救い主はすでに「白い雲」に乗って戻って来た(オーディオブック)

    2018年 07月 25日

    数千年もの間、人は救い主の到来に立ち会えることを熱望してきた。何千年もイエスを切望し、渇望してきた人々のもとにイエスが白い雲に乗って直接降りてくるのを見ることを望んできた。救い主が戻って来て人々と再会すること、すなわち、救い主イエスが何千年もの間離れていた人々のもとに戻ってくることを望んできた。そしてイエスがユダヤ人の間で行った贖罪の働きをもう一度実行すること、人に対して憐れみ深く愛情にあふれていること、人の罪を赦し、人の罪を負い、人のすべての逸脱さえ引き受け、人を罪から救うことを望んでいる。人々は救い主イエスが以前と同じであること、つまり愛すべき、心優しい、尊敬すべき救い主、人に対して決して激怒せず、決して人を非難しない救い主であることを望んでいる。この救い主は人の罪のすべてを赦し、引き受け、人のためにもう一度十字架上で死にさえする。イエスが旅立って以来、彼に従った使徒たちや、彼の名前のおかげで救われたすべての聖徒はイエスを切望し待っている。恵みの時代にイエス・キリストの恵みによって救われた人々はすべて、終わりの日の喜びに満ちたある日、救い主イエスが白い雲に乗って到着し、人々のもとに現れる日をずっと待ち焦がれている。もちろん、これは今日救い主イエスの名前を受け入れるすべての人々が共有する望みでもある。全世界のあらゆる場所で、救い主イエスの救済について知っている人々はすべて、イエス・キリストが突然到来し、「わたしは旅立った時とまったく同じようにやって来る」と地上で言った言葉を実現させることを心底切望している。磔刑と復活の後、イエスは白い雲に乗って天に戻り、神の右に座したと人は信じている。同様に、イエスは再び白い雲に乗って(この雲はイエスが天に戻るとき乗った雲を指している)何千年もの間イエスを待ち焦がれている人々のもとに降りて来るであろうこと、イエスはユダヤ人の姿をし、ユダヤ人の衣服を身に着けているであろうことを人は心に描いている。人の前に現れた後、イエスは食物を彼らに授け、生ける水を人々に向けてほとばしり出るように流し、恵みと愛に満ち、人々のあいだで生き生きと現実に暮らすだろう、等々。しかし、救い主イエスはそうはしなかった。彼は人が心に抱いたこととは反対のことをした。イエスはその再来を切望していた人々のもとには到来せず、白い雲に乗ってすべての人の前に現れもしなかった。彼はすでに来ていたが、人は彼を知らず、その到来に気づかないままである。イエスがすでに白い雲(イエスの霊、言葉、全性質、そして彼のすべてである雲)に乗って降りてきて、終わりの日に彼が作る克服した者たちの一団のもとに今ではいることに人は気づかず、虚しく彼を待っているだけである。人はこのことを知らない。聖なる救い主イエスは人に対して慈しみと愛に満ちているが、どうして彼が腐敗と不純な霊が宿っている「神殿」で働くことができようか。人はイエスの到来をずっと待っているが、不義の者の肉を食べ、不義の者の血を飲み、不義の者の衣服を着る人々、イエスを信じるが彼を知らない人々、絶えず彼からだまし取る人々の前にどうしてイエスが現れることができようか。人は救い主イエスが愛と哀れみに満ちており、赦しに満ちた贖罪のための捧げものであることしか知らない。しかし、イエスは同時に神自身であり、義、威厳、怒り、および裁きにあふれており、権威を所有し、尊厳に満ちていることはまったくわかっていない。そこで、たとえ人が贖い主の再来をしきりに切望し、天が人の祈りによって動かされたとしても、救い主イエスは、彼の存在は信じても、彼のことを知らない人々の前には現れない。

    救い主はすでに「白い雲」に乗って戻って来た,オーディオブック

    「ヤーウェ」はわたしがイスラエルで働きを行っている間に用いた名前であり、人を哀れみ、人をののしり、人の人生を導くことのできる、イスラエル人(神に選ばれた人々)の神という意味である。それは偉大な力を所有し、英知に満ちた神という意味である。「イエス」はエマヌエルであり、愛に満ち、慈悲心に満ち、人の罪を贖う捧げものを意味する。イエスは恵みの時代の働きを行い、恵みの時代を表すので、経営(救いの)計画の一部分しか表すことはできない。すなわち、ヤーウェだけがイスラエルの選ばれた人々の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、モーセの神、イスラエルのすべての人々の神である。そこで現代、すべてのイスラエル人は、ユダヤの部族は別として、ヤーウェを崇拝している。彼らは祭壇でヤーウェに捧げものをし、神殿で祭司の祭服を着て神に仕える。彼らが望むのは、ヤーウェの再来である。イエスだけが人類の救い主である。イエスは罪から人類を救った捧げものである。つまり、イエスの名前は恵みの時代から来ており、恵みの時代の贖罪の働きのために存在した。イエスの名前は恵みの時代の人々が生き返り、救われるために存在したのであり、全人類の贖罪のための特別な名前である。そこで、イエスという名前は贖罪の働きを表し、恵みの時代を意味する。ヤーウェの名前は律法の下に生きたイスラエルの人々のための特別な名前である。各時代、各段階の働きにおいて、わたしの名前は根拠のないものではなく、代表的意味を持っている。それぞれの名前は一つの時代を表す。「ヤーウェ」は律法の時代を表し、イスラエルの人々が崇拝した神の敬称である。「イエス」は恵みの時代を表し、恵みの時代に救われたすべての人々の神の名前である。人が終わりの日に救い主イエスが到来することをまだ望み、ユダヤの地にいたときの姿で到来することをまだ期待するなら、6000年の経営(救いの)計画全体は贖罪の時代に停止し、それ以上進展することはできないだろう。そのうえ、終わりの日は決して来ることはなく、時代にピリオドが打たれることはないだろう。救い主イエスは人類の贖罪と救済のためだけにあるからである。わたしは恵みの時代のすべての罪人のためにイエスの名を名乗ったのであり、わたしが人類全体を終らせるのはこの名においてではない。ヤーウェ、イエス、メシアはすべてわたしの霊を表すが、これらの名前は単にわたしの経営(救いの)計画の異なる時代を示すものであり、わたしの全体を表すものではない。地上の人々がわたしを呼ぶ名前のどれも、わたしの性質全体、わたしのすべてを明確に示すことはできない。それらは単に異なる時代にわたしが呼ばれる異なる名前にすぎない。だから最後の時代――終わりの日の時代――が来た時、わたしの名前はまた変わるのである。わたしはヤーウェやイエスとは呼ばれないし、ましてやメシアとは呼ばれないが、強力なる全能の神自身と呼ばれ、この名前の下でわたしは時代全体を終らせるだろう。わたしはかつてヤーウェとして知られていた。わたしはメシアとも呼ばれたし、人々はわたしを愛し、尊敬したので、ある時は救い主イエスと呼んだ。しかし、今日わたしは人々が過去に知っていたヤーウェでもイエスでもない。わたしは終わりの日に戻ってきた神、時代を終らせる神である。わたしは、わたしの全性質を余すところなく顕し、権威、名誉、栄光に満ちて地の果てに立ち上がる神自身である。人々は一度もわたしと関わったことがなく、わたしを知ったことがなく、ずっとわたしの性質に無知であった。天地創造から今日に至るまで、わたしを見たことがある者はひとりとしていなかった。これは終りの日に人の前に現れるが、人々の間に隠れている神なのである。神は真実で現実的に、照りつける太陽や燃え立つ火のように、力に満たされ、権威にあふれて人々のあいだに存在する。わたしの言葉によって裁きを受けない人や物は一人として、一つとしてない。燃える火によって浄化されない人や物は一人として、一つとしてない。最終的には、あらゆる諸国はわたしの言葉のために祝福され、わたしの言葉のために粉々に砕かれもする。このようにして、終わりの日にすべての人は、わたしが戻ってきた救い主であり、人類のすべてを征服する全能神であり、かつては人のための罪の捧げものであったが、終わりの日にはすべてを焼き尽くす太陽の炎にもなり、またすべてのものを顕示する義の太陽でもあることを理解するだろう。それが終わりの日のわたしの働きである。わたしはこの名前を名乗り、この性質を持ち、すべての人がわたしが義の神であり、照りつける太陽、燃え立つ火であることが理解できるようにする。そうするのはすべての人が唯一の本当の神であるわたしを崇め、わたしの本当の顔を見ることができるようにである。わたしはイスラエル人たちの神であるだけではなく、贖い主であるだけでもなく、天、地、海の至る所にあるすべての創造物の神である。

    終わりの日に救い主が到来する時、まだイエスと呼ばれていたら、そしてもう一度ユダヤで生まれ、そこで働きを行ったら、これはわたしがイスラエルの人々だけを造り、イスラエルの人々だけを救済し、異邦人とは関係がないことの証明になるだろう。これは「わたしは天と地、すべてのものを作った主である」というわたしの言葉と矛盾しないだろうか。わたしはユダヤを離れ、異邦人のもとで働きを行う。なぜならわたしはイスラエルの人々の神というだけでなく、すべての創造物の神だからである。わたしは終りの日には異邦人のもとに現れる。なぜならわたしはヤーウェ、つまりイスラエルの人々の神であるだけでなく、さらに、異邦人の中でわたしが選んだ者すべての創造主だからである。わたしはイスラエル、エジプト、レバノンを造っただけでなく、イスラエルの域を超えてすべての異邦人の国々も造った。そしてこのために、わたしはすべての創造物の主なのである。わたしは働きのための出発点としてイスラエルを使い、ユダヤとガリラヤを贖罪の働きの拠点として用い、異邦人の国々を時代全体を終らせる起点として使うだけである。わたしはイスラエルで二段階の働き(律法の時代と恵みの時代の二段階の働き)を行い、イスラエルの域を超えた国々の至る所でさらに二段階の働き(恵みの時代と神の国の時代)を行ってきた。異邦人の国々でわたしは征服の働きを行い、時代を終らせる。もし人がいつまでもわたしをイエス・キリストと呼び、わたしが終わりの日に新しい時代を始め、新しい働きに着手していることを知らず、いつまでも取りつかれたように救い主イエスの到来を待つならば、わたしはこのような人々をわたしの存在を信じない人々と呼ぶだろう。彼らはわたしを知らない人々で、わたしへの信仰は偽りである。このような人々が救い主イエスの天からの再来に立ち会うことができるだろうか。彼らが待っているのはわたしの到来ではなくユダヤ人の王の到来である。彼らはこの不純な古い世界をわたしが絶滅させることを切望しているのではなく、その代わりにイエスの再来を望み、それにより罪から救われることを願っている。彼らはイエスがこの汚れた、よこしまな地から全人類をもう一度救うことを切望している。どうしてこのような人々が終わりの日にわたしの働きを完成させる人々になれるだろう。人の願望はわたしの望みを達成することも、わたしの働きを完成させることもできない。人はわたしが以前になした働きを賞賛し、大切にするだけで、わたしがいつも新しく、決して古くならない神自身であることにまったく気づかないからである。人はわたしがヤーウェでイエスであることを知っているだけで、わたしが最後に来る人類を終らせるものであることに少しも感づいていない。人が熱望し知っているすべては、自分の観念に関するものや、自分の目で見ることができるものに過ぎない。それはわたしの働きと一致しておらず、調和していない。わたしの働きが人の考えに従って行われるとしたら、いつ終わるだろう。いつ人類は安息に入るだろう。そしてわたしはどうしたら7日目の安息日に入ることができるだろう。わたしは、わたしの計画に従って、わたしの目的に従って働くのであり、人の意図に従っては働かない。

    もっと見る:キリストの再来についての七つの預言

    聖書の部屋へようこそ。あなたが信仰上で困惑や困難にぶつかることがございましたら、いつでも私たちにご連絡ください。あなたの助けになることを望んでいます。私たちがキリストの中に互いに愛し合うように。

    コメントを残す

    人間の人生における6つの節目-子孫:第5の節目

    結婚後、人間は次の世代の養育を開始する。どのような子どもが何人生まれるかについて、人間は干渉する余地が無く、それもまた、創造主が予め定めた、その者の運命により決定される。これが、人間が経験しなければならない第5の節目である。 一人の人間が子の役割を果たすために生まれた場合、その者は、別の子の親とし…

    キリスト教映画「待ち焦がれて」抜粋シーン(1)主はこのようにお見えになる

    主の信者なら聖書のこの予言は読んだことでしょう。「またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。 」(マタイによる福音書24:30)。そして主が戻られる時は、雲に乗って降りて来られると。しかし聖書には他にも予言があります。…

    ディ ボー ション ノート-イエス・キリストの再臨の方法

    2018年10月11日最近、私は、聖書を読むのが増々退屈で、つまらなくなってきたと感じていました。なぜなら、何の啓蒙も得られないからです。私は今までずっと毎日祈りを捧げてきましたが、その効果はほとんど無く、私の心がそれに動かされることもありませんでした。主は私から御顔を隠しておられ、私に耳を傾けてお…

    神の救い-健康のために、しっかりと体を休めてください(オーディオブック)

    寄稿家:ヂャオ・レイ(フランス)私が学生だった頃、村の人々の多くはアパートに引っ越し、車を所有していましたが、私の家族は未だに瓦ぶきの家で暮らしていました。従って、私は大きくなったら裕福になろうと一生懸命に働く決心をしました。その数年後、私は荷物をまとめ、新しい場所を目指して電車に乗り、明るい将来に…

    キリスト教映画「待ち焦がれて」抜粋シーン(2)神様の現れの奥義を知っていますか

    主の信者の多くは、主は輝きに満ちて雲に乗り公然と姿を現すと信じ、いつも空を眺めて主が雲に乗って現われるのを待ち、天国に引き上げられ主に会えるものと考えています。果たしてこれは真理に沿っているのでしょうか?神様の出現と御働きにどうやって気が付くのでしょう?神様の出現にはどのような奥義が込められているの…

    人間の人生における6つの節目-結婚:第4の節目

    ある者が成長して成熟すると、自分の両親や自分が生まれ育った環境から離れて行き、自分の両親とは異なる、自分の人生の方向性と人生の目標を追究するようになる。この時、その者は両親を必要としないが、一緒に生活出来る者、すなわちその者の運命が密接な関連性を持つ、配偶者を必要とする。このように、その者が独立して…

    イエスの再臨をお迎えする最も重大な時

    「ハマグリの確認」と題した記事があります。それはハマグリが大好きな男の子のストーリーです。ある日、彼の母が袋一杯のハマグリを家に持って帰りました。美味しいハマグリを食べたかった彼は、調理をする前にハマグリの善し悪しを見て、悪いものを区別しておこうと思い、ハマグリの確認をすることにしました。こうして、…

    讃美歌「すべての国々があなたの光のもとへ来る」礼拝賛美

    すべての国々があなたの光のもとへ来る Ⅰ あなたは大きく腕を広げて下さり 呻く人類を優しく抱かれる 力と思いやりの腕を差し伸べ 瞳は微笑み、明るく輝く 私たちはあなたの愛と憐れみに抱かれ 栄光の御顔は再び現れる 長らく堕落したこの世界に 今あなたの光が届いた この世は邪悪で堕落しており 救い主の再来…

    聊天前请阅读并同意我们的隐私权政策。

    您已阅读并同意我们的隐私权政策吗?