神様の御声をどのように聞き分けるのか

    2020年 03月 01日

    参考聖書箇所

    「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう」(ヨハネによる福音書 16:12-13)

    「見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」(ヨハネの黙示録 5:5)

    神様の御声をどのように聞き分けるのか

    関連する神の言葉

    受肉した神は神の本質を有し、受肉した神は神による表現を有する。神は人間の姿になるので、なすべき働きを打ち出し、神は人間の姿になるので、自分が何であるかを表して、人に真理をもたらし、人にいのちを与え、人に進むべき道を示すことができる。神の本質を含んでいない肉体が受肉した神ではないことは間違いなく、これについて疑う余地はない。受肉した神かどうか調べるためには、その人が表す性質や話す言葉からそれを決めなければならない。つまり、人間の姿になった神かどうか、それが真の道かどうかは、その人の本質から判断しなければならない。そこで、人間の姿になった神かどうかを決定するとき[a]、鍵となるのは、外見よりもむしろその人の本質(働き、言葉、性質、その他いろいろ)に注意を払うことである。外見だけを見て本質を見落とす者は、自分の無知、単純さをさらけ出すことになる。「神の働きを経験する者のみが真に神を信じる」より

    神の言葉は、外見上平易であるか深遠であるかに関わらず、人がいのちに入るには全て必要な真理であり、人間が霊と肉の両方において生存することを可能にする生ける水の泉である。神の言葉は、人間が生き続けるために必要なことがら、日常生活を送るための教義と信条、救いを得るために進むべき道、目標、方向、神の前に造られた者として持つべき一つひとつの真理、そしてどのように神に服従し、神を礼拝すべきかに関する一つひとつの真理を与える。神の言葉は、人間の生存を保証するものであり、人間の日々のパンであり、また人間が強くあり、立ち上がることを可能にする頑強な支えでもある。神の言葉には、被造物である人類がそれを実際に生きる際、正常な人間性に関する真理の現実が豊かに含まれており、人間が堕落から解き放たれ、サタンの罠を避けるための真理と、創造主が被造物である人間に与えるたゆみない教え、訓戒、励まし、慰めが豊富に含まれている。神の言葉は、肯定的な事のすべてを理解するよう人間を導き啓発する灯台であり、人間が全ての正しいこと良いことを実際に生き、所有するための保証であり、人々、出来事、物事を測る基準であり、また人間を救いと光の道へと導く道標である。人間は、神の言葉の実体験の中でのみ、真理といのちを与えられ、その中でのみ、正常な人間性とは何か、有意義な生涯とは何か、真の被造物の存在とは何か、神への真の服従とは何かを理解するようになる。その中でのみ、人間がいかにして神を思いやるべきか、被造物としての本分をいかにして尽くすか、真の人間らしさをいかにして身につけるかを理解するに至る。そうしてはじめて、人間は真の信仰や真の礼拝とは何を意味するのか、天と地と万物の支配者が誰であるかを理解するようになる。そうしてはじめて、全ての創造物の主人である方がいかなる手段で万物を支配し、導き、与えるかを理解するようになる。人間は、そうしてはじめて、全ての創造物の主人である方がいかにして存在し、現れ、働きを行うかを理解し把握するようになる。……神の言葉を実際に経験することから離れるなら、人間は神の言葉と真理に関する真の認識と洞察を持つことがない。そうした者は、まさしく生きる屍であり、まさしく抜け殻であり、また創造主に関する認識は、その者とは一切無関係である。「神を知ることこそ神を畏れ悪を避ける道」より

    神を知ることは、神の言葉を読み理解し、神の言葉を実践し経験することを通じてなされなければなりません。「私は受肉した神を見たことがない。それでどうして神を知ることができるのか」と言う人がいます。実のところ、神の言葉は神の性質の表現です。神の言葉から、神の愛と人類の救い、そして人類を救う神の方法を見ることができます。神の言葉は人間を使って書かせるのではなく、神自身によって表現されるからです……それは神によって直々に表現されるのです。つまり、神自身がその言葉と内なる声を表現しているのです。それが心からの言葉だと言われるのはなぜですか。なぜなら、それは奥深くから発せられ、神の性質、心、考え、人類への愛、人類の救い、人類への期待を表現しているからです。神の言葉には厳しい言葉もあれば優しく思慮深い言葉もあり、また人類の望みと一致しない暴きの言葉もあります。暴きの言葉にしか目を向けなければ、神はなんと厳しいのかと感じるでしょう。優しい言葉にしか目を向けなければ、神にはさほど権威がないかのように感じるでしょう。ゆえに、神の言葉を文脈から切り離すのではなく、あらゆる角度から見なければなりません。神が優しく憐れみ深い視点から語るときがあり、そのとき人々は神の人類への愛を見ます。神が厳格な観点から語るときもあり、そのとき人々は神の侵すことを許さない性質を見ます。人間はひどく汚れており、神の顔を見たり神の前に出向いたりする価値はありません。今、人々が神の前に出向けるのは、ひとえに神の恵みです。神の知恵は、神が働きを行なう方法や、神の働きの意義から見ることができます。しかも人々は神と直に接触しなくても、神の言葉の中にこれらの物事を見ることができるのです。「受肉した神をいかにして知るか」より

    今回は、神は霊体ではなく、まったく普通の体で働きを行うために来る。それは神の二度目の受肉の体というだけではなく、神がそれをまとって戻ってくる体でもある。それはごく普通の肉体である。この体の中に、他の人々と異なるものは何も見受けられないが、あなたは、今までに聞いたこともない真理をこの人から受け取ることができる。この取るに足らない肉体は、神から来る真理の言葉のすべてを具現化したものであり、終わりの日の神の働きを引き受けるもの、また人が知るようになる神の全性質の表現である。あなたは天の神を見ることを大いに望んでいたではないか。あなたは天の神を理解することを切に願ったではないか。あなたは人類の終着点を見ることを大いに欲していたではないか。この人は、今まで誰ひとりとしてあなたに語ることのできなかった秘密の全てをあなたに語るだろう。また、あなたが理解していない真理についてさえ語るだろう。この人は、あなたにとっての神の国への入り口の門であり、新しい時代への導き手である。このような普通の肉が多くの計り知れない奥義を握っているのである。この人の行いはあなたには測り知れないかもしれないが、その人が行うすべての働きの目標は、この人が人々が思うような単なる肉ではないことを理解するのに充分である。なぜならこの人は、終わりの日に人類に神が示す配慮及び神の意志を表しているからである。あなたは天地を揺るがすような神の語る言葉を聞くことはできず、燃え上がる炎のようなその目を見ることもできず、また、鉄の杖のような神の懲らしめを感じることもできないが、その言葉から神の怒りを聞き、神が人類に示す憐れみを知ることができる。あなたは神の義なる性質と神の知恵を見ることができ、更に神が全人類に対して持つ配慮をはっきり理解することができる。「神が人々の間で偉大な業を成し遂げたことを知っているか」より

    神は人の本質を十分承知しており、あらゆる種類の人々に関連するあらゆる種類の行為を明らかにすることができる。神は人間の堕落した性質や反抗的行動を明らかにするのはなおさら得意である。神は世俗的な人々の中には住まわないが、人間の本性や世俗的人々の堕落のすべてを承知している。これこそが神である。神は世間を取り扱わないが、世間を取り扱う規則は知っている。なぜなら人間の本性を十分に理解しているからである。神は人の目では見ることのできず、人の耳では聞くことのできない聖霊の働きについて、現在のものも、過去のものも知っている。これには、人生哲学ではない知恵や、人々が推測するのは難しいと思う奇跡も含まれている。これが、人々に明らかにされており、また隠されてもいる神そのものである。神が表すものは、特別な人のことではなく、聖霊に本来備わっている特質と存在である。神は世界中を巡回しないが世界のすべてを知っている。神は知識も洞察力もない「類人猿」と接触するが、知識よりも高く、偉人を超えた言葉を述べる。神は、人間性を持たず、人間の慣習や生活を理解しない鈍感で頭の鈍い人々の集団の中で暮らすが、人類に通常の人間性のままに生きるよう要求し、同時に人類の卑劣で粗野な人間性を明らかにする。このすべてが、どの生身の人間そのものよりも高い神そのものである。神は、なさなければならない仕事をし、堕落した人間の本質を完全に明らかにするために、複雑で、扱いにくく、浅ましい社会生活を経験する必要はない。浅ましい社会生活は、神の肉を啓発しない。神の働きと言葉は人の不従順を明らかにするだけで、人に世界と取り組むための経験や教訓を与えはしない。神が人にいのちを与えるとき、社会や人の家族を調べる必要はない。人を暴き、裁くことは神の肉の経験の表現ではない。それは人の不従順を長いこと知り、人類の堕落を忌み嫌ったあと、人の不義を明らかにすることである。神が行う働きはすべて、神の性質を人に明らかにし、神であることを表すことである。この働きができるのは神のみであり、生身の人が達成できることではない。「神の働きと人の働き」より

    イエスの再臨は、真理を受け入れることのできる者には大いなる救いであるが、真理を受け入れることのできない者にとっては、罪に定められるしるしである。あなたがたは自分自身の道を選ぶべきで、聖霊を冒涜したり真理を拒んだりするべきではない。あなたがたは無知で傲慢な者でなく、聖霊の導きに従い真理を慕い求める者にならなければならない。そうすることでのみ、あなたがたの益となる。わたしは、注意深く神への信仰の道を歩むようにあなたがたに助言する。結論を急いではならない。さらに、あなたがたは神への信仰において、無頓着であったり、のんきであってはならない。少なくとも、神を信じる者は謙虚で畏敬の念に満ちているべきだということを知らなければならない。真理を聞いたことがありながら鼻であしらうものは愚かで無知である。真理を聞いたことがありながら不注意に結論を急いだり非難したりする者は、おごりで包まれている。イエスを信じる者は誰も、他人をののしったり非難したりする権利はない。あなたがたは皆、理知があり、真理を受け入れる者でなければならない。真理の道を聞き、いのちの言葉を読んだのち、自分の信念と聖書に沿っている言葉は一万語にひとつだと信じているかもしれない。そうであれば、その一万分の一の言葉の中で求め続けなければならない。それでもわたしはあなたに謙虚であり、自信過剰にならず、思い上がらないようにと助言する。あなたの心が抱いている神へのわずかな畏敬の念から、より大きな光を得ることになる。もしあなたがこれらの言葉をよく吟味し、繰り返し思い巡らすならば、それらが真理かどうか、それらがいのちかどうかが分かるであろう。ほんの数行読んだだけで、「これは聖霊によるちょっとした照らしでしかない」とか、「これは人々を惑わすために来た偽キリストだ」と盲目的に非難する人たちもいるであろう。そのようなことを言う人たちは、無知ゆえに目が見えなくなっている。あなたは神の働きや知恵をほとんど理解していない。わたしはあなたに助言する。最初からやり直しなさい。終わりの日における偽キリストの出現のせいで、神の言葉を盲目的に非難してはならない。惑わされることを恐れる為に、聖霊を冒涜する者となってはならない。それはとても残念なことではないであろうか。もし良く調べた後で、これらの言葉が真理ではない、道ではない、神が表したことではないと未だに信じるならば、あなたは最後に懲罰を受けなければならず、祝福されない。もしこれほどわかりやすく明確に話された真理を受け入れられないなら、あなたは神の救いにそぐわないのではないのか。あなたは神の玉座の前に戻るほど幸運ではない人ではないのか。このことを考えなさい。軽はずみで衝動的になってはいけない。神への信仰をまるでゲームのように考えてはいけない。あなたの終着点のために、前途のために、そしてあなたのいのちのために、考えなさい。自らをいい加減に扱ってはならない。あなたはこれらの言葉を受け入れることができるであろうか。「あなたがイエスの霊のからだを見る時は、神が天と地を新しくした時である」より

    脚注

    a.原文では「~かどうかに関しては」と書かれている。


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