どのように聖書を正しく取り扱うべきか

    2019年 11月 06日

    寄稿家:アメリカ(連心)

    聖書は神様の働きを記録された本である

    聖書は、キリスト教の唯一の宝典であり、旧約聖書と新約聖書二つの主要な部分が含まれ、主に神様が行った二つの段階の働きを記録されており、一つはヤーウェ神が律法の時代での働き、もう一つは主イエスが恵みの時代での働きです。

    どのように聖書を正しく取り扱うべきか

    旧約聖書は、神様が律法の時代で行った働きを記録されています。「創世記」から「マラキ書」までは、ヤーウェ神が律法の時代での働きのすべての記録です。旧約時代では、神様は二つの働きを行い、一つは創造の働き、神様が言葉によって天地万物を創造され、言葉が話されるやいなや、すべてのことが成し遂げられ、言葉と事実は同時に起こります。もう一つは神様が律法を発布され人間の生活を導く働きです。最初の人間はどうやって生活するかを知らず、ヤーウェ神はモーセを用いて律法と戒めを発布され、人間の生活を導かれます。律法の導きの下で、人間は罪とは何か、どのように戒めを守るべきか、どのように神様を礼拝すべきかなどを理解し、神様の導きがある生活を送り始めました。

    新約聖書は神様が恵みの時代での働きを記録されています。主イエスは、受肉して人々の間に来られ、天国福音をもたらし、人々に悔い改めの道を伝え、私たちは主イエスがなさった働きを受け入れて、神様に罪を告白し、悔い改めれば、罪が赦され、律法違反によって死刑を宣告される危険を免れました。主イエスが働きの間に多くの奇跡やしるしを行い、例えば、風と荒浪をなぎにさせ、五つのパンと二ひきの魚で五千人を満腹させ、死者を復活させたなど、人々に豊かな恵みをもたらしました。主イエスの働きは主に四つの福音書に記録され、私たちは四つの福音書を読んでこそ、主イエスがキリストであり、受肉した神様であることを認識できます。主イエスは私たちを贖うために、十字架で釘づけにされ、私たちに神様の憐れみと慈しみの性質、神様の人類に対する本当の愛を認識させます。

    それ以外に、聖書の黙示録は神様が世の終わりになさる働きを預言されています。ヨハネの黙示録にはこう書かれています。「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう』。」(ヨハネの黙示録2:7)「大声で言った、『神をおそれ、神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである。天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め』。 」(ヨハネの黙示録14:7)この二つの聖句から、私たちは主が戻って来られる時に、言葉を語り裁きの働きを行われ、神様による終わりの日の裁きの働きを受け入れてこそ、神様の終わりの日の救いを得られて、天国へ引き上げられることが分かりました。

    聖書を読むことを通して、私たちは神様のなさった働きを理解でき、神様の全能と支配、奇しき業に対して本当の認識を少し得られ、神様の私たち人類への愛、私たちを救う意図に対しても少し認識でき、心から神様に感謝すると共に、一生涯を神様に付き従い、神様を愛することを願っています。確かに聖書は私たちが神様を認識する仲介です。

    聖書の言葉はすべて神様の言葉ではない

    ヤーウェ神の言葉、主イエスの言葉は聖書に記録されているが、ヤーウェ神と主イエスの言葉の他に、一部は預言者の預言と神様に使われた人の経験と認識があります。神様の言葉は真理であり、正しく間違いないが、人の言葉には人の意志の混じり、或いは誤差があることを免れません。例えば、弟子マタイが記録した主イエスの系図、主イエスがアブラハムの子孫、ダビデの子孫、ヨセフの子(マタイによる福音書1:1−16)であったと述べているが、主イエスは自分がダビデの子孫であることを認めません。(マタイによる福音書22:41−45)主イエスは聖霊によって身ごもられ、受肉した神様であり、どうして系図があり得ようか。またマタイによる福音書に記録したペテロが主を三回に渡り否定したことと、マルコによる福音書に記録したことと違いがあります。(マタイによる福音書26:75、マルコによる福音書14:72)そして、聖書にはベビがエバを誘惑する言葉、サタンの言葉、ロバがバラムへの言葉があり、そのため、私たちは聖書に対して純粋に受け入れ、聖書の言葉を皆神様の言葉として取り扱ってはならず、もし聖書の言葉を神様の言葉として取り扱えば、これは私たちの間違いです。

    聖書の著者は人である

    聖書の著者は約40名余り、これらの人は預言者、使徒、弟子などいます。聖書の中に、ヤーウェ神の言葉、主イエスの言葉、及び神様が直接預言者に啓示された言葉を除き、残りは皆歴史の記録と人の経験と認識です。例えば、新約の四つの福音書は一部の著者は本人が主イエスの教えを聞いた後に記録したもの、一部は伝道者の説教により、本人が考察した後に書いたもの、神様が直接彼たちに啓示されたものではありません。(ルカによる福音書1:1−2)そのため、聖書の著者は人であり、神様ではありません。

    まとめ

    上記の交わりを通して、私たちは聖書の一部が神様のなさった働きを記録した書籍であることを認識でき、聖書の言葉はすべて神様の言葉ではなく、中には人の言葉があり、聖書の著者は神様ではなく、人です。そのため、私たちは正しく聖書を取り扱い、聖書を神様として取り扱ってはなりません。

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