忙しい仕事の中でも心を主から離れない方法とは?

信仰ステーションの兄弟姉妹の皆さんへ:

私は神の働きを受け入れたばかりの信者です。クリスチャンにとって交流の集会や毎日のディボーションはとても大切なことですが、私は仕事が過酷で疲れてしまうので、何をする時間も残りません。私は高い収入を得てはいますが、いつも虚しさと恥ずかしさを感じています。どのようにして毎日のディボーションと多忙なワークライフのバランスを取ればよいでしょうか?

シャオ・ドン

忙しい仕事の中でも心を主から離れない方法とは

シャオ・ドンさん、

こんにちは。あなたがお持ちの疑問には、私自身もとても長い間頭を悩ませました。私は主にある兄弟姉妹との交流を通じ、そして神の御言葉を読み続けたことで、神の御旨を知り始めました。仕事と信仰のバランスを取るため、そして仕事を適切にとらえるには、次の2点を理解する必要があります:

イエス様の御言葉通りに行動すれば、道を見失うことはありません

主イエスはこう仰りました、「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」(マタイによる福音書4:4)。「それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。」(マタイによる福音書6:25-26)。「だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。」(マタイによる福音書6:31-32)。

神の御言葉は本当に、私たちのいのちと仕事を含めた全てが神の管理にあるということを、私たちが理解できるようにしてくださっています。私たちは神を信頼し、神の御言葉で生活してさえいれば、神の祝福を目にするでしょう。私たちは、クリスチャンとして、神の御言葉によって全てを判断し、神の御言葉をいのちの土台とする必要があります。私たちが物質的に必要とする物は全て神が備えてくださります。聖書には預言者エリヤのストーリーが書かれています。彼がケリテ川のほとりに身を隠した時、神はからすに命じて彼に食べ物を運ばせました。このため、エリヤが腹を空かせることはありませんでした。私たちも皆、このような体験をしていると思います。私たちは神の愛に心を打たれると、主のために労力を費やす意思を持つようになります。初めは、お金が不足することが心配になるかもしれません。しかし、時間が経つにつれて、神は私たちが必要とする以上にお与えくださっていることを私たちは知るでしょう。その時、私たちは、神の恵みが十分以上与えられていることを知り、大それた欲望を持つことなく、穏やかな気持ちになるでしょう。

実際、私たちの信仰と仕事が衝突することはありません。どうすれば職場で神と正常な関係を築くことができるでしょう?

焦点を変えれば、私たちの仕事に臨む神の御手を目の当たりにします

主イエス様はこう仰りました、「神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」(ヨハネによる福音書 4:24)。神は霊であります。神は全てを司っておられます。私たちはいつ、どこでも、神を礼拝し、神との関係を築くことができます。仕事をしながらでも神の御言葉を体験することに焦点を置いていれば、私たちは全てにおいて神の素晴らしい御業を目の当たりにし、神と毎日を共に過ごすことができます。神は私たちが問題や困難を解決するのを手伝ってくださり、正直な人になる方法を教えてくださります。真理を少し得ることができれば、多忙で、肉体的に疲れていても、前向きな姿勢で毎日の仕事と向き合うことができます。

私の実体験をお話しします。最初、私は、仕事は仕事、信仰は信仰だと思っていました。この2つは全く関連していないのです。私が心から神を礼拝できるのは、教会で集会に参加している時だけです。私は当時、レストランで働いていました。私は極めて多忙で、教会の集会は毎週数回開かれていました。私は常に時間が足らないと感じ、神の御言葉を体験するのはもちろん、神の御言葉を読む時間すらありませんでした。そして、私はまた、自分の労働時間は長く、面倒くさいとも感じていました。ある集会の時、ある姉妹が私に神の御言葉のこの段落を読んでくれました、「神の道を歩むためには、自分自身に関する事柄や、自分の周囲で起こる事柄は、小さいことでも、すべてないがしろには出来ない。自分がそれに注意すべきであるかどうかを問わず、問題に直面している限り、それを無視してはならない。そうした事柄は、全て神からの試験であるとみなす必要がある。こうした姿勢は、どのようなものであろうか。あなたが、こうした姿勢をとっている場合、それにより、ある事実が確認される。すなわち、あなたの心が神を畏れていること、そして悪を避けることを望んでいるということである。あなたに、神に満足してほしいという願望があるなら、あなたが実行する事柄は神を畏れ、悪を避ける基準とかけ離れていることは無い。人間がそれほど気にかけない事柄、通常は話題とならない事柄は、取るに足らない些細な事柄であり、真理を実行することとは無関係であると考える人々が往々にしている。そうした人々がこのような物事に直面した場合、そうした人々は、それほど考慮することなく放置する。しかし、事実としては、こうした事柄は、あなたが学ぶべき教訓、どのように神を畏れ、悪を避けるかに関する教訓である。さらに、それ以上に配慮すべきことは、その問題が発生して自分が直面した時、神は何をしているかを知る事である。神は、あなたのすぐ側で共にいて、あなたの言うことなすことを観察し、あなたの行動を観察し、心の動きを観察している。これが神の業である。」

神の御言葉を読んで姉妹と交流したおかげで、私は神の御言葉に従って人々と仕事を扱う必要があることを知りました。私たちが見るもの、出会う人々、行う仕事は全て神が異なる度合で私たちに課される試練なのです。神は私たちが全てにおいて神を恐れる心を持ち、忠実に神の御言葉に従うことを望んでおられます。私は以前、神と共に歩む方法を知らず、神の御言葉を実践する方法も知りませんでした。私は真理を得る機会を本当にたくさん無駄にしていたのです。しかし、私は神の御業に注意を払い始め、自分の仕事において神の御言葉を体験し始めたのです。

一度、私のマネージャーが客への請求額を増やすために、色々な品目を請求書にもっと追加するよう私に指示したことがありました。私は、「あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。」(マタイによる福音書 5:37)、という主の御言葉について考えた時、私は客を騙してはならないと分かっていましたが、マネージャーを怒らせたくもありませんでした。私はボーナスを差し引かれることや、もっとひどい場合クビになるのを避けたかったのです。私はその時突然、これは神からの試練であり、神はすぐ側で私の対応を見ておられるということに気が付きました。私は神にこう祈りました、「ああ、神様。私は真理を実践するために肉を捨てます。他人からどのような扱いを受けても、私はあなたの御前で生きること、あなたと正常な関係を築くこと、あなたの御言葉を貫いて、正直になることに集中します。どうか、私をお助けください。」こう祈りを捧げた後、私の心は落ち着きました。私はマネージャーの言う通りにはせず、神の要求通りに行動したにもかかわらず、私のマネージャーは何も言わず、私を叱りもしませんでした。これより、神の御言葉を実践すれば、心の中で平安を得られること、そしてそれは決してお金で購入できるものではないと私は理解しました。それ以降、私はいつも自分のワークライフにおいて神の御言葉を実践することに焦点を置くようになりました。私は神との正常な関係を取り戻すことができたと感じ、仕事を面倒くさいと思うこともなくなりました。

ワークライフと信仰のバランスを取るために、何かを犠牲にする必要はありません。私たちはただ、神の御言葉に従い、それを私たちの生活の指針とするだけでよいのです。こうすることで、あなたは神から自由と、心の平安と、祝福を得ることができるでしょう。あなたに神の恵みがありますように!

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