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神の恵みとは何か。神から人間に対する最も偉大な恵みとは

寄稿家:シンディ(米国)

恵みは神から来るもので、神は私たち人間を創造なさったので、神の恵みは常に私たちと共にあります。神の恵みの例を挙げるとしたら、兄弟姉妹たちの多くは、「神は彼らの病気を治してくださった」、「神は彼らの家庭の平安を保証してくださる」、または「神は彼らの家族を幸せにし、全てが順調に進むようにしてくださる」等と言うかも知れません。これらは神の恵みではありますが、私たちの肉に喜びをもたらしてくれるだけで、私たちのいのちにとってはさほど有益なものではありません。私たちのいのちにとって最も有益なものは神の御言葉であり、それは正に神が私たちにお与えくださる最も偉大な恵みなのです。私たちは神の御言葉を聞いてさえいれば、神の恵みと祝福を授かり、神の御気遣いと御加護の下で生きることができるのです。

神の恵みとは何か,神から人間に対する最も偉大な恵みとは

アダムとイブは神の御言葉に従った時、神の恵みと祝福を受けました。

神は私たちの先祖アダムとイブを創造された後、彼らをエデンの園に住まわせて、彼らにこう仰せられました:「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」(創世記2:16-17)。神の御言葉を聞いたアダムとイブは言われた通りにしました。彼らは他の木からのみ実を食べて、善悪の知識の木からは食べませんでした。これ故に、彼らは神から祝福されました。彼らはエデンの園の中で植物と動物の世話をし、お互いを愛し合い、共に平和に、幸せに暮らしました。するとある日、へびが善悪の知識の木から実を取って食べるようにと彼らを誘惑しにやって来ました。そして、識別力を欠いた彼らはサタンの狡猾な策略にはまり、神の御言葉に背き、神が食べてなはらないと仰せられたいた実を食べてしまったのです。この結果、彼らはエデンの園から追い出されてしまい、それ以降は家族を支えるために汗を流して働くという辛い生活を送りました。彼らは神の恵みと祝福を失ってしまったのです。これが、彼らが神の御言葉に背いた結果でした。

旧約聖書の時代、人々は神の律法と戒律を守り、神の恵みと祝福を受けました。

旧約聖書の時代を生きた人類は生活の仕方を知らなかったため、ヤーウェ神は律法と戒律を交付され、生活する方法、神を礼拝する方法、神が祝福される人々、神が呪われる人々、そして罪とは何かということについて彼らに伝えられました。こういったヤーウェ神の御言葉は人間が必要としていたもので、人間はそれに従う必要がありました。イスラエルの民はこの律法に従って行動をとり、神の恵みと祝福を受けました。彼らは共に地上で平和な生活を送り、常に神に見守られながら、神の御気遣いと御加護を受けていました。これについて聖書にはこう書かれています、「あなたの神、主のさとしを守り、その道に歩み、その定めと戒めと、おきてとあかしとを、モーセの律法にしるされているとおりに守らなければならない。そうすれば、あなたがするすべての事と、あなたの向かうすべての所で、あなたは栄えるであろう。」(列王紀上2:3)。

しかし、旧約聖書の時代末期になると、人々はサタンに酷く堕落させられ、律法を守ることができなくなってしまいました。彼らは質の低い捧げものをし、畜牛、羊、そしてはとを宮の中で販売し始めて、宮を強盗の巣と変えてしまい、神が忌嫌われることを行うようになったのです。神の律法と戒律に背いた結果として、彼らはその全員が律法によって罪に定められる危険に直面しました。

新約聖書の時代、主イエス様の福音を受け入れた人々は神の恵みと祝福を受けました。

主イエス様は地上で受肉された時、天国の福音を説かれ、人間たちに罪を告白して悔い改め、敵を愛し、謙遜して耐え忍ぶ心を持ち、他人を許し、自分を愛するように隣人を愛するようにと仰せられながら、悔い改めの道について宣教されました。主イエス様の御言葉通りに行動した人々は罪を許され、犯した罪に対し律法から罰せられる危険もなくなり、神の恵みと祝福の下で暮らしました。それに反して、主イエス様が宣教された悔い改めの道を受け入れなかった人々は神の救いを失い、律法に縛られた辛い生活を続けました。

神が以前なされた働きより、神の御言葉は神が人間にお与えになる最も偉大な恵みと祝福であることが分かります。私たちは神の道に従い、神の御言葉通りに行動してさえいれば、神の御気遣いと御加護の下で暮らすことができます。主イエス様はこう仰りました、「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」 (マタイによる福音書4:4)。神のこの御言葉より、私たちは食べ物だけで生きるのではなく、それよりも神の御言葉に沿って生きることが大切であると語っているのです。それは、神の御言葉のみが私たちのいのちとなり得るものであり、私たちの存在の基盤であるからです。

終わりの日には、神の恵みと祝福を受けるために、神の新たな御言葉を受け入れる必要があります。

ヨハネの黙示録にはこう預言されています、「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者は、第二の死によって滅ぼされることはない」(ヨハネの黙示録 2:11)。この御言葉は「終わりの日に神が現れ、働きを開始される時、神はもう一度御言葉を語られ、私たちにいのちの御言葉を与えてくださる。従って、私たちは注意深く耳を傾け、神の新たな御言葉を耳にしたら、すかさず探求し、調査しなくてはならない」、というメッセージを私たちに送っているのです。こうしてのみ、私たちは終わりの日の神の救いを得て、神の恵みと祝福を受けることができるのです。

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