主を信じるわたしたちが一度救われたら永遠に救われたというのは本当なのか

    2017年 07月 29日

    聖書にこう書かれています。「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです」(ロマ10:9)。「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」(ロマ10:13)。これらの聖書の言葉を見た後、ある人たちは、主イエスを信じた人がもう永遠に救われたと思っています。では、わたしたちが一度「救われ」たら永遠に救われたというのは本当ですか。

    主を信じるわたしたちが一度救われたら永遠に救われたというのは本当なのか

    旧約聖書からこういうことが分かります。ヤーウェ神はモーセを通して律法を発布してイスラエルの民に守らせました。あの時、だれでも律法を犯したなら、自分のために罪を贖わなければなりませんでした。そうでない、彼は懲罰を受けます。そういうわけで、当時のイスラエルの民はみな、おとなしく律法を守り、だれも違反する度胸がありませんでした。しかし時がたつにつれて、わたしたち人類がサタンに腐敗させられた程度がますます深くなり、わたしたち人類の犯した罪もますます多くなり、こうして、自分のために罪を贖う罪祭は足りなくなりました。わたしたち人類が続けてこのように罪を犯すなら、律法によって罪定めされて死刑にされるという危険に直面するでしょう。わたしたち人類が神の言葉を聞かず、神を裏切りましたが、神は依然としてわたしたちを愛しています。わたしたちを死亡から救い出すためには、受肉した主イエスは十字架につけられて罪祭となり、人類を律法の下から贖い出されました。それ以後、わたしたちは主イエスを信じて頼ると、罪の赦しを得ることができます。わたしたちは律法を守れなくて死刑にされることがなくなり、主の贖いのゆえに救われ、しかも主イエスの憐れみ、慈しみ、主イエスから与えられた豊かな恵みを享受することができます。

    しかし、これはわたしたちが永遠に救われたことを意味していますか。主イエスはこう言われたことがあります。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる」(ヨハ8:34-35)。ヘブライ人への手紙第12章14節にも「聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません」と書かれています。わたしたちは極力苦しみを受け、人には寛容で我慢し、また外側のよい行ないがありますが、でもわたしたちの内側の罪の性質は根深く、エゴイズム、狡猾さ、傲慢さなどの性質は全部そろっています。さらに、わたしたちはうわべでは主を信じていますが、実際には弁舌の才があり、道を説くことができる牧師、長老たちを崇拝し、また彼らについて行きます。主イエスがわたしたちを祝福される時、わたしたちは感謝し、主を賛美しますが、家に災難が起こったら、不平を言い、しかも弱くなって神から遠く離れます。……これで分かりますが、わたしたちはやはり罪を犯し、依然として罪の奴隷です! 主イエスは「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」(マタ7:21)と言われました。だから、わたしたちの罪が取り除かれることができなず、わたしたちがきよくなることができないとすれば、わたしたちは全然本当に神に従い、天の父の御心を行うことができません。

    主イエスに贖われたわたしたちは、どうすればきよめられることができるでしょうか。わたしたちはヘブライ人への手紙第9章28節にこう書かれているのを見ました。「キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです」。この節は、主イエスがきっと二度目に人類に現れ、しかもわたしたち人類を救われるという情報を伝えてくれました。ここの「罪を負うためではなく」とはどういう意味ですか。これについては、わたしはこう理解しています。わたしたちがキリストの二回目の救いを経験してこそ、わたしたちの罪は徹底的に取り除かれることができます。これこそが永遠に救われるということでしょう。

    わたしたちはこのように祈りましょう。「主イエスよ、贖いの獲得という大きなご恩をわたしたちに施してくださったことに感謝します。あなたはすでにわたしたちを贖われました。またわたしたちを救いに来てくださるでしょう。わたしたちは、主が二回目にわたしたちに現れて、わたしたちを完全にきよくし、わたしたちが神を表現し、神の栄光を現すことができるようにすることを、切に待ち望んでいます。キリストの王国が地に来ますように。あなたの御心がわたしたちの上に行なわれますように。アーメン!」。

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