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神に頼って家族が阻む日々を乗り越えてきた (I)

私は60歳、以前は円満な家庭を持っていました。私の息子たちは私に対して素直で親孝行で、私の夫は熱心で責任感が強く、私は家族のまとめ役でした。それは全く申し分のない人生のように思えました。しかし、私はなぜ頻繁に虚しさを感じるのか、そして人間は何のために生きているのかが分かりませんでした。

2017年3月、同じ村に住む村人が全能神の御国の福音を私に宣教してくれました。それ以降、私は神の御言葉を毎日読み、兄弟姉妹と頻繁に真理について交わり、神を礼拝しました。私の心は幸福感で満たされていました。三ヶ月の集会の中で、私は神の御言葉をたくさん読み、神は全人類の運命を支配されておられること、そして人々が虚しさの中を生きるのは彼らの心の中に神が宿る場所がないことが理由であるということを学びました。それと同時に、私は人生の意義と価値も発見し、人間は創造物として神を信じ、神を礼拝するべきであるということも理解しました。私は神に、私をお選びくださったこと、私が人生の真の道を見つけられるようにしてくださったこと、そしてそれまで生きた虚しい生活に別れを告げる手助けをしてくださったことを感謝しました。

まるでかけがえのない宝物を見つけたかのように、私は自分の家族にも神の前に行って神の救いを受け入れて欲しいと思いました。なので、私は兄弟姉妹たちと一緒に私の長男に福音を説きました。その日、兄弟姉妹たちが彼に神の人類に対する愛と教えについて話すと、彼は深い関心をもって聞き入っていました。彼はまた自分が学んだことを私たちに話し、神の働きを調べ続ける意欲を見せてくれました。私は神の働きを調べることに意欲的な息子を見て、心の中で非常に嬉しくなりました。

意外なことに、その翌日、息子は全能神教会に対する非難宣伝をインターネットから印刷してきて、激しい口調で私にこう言ったのです。「お母さんの行ってる教会に対してこんな非難宣伝が出てるじゃないか。よく見てみなよ!」息子はこう言った後、自分の部屋に行ってしまいました。息子の態度が急変したのを見て、私は彼がインターネット上の噂を信じてしまっていることを悟りました。しかし、私はこの否定的な情報は無神論を信じる中国共産党が全能神教会を中傷し、非難するもので、その全ては嘘であると心の中ではっきりと分かっていました。さらに、数か月間に渡って集会に参加し、兄弟姉妹たちと全能神の表す真理について交流をしていた私はかなり前から全能神は全てを支配して、私たちに全てを備えてくださる唯一の真の神であると確信していました。私は家族に何を言われても、しっかり神に従って行こうと思いました。

ある日、私の長男は、私が集会に参加するのを邪魔するために、以前私に福音を説いてくれたあの姉妹に電話をし、彼女に向って暴言を吐いたのです。私はいつも分別のある息子がこのように急変した様子を見て途方に暮れてしまいました。それに、あの姉妹は恥ずかしい思いをしたに違いありません。私は強い罪悪感に駆られ、心の中で少し弱気になってしまいました。私は神に祈りました。「神様! 私は心の弱さを感じます。あの素直だった長男が、どうしてあんな風に急変してしまったのか分かりません。息子はまるで一晩で別人になってしまったかのようです。神様! 私はどうしてよいのか分かりません。どうか、私をお導きください」。こう祈りを捧げた後、私は神のこの御言葉を思い出しました。「あなたの周りの環境にあるすべてのものは、わたしの許しによってそこにあり、わたしがそのすべてを定めることを、あなたは知るべきである。わたしがあなたに与えた環境の中で、明確に見極め、わたしの心を満足させなさい。恐れてはならない。万軍の全能神が必ずあなたと共にいるのだ。神はあなたがたのしんがりとなり、神はあなたがたの盾である」。「ためらったり、落胆したり、弱気になったりしてはならない。もっと霊で直接わたしと交わり、辛抱強く待ちなさい。そうすればわたしは自分の時に応じて、必ずあなたに明らかにしよう。……常にそのようにわたしに近づくなら、あなたは状況や直面する人、出来事、物事に関わらず、混乱に陥ることなく、進むべき道を得ることになるだろう」。神の御言葉は私に信仰と力を与えてくださりました。私は神の御心を分かってはいなかったものの、自分が置かれているこの環境は神がお許しになったものであることは分かりました。さらに、神はいつも私と共にいてくださり、神は私のしんがり、私の拠り所なのです。神を頼りにして前進している限り、神は間違いなく私を導いてくださると、私は信じています。

その後、私は家族が仕事に行っている間に、姉妹数人と一緒に集会に行きました。彼女たちと顔を合わせると、私は心に温もりを感じ、最近直面した状況について話しました。彼女たちはそれを聞くと、神の御言葉の中から次の二節を私に読んでくれました。「神が人において行う働きのあらゆる段階において、それはあたかも人の手配により、あるいは人の干渉から生まれたかのように、外面的には人々の間の相互作用のように見える。しかし舞台裏では、働きのあらゆる段階、起こるすべてのことは、神の面前でサタンが作った賭けの対象であり、人は神への証しにおいてしっかりと立つことが要求される。ヨブが試練に会った時のことを例にとってみよう。秘かにサタンは神と賭けをしており、ヨブに起こったことは人間の行為であり、人間による干渉であった。神があなたがたにおいて行う働きの各段階の背後にはサタンと神との賭けがある。その背後にはすべて戦いがある。……神とサタンが霊的領域で戦う時、あなたはどのように神を満足させるべきか、どのように固く証しに立つべきであろうか。あなたは自分に起こることのすべては大いなる試練であり、その試練の時に神があなたの証しを必要とすることを知るべきである」。「あなたがたは常に目を覚まして待ち、もっとわたしの前で祈らねばならない。サタンのさまざまな企てやずる賢い策略を見極め、霊を認識し、人々を知らなければならず、あらゆる人や出来事や物事を見分けることができなくてはならない。……教会が建設段階に入ると、聖徒が戦いへと行進していく。サタンのさまざまな忌まわしさが、あなたがたの前に明らかにされる。進むのを止めて後ずさりするのか、それとも立ち上がり、わたしに依り頼んで歩き続けるのか。サタンの堕落した醜い素性をすべて露わにしなさい。情に流されたり、憐れみをかけたりしてはならない。死ぬまでサタンと戦いなさい! わたしがあなたの後ろ盾なのだから、男子の精神を持たねばならない」。

姉妹はこう言って交流しました。「おばさん、今日、私たちはこのような状況に直面しているのです。表面的には、あなたの息子さんは非難宣伝の影響を受けて、あなたが神を信仰することを他の家族の方と一緒に反対しているように見えます。しかし、この裏では、霊的戦いが繰り広げられていて、それはサタンの策略なのです。誰もが知っての通り、神の働きは人間を救うことですが、サタンは人間を堕落させようとします。サタンは私たちを神から離し、私たちに苦しみながら生活させるために様々な手段で私たちを誘惑し、私たちを傷つけて滅ぼすという目的を果たそうとするのです。神が人類を経営し始めて以来、サタンはいつも神の後をついて回り、神が救うことを意図される人々を全力で奪い取ろうとしてきました。なので、サタンは私たちが神を頼りにするのを見ると、負けまいと抵抗してきます。サタンは私たちの家族を通じて私たちの邪魔をし、心を乱し、攻撃しようとしてきます。サタンは私たちの家族を利用して私たちを妨害し、私たちに神を信仰することを強引に諦めさせ、その結果私たちがまたサタンの支配下に戻り、今まで通りそれに傷つけられ、踏みにじられ、神の救いを失ってしまうようにすることを目的としています。これがサタンの悪逆非道な動機です。しかし、神の御知恵はサタンの策略に応じて行使されます。神はこういった状況が私たちに起こることを許しておられ、それには神の善良な目的が込められているのです。神は私たちの信仰を完全にするために、サタンの誘惑を使って神を頼り敬う方法を私たちに教えてくださるのです。これは、ヨブがサタンに誘惑されて所有物すべてを失い、体中に腫物を被った時に、彼の妻が出て来てヨブを攻撃するサタンの役を担い、「あなたはなおも堅く保って、自分を全うするのですか。神をのろって死になさい」(ヨブ記 2:9)と彼に言った時の状況に反映されています。意外にも、ヨブは彼女にこう言ったのです、「あなたの語ることは愚かな女の語るのと同じだ。われわれは神から幸をうけるのだから、災をも、うけるべきではないか」(ヨブ記 2:10)。ヨブのこの言葉は、彼の神への信仰、および神を畏れる心は真なものであり、その状況の試練に耐えていたことを示しています。ヨブは、その心の中で、どのような状況、試練、苦しみに直面しても、決して神を裏切らなかったのです。ヨブはこのようにして実際に貫き通したことで、最終的にはサタンを辱め、世界中の人々ならびにサタンの前でも神に対する素晴らしい、顕著な証しをすることができたのです。元々、サタンは誘惑を使ってヨブの心を打ち砕き、神を信仰するのを止めさせようとしていました。しかし、ヨブはサタンの策略に引っかかり、神から離れることはありませんでした。それどころか、この機会を通じ、ヨブの神への信仰ならびに神を恐れる心は強さを増し、彼は神から認められる人となったのです。同様に、神は今、このような状況を通じて私たちを完全にすることを望んでおられます。だからこそ、私たちはこの霊的戦いに直面する時は、サタンの策略を見抜く必要があるのです。サタンから攻撃を受ければ受けるほど、私たちはサタンを辱めて神の御心を満たすために、神への信仰をより強く維持して、神の証しをもっと立てるべきなのです」。

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