてくれるだけで、決して心の隙間を埋めてくれるものではないのです。これだけでは、人生の意味も価値もなく、本当の幸せや喜びを得ることはできません。神は言われました。「人間は結局、人間に過ぎず、神の地位といのちに取って代われる人間はいない。誰もが食べる物があり、平等で自由で公平な社会だけが人類に必要なのではない。人類に必要なのは神の救いと神によるいのちの満たしである。」私たちは神を信じ、神に従うこと、神の言葉によって真理を理解すること、間違った考えを見分け、否定すること、神の主権と取り決めに従うことによってのみ、真の平和と喜びを経験し、幸せな人生を送ることができるのです。神を信じるようになってから、毎日が充実して有意義に過ごせるようになり、心がどんどん解放されて自由になった気がします。

あなたも、神を信じ、神の前に出て、神の言葉の導きを受け、神に頼り、神に従うことを学び、神の配慮と保護の下に生きることができれば、必ずや、この平安と喜びを心に得ることができると信じています。真の平安と喜びは神から来るので、神の前に出ることによってのみ、私たちは心の平安と安らぎを享受することができるのです。私の真理への理解はまだまだ浅く、説明のつかないことがたくさんあります。自分自身が神を信じ、自分の体験を通して学ぶことによってのみ、真の幸福、真の喜び、真の平安とは何かを理解することができるのです。最後に、これだけはお伝えしておきたいと思います。神を信じ、真理を理解し、神を知ることによってのみ、私たちは真の幸福を得ることができるのです。

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