メニュー

聖書の名言「信仰心」について

1.それからイエスは百卒長に「行け、あなたの信じたとおりになるように」と言われた。すると、ちょうどその時に、僕はいやされた。(マタイによる福音書 8:13)

2.すると、人々が中風の者を床の上に寝かせたままでみもとに運んできた。イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ」と言われた。(マタイによる福音書 9:2)

3.そこでイエスは答えて言われた、「女よ、あなたの信仰は見あげたものである。あなたの願いどおりになるように」。その時に、娘はいやされた。(マタイによる福音書 15:28)

4.するとイエスは言われた、「あなたがたの信仰が足りないからである。よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう。(マタイによる福音書 17:20)

5.イエスは答えて言われた、「よく聞いておくがよい。もしあなたがたが信じて疑わないならば、このいちじくにあったようなことが、できるばかりでなく、この山にむかって、動き出して海の中にはいれと言っても、そのとおりになるであろう。(マタイによる福音書 21:21)

6.イエスは彼に言われた、「もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる」。(マルコによる福音書 9:23)

7.そこで主が言われた、「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、『抜け出して海に植われ』と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう。(ルカによる福音書 17:6)

8.すなわち、およそ百歳となって、彼自身のからだが死んだ状態であり、また、サラの胎が不妊であるのを認めながらも、なお彼の信仰は弱らなかった。(ローマ人への手紙 4:19)

9.なぜであるか。信仰によらないで、行いによって得られるかのように、追い求めたからである。彼らは、つまずきの石につまずいたのである。(ローマ人への手紙 9:32)

10.わたしは、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりびとりに言う。思うべき限度を越えて思いあがることなく、むしろ、神が各自に分け与えられた信仰の量りにしたがって、慎み深く思うべきである。(ローマ人への手紙 12:3)

11.このように、わたしたちは与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っているので、もし、それが預言であれば、信仰の程度に応じて預言をし、(ローマ人への手紙 12:6)

12.あなたの持っている信仰を、神のみまえに、自分自身に持っていなさい。自ら良いと定めたことについて、やましいと思わない人は、さいわいである。(ローマ人への手紙 14:22)

13.しかし、疑いながら食べる者は、信仰によらないから、罪に定められる。すべて信仰によらないことは、罪である。(ローマ人への手紙 14:23)

14.わたしたちは、あなたがたの信仰を支配する者ではなく、あなたがたの喜びのために共に働いている者にすぎない。あなたがたは、信仰に堅く立っているからである。(コリント人への第二の手紙 1:24)

15.こうした確信を、わたしたちはキリストにより神に対していだいている。(コリント人への第二の手紙 3:4)

16.わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。(コリント人への第二の手紙 5:7)

17.わたしたちは限度をこえて、他人の働きを誇るようなことはしない。ただ、あなたがたの信仰が成長するにつれて、わたしたちの働きの範囲があなたがたの中でますます大きくなることを望んでいる。(コリント人への第二の手紙 10:15)

18.あなたがたは、はたして信仰があるかどうか、自分を反省し、自分を吟味するがよい。それとも、イエス・キリストがあなたがたのうちにおられることを、悟らないのか。もし悟らなければ、あなたがたは、にせものとして見捨てられる。(コリント人への第二の手紙 13:5)

19.わたしたちは、御霊の助けにより、信仰によって義とされる望みを強くいだいている。(ガラテヤ人への手紙 5:5)

20.キリスト・イエスにあっては、割礼があってもなくても、問題ではない。尊いのは、愛によって働く信仰だけである。(ガラテヤ人への手紙 5:6)

21.それは彼らが、心を励まされ、愛によって結び合わされ、豊かな理解力を十分に与えられ、神の奥義なるキリストを知るに至るためである。(コロサイ人への手紙 2:2)

22.兄弟たちよ。それによって、わたしたちはあらゆる苦難と患難との中にありながら、あなたがたの信仰によって慰められた。(テサロニケ人への第一の手紙 3:7)

23.わたしたちは、あなたがたの顔を見、あなたがたの信仰の足りないところを補いたいと、日夜しきりに願っているのである。(テサロニケ人への第一の手紙 3:10)

24.そのために、わたしたち自身は、あなたがたがいま受けているあらゆる迫害と患難とのただ中で示している忍耐と信仰とにつき、神の諸教会に対してあなたがたを誇としている。(テサロニケ人への第二の手紙 1:4)

25.わたしのこの命令は、清い心と正しい良心と偽りのない信仰とから出てくる愛を目標としている。(テモテヘの第一の手紙 1:5)

26.その上、わたしたちの主の恵みが、キリスト・イエスにある信仰と愛とに伴い、ますます増し加わってきた。(テモテヘの第一の手紙 1:14)

27.ある人々は、正しい良心を捨てたため、信仰の破船に会った。(テモテヘの第一の手紙 1:19)

28.しかし、神の人よ。あなたはこれらの事を避けなさい。そして、義と信心と信仰と愛と忍耐と柔和とを追い求めなさい。(テモテヘの第一の手紙 6:11)

29.あなたは、キリスト・イエスに対する信仰と愛とをもって、わたしから聞いた健全な言葉を模範にしなさい。(テモテヘの第二の手紙 1:13)

30.老人たちには自らを制し、謹厳で、慎み深くし、また、信仰と愛と忍耐とにおいて健全であるように勧め、(テトスヘの手紙 2:2)

31.どうか、あなたの信仰の交わりが強められて、わたしたちの間でキリストのためになされているすべての良いことが、知られて来るようになってほしい。(ピレモンヘの手紙 1:6)

32.もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。(ヘブル人への手紙 3:14)

33.というのは、彼らと同じく、わたしたちにも福音が伝えられているのである。しかし、その聞いた御言は、彼らには無益であった。それが、聞いた者たちに、信仰によって結びつけられなかったからである。(ヘブル人への手紙 4:2)

34.怠ることがなく、信仰と忍耐とをもって約束のものを受け継ぐ人々に見習う者となるように、と願ってやまない。(ヘブル人への手紙 6:12)

35.心はすすがれて良心のとがめを去り、からだは清い水で洗われ、まごころをもって信仰の確信に満たされつつ、みまえに近づこうではないか。(ヘブル人への手紙 10:22)

36.しかしわたしたちは、信仰を捨てて滅びる者ではなく、信仰に立って、いのちを得る者である。(ヘブル人への手紙 10:39)

37.これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。(ヘブル人への手紙 11:13)

38.信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。(ヘブル人への手紙 12:2)

39.神の言をあなたがたに語った指導者たちのことを、いつも思い起しなさい。彼らの生活の最後を見て、その信仰にならいなさい。(ヘブル人への手紙 13:7)

40.あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。 だから、なんら欠点のない、完全な、でき上がった人となるように、その忍耐力を十分に働かせるがよい。(ヤコブの手紙 1:3-4)

41.ただ、疑わないで、信仰をもって願い求めなさい。疑う人は、風の吹くままに揺れ動く海の波に似ている。(ヤコブの手紙 1:6)

42.わたしの兄弟たちよ。ある人が自分には信仰があると称していても、もし行いがなかったら、なんの役に立つか。その信仰は彼を救うことができるか。(ヤコブの手紙 2:14)

43.信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。(ヤコブの手紙 2:17)

44.しかし、「ある人には信仰があり、またほかの人には行いがある」と言う者があろう。それなら、行いのないあなたの信仰なるものを見せてほしい。そうしたら、わたしの行いによって信仰を見せてあげよう。(ヤコブの手紙 2:18)

45.ああ、愚かな人よ。行いを伴わない信仰のむなしいことを知りたいのか。(ヤコブの手紙 2:20)

46.あなたが知っているとおり、彼においては、信仰が行いと共に働き、その行いによって信仰が全うされ、(ヤコブの手紙 2:22)

47.霊魂のないからだが死んだものであると同様に、行いのない信仰も死んだものなのである。(ヤコブの手紙 2:26)

48.信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。(ヤコブの手紙 5:15)

49.こうして、あなたがたの信仰はためされて、火で精錬されても朽ちる外はない金よりもはるかに尊いことが明らかにされ、イエス・キリストの現れるとき、さんびと栄光とほまれとに変るであろう。(ペテロの第一の手紙 1:7)

50.それは、信仰の結果なるたましいの救を得ているからである。(ペテロの第一の手紙 1:9)

51.あなたがたは、このキリストによって、彼を死人の中からよみがえらせて、栄光をお与えになった神を信じる者となったのであり、したがって、あなたがたの信仰と望みとは、神にかかっているのである。(ペテロの第一の手紙 1:21)

52.それだから、あなたがたは、力の限りをつくして、あなたがたの信仰に徳を加え、徳に知識を、 知識に節制を、節制に忍耐を、忍耐に信心を、 信心に兄弟愛を、兄弟愛に愛を加えなさい。(ペテロの第二の手紙 1:5-7)

53.なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。(ヨハネの第一の手紙 5:4)

54.とりこになるべき者は、とりこになっていく。つるぎで殺す者は、自らもつるぎで殺されねばならない。ここに、聖徒たちの忍耐と信仰とがある。(ヨハネの黙示録 13:10)

コメントを残す