戦争に至ろうとしている朝鮮半島危機からは、わたしたちはどんな認識を得たのか

    2017年 11月 16日

    今年、朝鮮半島の核危機に全世界はかつてない大きな関心を寄せている。朝鮮半島はすべてのマスコミの注目を集めている。ここで起こる一つ一つのことは東アジアの、ひいては国際の情勢の動きに影響を及ぼしている。北朝鮮当局は国際社会からの非難を無視し、独断専行して一再ならずミサイルを試射し、しかも核爆弾をアメリカ本土に発射すると息巻いた。そのため、新しいアメリカ政府は北朝鮮の周りにもっと強大な兵力を配置して、陸海空の三軍で朝鮮を震え上がらせ、しかも新任の米大統領トランプは「元首を殺す」という旗印を掲げ、いつでも金正恩を殺せると言った。朝鮮半島は以前は一触即発の危機状態にあったが、今は「矢はつがえたからには発射せざるを得ない」という状態にある。

    5月14日、朝鮮はまた一発のミサイルを試射した。国連と各国政府はまだもっと有効な対処する措置をとっていないが、民間の呼び声はかつてない高潮に達した。ネチズンはインターネットでこのように呼びかけた。「制裁はもう役に立たなくなった。戦争しろ!」。「朝鮮のような邪悪な国の民衆を救ってください。専制政権の下の奴隷たちを救ってください!」。「ごろつき国家に手痛い打撃を与えなければならない」。「この反人間的な政権を早く消滅させよう!」。「軍隊を早く派遣しよう!」。「彼を滅ぼそう!」。「直接殺せ!」。「それを消滅させよう!」。大衆は本当に激しく憤っているのだ。

    周知のように、開戦すれば、朝鮮半島で核戦争が起こる可能性が非常に高い。その時になったら、朝鮮のすぐ近くにある中国の東北地区、華北地区と沿海地区は核脅威にさらされる。本来なら中国の民衆は戦争が始まることを望まないはずだが、でも懸案となって未解決のままになっている朝鮮の核問題はすでに中国の民衆の憤怒を呼び起こした。以前政府間の交渉が行われているのであったが、今は普通の民衆さえも我慢できなくなる。彼らの呼び声からは、戦争の気配のゆえに、あらゆる人がいらいらして落ち着かないということが分かった。

    第二次世界大戦が終わって以来、全世界は平和を唱道している。しかし平和はただ願望である。各国は平和を構築するために努力しているけれども、領土、主権、利益に関するさまざまな紛争に巻き込まれた。今、局地戦争は絶えず、テロの攻撃はしばしば起きる。毎日、硝煙と戦火の中で死ぬ人がいる。毎年ノーベル平和賞が授けられる時でさえ、戦火はまだ世界の多くのところで燃えている。突発する戦争や武装襲撃のゆえに命を落とす人が続出している。そのため、人々は「なぜ世界の平和の実現がそんなに難しいのか。なぜ世界の情勢がますます深刻になるのか。」と聞かずにはいられない。実は、その根本原因はただ一つだ。

    神は早くも二千年の前に、世の終わりの大災難の到来の兆しを預言された。主イエスはこう言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。しかし、これらはすべて生みの苦しみの始まりである」(マタ24:7-8)。だから、今の世界情勢はずっと緊迫しているのである。戦争がいつ勃発するか、どこまで発展するか、何人の死傷者を出すか、どの国、どんな人にどんな結果をもたらすか、これらすべては神の御手によってコントロールされているのだ。あらゆる人は遅かれ早かれ次の事実を見る。人類は邪悪、暴力を崇拝し、神に逆らい、神を否み、極みまで堕落するようになったら、ノアの時代の人々やソドムとゴモラの人々のように神に滅ぼされる。これは神の義なる性質によって決まるのであり、誰もが否定できず、変えられない。しかも神は戦争、地震、飢饉、疫病などの大規模の災難を起こして、全人類に次のことを警告される。今はすでに世の終わりの末期であり、主イエスの再来に関する聖書の預言は一々実現し、ヨハネの黙示録の中の大災難も目前に迫ってきた。今は、再来された主が災難の前に一群の勝利者をつくる肝心な時である。神が大災難の前に真心をもって神を信じ、真理を愛し、神と心を一つにする一群の人を得たら、大災難はすべて下ってきて、神は公に万民を裁き、善を行う者を賞し、悪を行う者を罰される。こうして、人はおのおのその種類に従うようになる。だから、うわべでは、国と国が利益のために争うように見えるが、実際には神の世の終わりの働きのために仕え、神の預言の実現のためにそれぞれ自分の定められた役割を果たすのである。

    ヨハネの黙示録でこう預言されている。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも苦労もない。最初のものは過ぎ去ったからである」(黙21:3-4)。「この世の国は、我らの主と、そのメシヤのものとなった。主は世々限りなく統治される」(黙11:15)。これらの預言から見れば、世の終わりが来る時、神は災難によってサタンに支配される古い世界を終わらせ、そして真心をもって神を信じ、神に従い、神を礼拝する人々で構成される神の国を建て、すなわち神の国は実現しつつある。真理を渇望し、神に救われて生き残ることを渇望するすべての人はどんな職業に従事しても、どんなに高い地位、権勢、声望があっても、どんなに金があっても、たびたびの災難による警告を受けて、主イエスの再来に関する知らせに留意し、すなわち「“霊”が諸教会に告げること」(黙2:7)に留意する、と神は望んでおられる。わたしたちはそのようにしてこそ、神の声を聞き、神の御座の前に戻り、神の顧み、守りを得る機会を持つことができる。神の命令と委託を聞いたら神に従うことができ、大洪水が来る前に箱舟を造り上げ、大洪水の後に生き残ったノアのように。さまざまな兆しと聖書の預言の実現から見れば、今は、大洪水が目の前に迫っていたノアの日のようであり、大災難はもうすぐ下ってくる。では、わたしたちは主の再来に関する知らせに留意したり、再来される主を進んで探したりしているのか。それは主の声、神の働きだと分かったら、すぐに神の足跡に従うことができるのか。

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