メニュー

聖書の勉強会で受けた良い知らせ (I)

寄稿家:チェンシャン(米国)

現在、兄弟姉妹の多くは偽キリストに騙されることを懸念して、軽い気持ちで説教を聞かないようにしています。しかし、このように心を閉ざし、自分の殻に閉じこもってしまうと、私たちのいのちの成長が遅れてしまい、主をお迎えする機会を逃し、最終的には主から見捨てられてしまいます。実際、偽キリストを見極めるための原則を理解してさえいれば、自然と彼らに騙されることはありません。聖書の勉強会に参加した後、私は偽キリストを見極めるための原則を理解しただけでなく、良い知らせまで受けました。

2018年3月、リー姉妹と私は弱気になっていた姉妹を訪ねに行きました。この姉妹の家に着くと、そこにはたまたま彼女の姪もいました。お互いに自己紹介した後、私は彼女の姪であるチェン姉妹も主の信者であることを知り、私たち4人は一緒に交流しました。会話の中で、私はチェン姉妹の交流には見識があり、彼女の言葉には啓蒙が込められているように感じました。その後、チェン姉妹が私たちは一緒に聖書を勉強するべきだと提案しました。残りの私たちも快く賛成しました。そして、私たちは世の終わりのしるしに関する聖句を一緒に読んで交流しました。チェン姉妹の交流を通じ、私はこう理解しました:「現在、主の信者たちは世俗的なものを固持し、彼らの信念と愛は冷めてしまいました。牧師と長老たちは陳腐な決まり文句を説き、お互いを陥れようと画策し合い、お互いを嫉妬し合って、口論するといった始末です。これらは教会の荒んだ状態を示しており、世の終わりのしるしでもあります。また、4つのブラッドムーンに関する預言の成就やありとあらゆる災害の発生等、こういった世の終わりのしるしも現れました。私は今が世の終わりで、主が近々来臨されることになるとは思ってもいませんでした。こう考えていると私は興奮しました。以前教会で牧師たちがこれらの聖句の説明をするのを聞いたことがありましたが、彼らはこの姉妹がしたほど明確には説明しておらず、私はこのような切迫感を感じたことはありませんでした。私はチェン姉妹がこんなに若くしてこのような新鮮で説得力のある交流ができるとは思っていませんでした。私はこれに注意深く耳を傾ける必要がありました。

次に、チェン姉妹は聖書の預言の内容を取り込んで主が再臨される方法について、主が裁きの働きをするために再臨されることについて、そして神の裁きの重要性等について交流しました。私は楽しみながらこれに聞き入ってこう理解しました:「私たちが絶えず罪を犯す理由は私たちの中に依然として罪深い本質が存在しているからです。だからこそ、主は世の終わりに私たちの堕落した性質を清めて、私たちを罪から救うために裁きの働きをすることを預言されたのです。私は姉妹の交流を聞けば聞くほど、増々それが啓蒙的であると感じました。私は長年に渡って教会で説教を聞いてきましたが、これほど明快な説教を聞いたことはありませんでした。」その後、チェン姉妹は沢山の踊りと歌の動画、讃美歌の動画、栄唱の動画、そして写生も見せてくれました。これらは新鮮で、私は今までこのようなプログラムを見たことがありませんでした。讃美歌の動画は私が教会で見たものよりも内容がかなり良く、特に「神への愛着」や「最後までお伴いたします」は歌詞がとても素晴らしく、まるで私の心の中が読まれているようでした。私はこれらを聞いて感動しました。気が付くと、もう夜遅くなっていたので、私たちは次回聖書を学ぶ日を決めました。家に帰る道中、私は胸の中で幸せを感じながら主を讃える讃美歌を口ずさみ、次の勉強会を楽しみにしました。

聖書の勉強会,受け,良い知らせ

自宅に帰ってから集会で聞いた交流のことを考えていると、私は多くを学び、以前理解していなかった多くの聖句をより深く理解した気がしました。突然、この考えが頭に浮かびました:「チェン姉妹が説いていたのは東方閃電のあり方かしら?」牧師たちは東方閃電はとても高慢な説教をするから耳を傾けてはいけないと何度も私たちに注意していたのです。この時、私はとても心配になり、心の中で激しく葛藤しました:「私の考えていることが正しいとしたら、次の集会には行くべきかしら?でも、チェン姉妹の交流は牧師たちの説教とは違って本当に啓蒙的だわ。しかも、彼女の交流内容は聖書に基づいていて、私の心を喜ばせてくれる。これは実際に感じている気持だわ。これら全てが彼女の交流には聖霊の働きが宿っていることをはっきりと示しているわ。これはいけない。私はやみくもに牧師の言うことを聞くべきではないわ。主イエス様が本当にお戻りになっているのに、主の御言葉を聞かないでいたら、私は主をお迎えする機会を逃してしまうし、そうしたら私は一生後悔することになるわ。」こうして、私は次の集会に参加することにしました。

集会の場で、私はチェン姉妹に自分の不安を話しました:「今教会で、牧師たちは世の終わりに偽キリストが人々を騙すから、私たちは軽い気持ちで説教に耳を傾けるべきではなく、そうでないと簡単に騙されてしまう。だから、私たちは騙されないように他のどの説教も聞くべきではないと私たちにしょっちゅう言っています。」

チェン姉妹はこう言いました:「聖書の中で、ヤーウェ神はこう仰りました:『心を弱くしてはならない、この地で聞くうわさを恐れてはならない。⋯』(エレミヤ書 51:46)。 聖書にはこの記述もあります:『というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。』(テモテヘの第二の手紙 1:7)。この聖句から、神は私たちに力強く勇敢な心を与えてくださったことが分かります。神が一緒にいてくださる時、私たちは何も恐れなくていいのです。なぜなら、神は全能であり、この世界にある全てが神の御手にあるからです。臆病さと恐怖感はサタンからくるものですが、私たちは神を心に抱いていなければ、臆病になり、恐れを感じてしまいます。サウル王に起こったことと同じです。彼は神を心に抱いていた時は全ての戦いに勝利したことがありました。しかし、彼は神に反抗して神から見放され、巨人が相手となった時は心の中でとても小心になり、軍の間に否定的な状況を作り上げてしまいました。ダビデは武器を持たぬただの羊飼いの少年でしたが、彼は心に神を宿らせ、敵軍がどれだけ狂暴であっても神の主権の下に留まりました。これ故に、彼は巨人と対戦した時も恐れませんでした。臆病さと恐怖感はサタンからくるのです。臆病になったり、怖いからといって真の道に耳を傾けることを拒否していたのでは、サタンの策略にはまってしまったことにならないでしょうか?私たちは、『耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。』 (ヨハネの黙示録2:7) 、という言葉がヨハネの黙示録で何度も言及されていることを誰もが知っています。これは聖霊による御啓示であり、また真の道を調査する上で、私たちは神の御要望を理解できるよう、耳を傾け、理解し、そして判断することを促す神からの注意喚起でもあります。また、聖書には次の記録もあります:『したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。』(ローマ人への手紙10:17)。この聖句から、歩む道に関する神の御言葉を聞いて調査することは真の道を信じるための必須条件であることが分かります。最初に主の福音を聞いていなかったら、私たちは主の前に来れたはずがないのです。他の人たちが説く道を聞き、それを調査した後に初めて、それが真の道であるのかどうかを判断することができます。主の羊は主の御声に耳を傾けるのです。これ故に、私たちはそれを聞いた後に初めて、それが主の御声であるのかどうかを知り、主の再臨をお迎えする機会を得ることができます。神は私たちの拠り所であり、支えなのです。それでも、私たちは何かに恐れる必要などあるでしょうか?」チェン姉妹の交流はとても合理的でした。主は全能なのです。主に支えていただきながら、私は一体何を恐れていたのでしょう?この時、私は心が落ち着き始めました。

チェン姉妹は続けてこう言いました:「そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。見よ、あなたがたに前もって言っておく。」 (マタイによる福音書24:23-25). 主はこう仰った時、私たちが主の再臨を待つ際には注意深く、識別力を持つことを意図されていたのです。そして、主は私たちが騙されてしまう時のために、大きなしるしと不思議な業を見せるという偽キリストの性質について語られました。しかし、主は、世の終わりに偽キリストが現れるからと言って、私たちが耳を傾けず探求もしないといった態度を取ることを意図していたわけではありません。主はすぐに来られると仰っています。偽キリストに騙されることを懸念して主の再臨の福音を説く者全てを避けたり、拒否するということは、自分の扉を閉ざして孤独に待ち続けたり、喉を詰まらせることを恐れて食事を拒むようなものではないでしょうか?そんなことをして、どうして主の再臨をお迎えすることができましょうか?実際、偽キリストから騙されないでいるのはとても簡単なことです。私たちは真キリストと偽キリストを見極める真理を理解してさえいれば、自然と偽キリストに騙されることも、主の来臨をお迎えする機会を逃すこともないのです。ならば、どうすれは偽キリストを見極めることができるのでしょうか?次に、真理のこの側面について交流しましょう。」

私はチェン姉妹の言った言葉1つ1つに筋が通っていると思いました。確かに、偽キリストに騙されることを恐れ、消極的になって主がお戻りになったと言う者全員を防いでいたら、私たちは主の来臨をお迎えする機会を逃してしまうのではないでしょうか?偽キリストを見極めることができれば、彼らから騙されることなど心配しなくてもいいのです。これ故に、チェン姉妹が真キリストと偽キリストの見極め方の真理について交流すると言った時、私はもっと注意深く耳を傾けました。

通読おすすめ:

聖書の勉強会で受けた良い知らせ(II)

クリスチャンが罪から開放される方法は存在します (I)

コメントを残す