いのちの豊かさ

    2018年 06月 06日

    全能者である神の終わりの日の働きを受け入れてからの年月は、赤い大きな竜の抑圧の下で、妻と私は共にこれを経験してきました。この期間中、私は信仰が弱くなったり、辛くなったり、涙を流したりもしましたが、この抑圧を経験したことでたくさんのことを学んできました。この辛い経験は、私に赤い大きな竜の反動主義的な邪悪な本性と醜い顔をはっきりと見せただけではなく、私自身の堕落した本質も認識させました。さらに、これにより、私は神の全能性と知恵も経験することができました。赤い大きな竜を引き立て役として使うことにより、神の実際の素晴らしさを真に経験し、認識しました。これにより、神に従っていくことに対する私の確信が一層強固なものになりました。

    いのちの豊かさ

    神の終わりの日の働きを受け入れた後、神からの引き上げと祝福により、妻と私は自宅に仲間を迎え入れることにより本分を尽くしてきました。当時、私達とともに毎日数名の兄弟姉妹が暮らしており、そのメンバーは頻繁に入れ替わりました。そして、私達は、神の信者として地域では比較的有名でした。2003年の冬、赤い大きな竜の抑圧はより厳しくなってきました。ある日、私達のリーダーが次のように言いました。「警察があなた方に目を光らせています。あなた方はここにいてはなりません。荷物をまとめてここを出て、本分を尽くすべきです。」この突然の采配に直面し、私はショックを受けました。そして、次のように考えました。この瓦屋根の家は、私が一生懸命に働いて建てた家で、まだ1年もここに住んでいない。こんな風にこの家を出ていきたくない!あぁ、神よ。もう数年ここに住まわせてください。そしたら出ていきます。別の場所で暮らすのは、自宅で暮らすほど便利でも快適でもありません。しかし、赤い大きな竜の抑圧について思いを馳せた瞬間、この家を売却したら、本分を尽くすためにここを離れることを決意しました。私達の新築の家を見て回ると、悲しみと胸の疼きが押し寄せました。この家から離れなければならないのは本当に耐えられないことでした。この時点で家を売らなければならないのはとても不運だと感じました。肉の損得に頭が一杯で、決断しかねていた時、神の言葉が耳の中に響くのが聞こえました。アブラハムはイサクを捧げた。あなたがたは、何を捧げたであろうか。ヨブは全てを捧げた。あなたがたは、何を捧げたであろうか。極めて多くの人々が、真の道を追求するために、いのちを賭け、首を差し出し、血を流してきた。あなたがたは、そうした代償を支払ったであろうか。それに比べ、あなたがたには、そうした大いなる恵みを授かる資格が無い。」(『言葉は肉において現れる』の「モアブの子孫を救うことの重要性」より)神の言葉は両刃の剣のように私の心臓の中心を貫きました。私は信じられないほど恥ずかしさを感じました。その通りでした!神の要件を満たすには、アブラハムは愛する者と別れ、一人息子を燔祭で神に捧げるという大きな痛みに進んで耐えました。サタンと神が賭けをした時、ヨブは財産と10人の子供を全て失っても、ヤーウェを讃え、賛美することができました。最期の時でさえ、友人や家族に見捨てられ、病に侵されるという試練に苦しむ中でも、自身の誕生日を呪い、神のせいにすることはありませんでした。彼は揺るぐことなく、断固とした神の証を立て、サタンは屈辱的な完敗を喫しました。また、いろいろな年齢の聖徒と預言者もおり、神の心を実行するため、若さや結婚を犠牲にした人もいれば、家族や親族、財産を諦めた人もいました。さらには、神の働きのために自らの命を犠牲にし、血を流した人さえいました。…しかし、私と言えばどうでしょう。何世代もの聖徒が経験したことのないような貴重な救いの恵みや、神から授けられたいのちに対する豊かな言葉を受けながら、神のために何を犠牲にしたというのでしょうか。私は神に何を提供してきたでしょう。教会は、赤い大きな竜の抑圧と追及のため、彼らの掌中に落ち、残酷な迫害に苦しまないよう、家を離れるよう命じました。これは、神の私達に対する偉大なる愛であり保護でした。それにもかかわらず、私は善悪の区別もつかず、神の真摯な意図にも無関心でした。私は自分の安全のことすら考えておらず、ひたすらに、瓦屋根の新築の家への憧れと肉の喜びについて考えていただけでした。私は、神の采配に従おうとしていませんでした。私は欲にまみれ、いのちよりも、金銭に目がくらんでいました!今日、私は、自分の安全のためであっても、自分の家を離れたくありませんでした。神への捧げ物として私の個人的な関心事に背を向けなければならないならば、神の働きのために私のいのちを犠牲にしたり、血を流したりしなければならないなら、自分の命と同じくらい金銭を愛する、心が狭く、自己中心的で卑しい私のような人間が、どうして神のためにこの犠牲を進んで払うことができるだろうか。その地点に到達するだいぶ前に逃げ出すのではないだろうか。私は、「私はペテロの足跡を辿り、神を愛する第一人者になる心づもりがあります。」「私は自分自身の個人的な利益や損得を考えずに、何でも犠牲し、何でも使い果たすことができます。」「私は神に満足していただきたいだけです。」などを偉そうによく話していた自分自身のことを思いました。しかし、現実の状況を目の当たりにし、自分の中のいかなる部分も、神に意識を集中していませんでした。私は自分自身に直接関係する利益のことのみを考え、肉の喜びのために、実に、神に交渉しようとしていたのです。そして、私は自問しました。「これこそが、神にお返ししなければならない愛ではないのか。」神は次のように言いました。「もしあなたが愛しているなら、あなたは喜んで捧げ、困難に耐え、わたしに味方するだろう。わたしのためにあなたの家族や、将来や、青春や、結婚などすべてを捨てるだろう。さもなければ、あなたの愛は全く愛ではなく、欺きで裏切りである!あなたの愛はどんな愛だろうか。それは真の愛だろうか。偽りの愛だろうか。あなたはどれだけ捨てただろうかどれだけ捧げてきたのか。わたしはあなたからどれだけ愛をもらっただろうか。あなたは知っているだろうか。あなたがたの心は悪と裏切りと欺きで満ちている。」(『言葉は肉において現れる』の「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」より)私は神の前で誓いを立てながら、それを守っていませんでした。これは神を騙し、神を欺こうとしているのではないでしょうか。こう考えた時点で、私は神の前にひれ伏し、祈らずにはいられませんでした。「あぁ、全能者である神よ。私は、かつて、いかなる苦難にも愚痴を言わず、何人でも兄弟姉妹を進んで引き受け、それは神への私の愛の表現の1つであると、常に考えていました。しかし、ようやく今となり、いわゆる私の愛は条件付きのものであり、選択的なものであったという事実の現れをはっきりと見ることができました。これは、全て渡しが欲していることを前提としたもので、それは、快適な環境でのみ存在していました。しかし、神が私に肉の苦難を耐え、私自身の関心事を妥協することを求めた時、私の『愛』はさっと消滅しました。このことから、私は実際には神を愛しておらず、真理に対する恩義に対して全く本分を尽くしておらず、神の愛に報いるのに出し渋りさえしており、その上、私が支払った少しばかりの金額を使って、素晴らしい祝福を受けるための交渉をしていました。私は本当に、完全な日和見主義者で、身勝手で、卑劣で心の狭い人間です。私は、神の前で生きるのに適しておらず、神が私の人生にもたらしてくださった全てを受け取るのに適してさえいません!あぁ、神よ。私はもう神を欺いたり、神に反抗したりして、神を傷付けたくありません。私は、自分の個人的な利益を脇に追いやり、神の調整や采配に従い、誓いを守りたいと思います。」

    その後、私はあの新築の家を売却するために全力を尽くし、別の土地で二間のアパートを購入しました。前の家とは比べ物になりませんが、電話と暖房設備があり、交通の便が良いものです。このアパートに大変満足しており、そこで、私達は兄弟姉妹を受け入れる本分を再開しました。あっという間に2004年の春になっており、共産党警察は、再び私達に疑いの目を向けるようになっていました彼らは2名のスパイを私達のところへ送り込みました。彼らは、占い師を装って情報を引き出そうとしました。神の啓示とリーダーシップにより、私達は彼らの計画を見破り、神の知恵に頼って、彼らを追い出しました。教会はそのことを知ると、私達の働きを中断させました。私達の環境を守るため、別の仕事を探すように命じました。その時以来、私達は兄弟姉妹とはほとんど連絡を取りませんでした。6ヶ月が経過し、地域の状況は一層厳しくなってきました。ある日、ユダが私達を売ったので、赤い大きな竜の掌中に落ちないようにできるだけ早く引っ越す必要があるいう通知を教会から受け取りました。神の家からのこの采配を目の当たりにし、この時、私は従うことを選択し、赤い大きな竜への憎しみが心の中で燃え上がりました。赤い大きな竜の「市民には宗教の自由があり、市民の正当な権利と関心は守られる」という宣伝文句を聞き、教会があちこちに建設されるのを見た昔のことを思い出しました。私はこれを心から喜び、素晴らしいと思いました。人々の心を掴んだと感じました。しかし、今日、現実に直面し、私はようやく本当にはっきりと、赤い大きな竜の醜い顔を見ました。その謀略を見破ることができました。彼らの宣伝文句や上辺の行動は全て嘘と偽りに過ぎず、全てプレゼンテーションだと知りました。これは全て、人を混乱させ、盲目にするための卑劣な手段であり、汚い手口でした。邪悪で冷酷、狡猾で詐欺的、対抗的で、神に対して反抗的、そして全く反動的なものでした。これは、人々を破滅させ、損害をもたらす悪魔だったのです!受肉した神は神の創造物である人類を救うために地上に降りてきました。これは正しく適切なことでした。これは、極めて喜びに満ちたものでした。しかし、赤い大きな竜は神が人々の中にいることを許さず、人々が神を賛美し、それぞれのいのちにおいて適切な道を歩むことを許しませんでした。それは、キリストを死に物狂いで狩るためにできることは全て行ない、神に選ばれし人々を残酷に迫害し、神の働きを邪魔し、破壊しようとしました。それは、神を追いやり、神に選ばれし人々を根絶し、神の終わりの日の働きを破壊しようとしました。これは、本当に完全に反動的で、天が容認し得ないことです!ちょうどその時、神の言葉が私の心に浮かびました。「宗教の自由というが、どうだろうか。市民の正当な権利と利益というが、どうだろうか。そうした物事はすべて、罪を隠蔽する手口である。…なぜ、神の業に対してそのような難攻不落の障害を建てるのか。なぜ神の民を欺く様々な謀りを用いるのか。真の自由や正当な権利と権益はどこにあるのか。公平さは、どこにあるのか。安らぎは、どこにあるのか。温もりは、どこにあるのか。偽りに満ちた謀りを用いて神の民を欺すのは何故か。神が来るのを武力で抑制するのは何故か。神が造った地の上を、神が自由に移動させないのは、何故か。神が枕するところが無くなるほどに神を追うのは、何故か。」(『言葉は肉において現れる』の「働きと入ること(8)」より)神の言葉を通して、私は赤い大きな竜の醜い顔をはっきりと見、神への抵抗、神への迫害、そして人々への損害と抑制をはっきりと理解することができました。いかに多くの兄弟姉妹が、抑圧と追及により、家に帰れずにおり、放浪者やホームレスとしての生活を余儀なくされているかを思いました。いかに多くの兄弟姉妹がその非道な拷問による破壊行為に苦しみ、いかに多くの兄弟姉妹が無実の罪で投獄され長く暗い日々を過ごし、神を信じ、本分を尽くしているというためだけに、その後、犬や豚でさえ住めないような独房の中で生きているかを思いました。また、いかに多くの兄弟姉妹が自由なく、全てを監視された状況で暮らしているかを思いました。彼らは本分を尽したり、教会で通常の暮らしをしたりすることさえできないでいます。今日、私達は神を信じ、仲間を迎え入れることは、私達が創造物として本分を尽くしているに過ぎませんでした。私達は責任を果たし、赤い大きな竜の法律や規則に違反したことは一切なかったにもかかわらず、私達は根拠のない非難や抑圧の対象になっていました。私達は、自分たちの本分を尽くすために、場所を変えていくことしかできませんでした。それにもかかわらず、警察は私達への追及を緩めず、私達を罠にかけ、迫害するための証拠を見つけることができると考え、何らかの情報を引き出すために占い師を装うことすらしました。赤い大きな竜は本当に計り知れないほどに邪悪で、不誠実で、卑劣で、悪意に満ちています!これを考え、私は一層強く義憤を感じ、赤い大きな竜に対して心の底からの憎しみで一杯になりました。神のお陰です!神の実際の働きと言葉が、赤い大きな竜の仮面を完全に引き剥がし、威厳の外観を纏った偽善の醜さを完全に露見させました。それまで盲目であった私の目がようやく開きました。私の霊が目覚め、赤い大きな竜は一般市民を騙すことによりその名を確立してきたという真実、そしてその欺瞞性と有害性という真実をはっきりと見ました。ですから、私は、これを断固として見捨て、拒否することに自信と決意を持ちました。何よりも、赤い大きな竜の卑劣な悪と裏暗い汚さと比べ、神がいかに義であり、神聖であり、光であり、善に満ちた存在であるかを一層深く理解しました。私は神の偉大なる救いと私達、堕落した人類への愛を見ました。環境がどれほど過酷であろうと、赤い大きな竜からの抵抗や抑圧がどのようなものであろうと、神は私達を救うことを諦めませんでした。神は神が行わなければならない働きを遂行するためにあらゆる苦しみにまだ耐えています。この汚らわしく卑劣な世界で、私達は神にのみ頼ることができます。神は私達が持つ最も偉大な愛、最も大きな救いであり、それにより、私達は、一生をかけて真理を追求し、キリストに従おうという強い願望と渇望を持ちます。私と分かち合うために、この悲惨な状況の中で私に正しい判断力と洞察が得られるよう、このようなご馳走を並べてくださった神に感謝します。これから、赤い大きな竜との関係を完全に断つことを、私のいのちにかけて誓います。私は彼らの仇敵となります。どのような迫害や追及が起きようとも、私は彼らの専制政治に怯えることはありません。私はしっかりと神のみに従い、神の導きに頼り、その闇の力の抑圧を突破し、神の救いという愛に報いるために、本分を尽くしていきます。

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