霊的戦い:彼女が家庭で体験した信仰の対立

寄稿家:ヂョン・フイ(ミャンマー)

信仰により一体であった家族

私の父は牧師で、地元では有名でした。彼は説教をすることや、病人を治すこと、そして悪霊を追い払う面で才能に恵まれており、皆が彼を尊敬していました。私はこういったことが出来る父を誇りに思っていました。父の息子と娘である私たちもまた、父の指導を通じて主を信仰し、私の5番目の弟も教会の牧師になりました。私の家族は主の愛情の中で平和に暮らしていました。

2015年12月、私は仕事で地元を離れていた間に終わりの日の全能神の働きを受け入れました。私は主イエス様の再臨をお迎えできることに興奮しました。当時、私は仕事以外の時間を全て兄弟姉妹との集会および福音の伝導活動に注いでいました。私は興奮していたと同時に、主がもう一度受肉されたという良い知らせを父、弟たち、そして地元の兄弟姉妹たちに伝えて、彼らも出来るだけ早く主の再臨をお迎えできるようになることを切望しました。

「そして家の者が、その人の敵となるであろう」 の意味を理解する

私は、終わりの日の全能神の働きを受け入れたと言ったら家族全員から反対されるとは思ってもいませんでした。2017年2月、私は兄弟姉妹と共に福音を伝導するため地元に戻りました。しかし、ある日、私がまだ家族に何の伝導もできていない時に、私が神の御言葉の書籍を読んでいるのを私の7番目の弟が目撃し、彼はそれに対して激怒したのです。その後、弟は終わりの日の神の働きを中傷して非難し、神を冒涜する発言までしたのです。私はこれに唖然としてしまい、どう対応すればよいのか分かりませんでした。

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それから、私の伯父も私を叱りつけてこう言いました、「牧師と長老の所に行って、お前が信仰しているこの東方閃電は正しいものなのかどうかを聞いてきなさい。正しいと言えば信仰してもよいが、そうでないならやめておきなさい。」

私は言いました、「これが神の働きであるかどうかは、牧師と長老の確認や否定によって決められることではありません。主イエス様が働きをしに来られた時、祭司長、律法学者、そしてパリサイ人は神殿の中で神に仕え、聖書に精通していたにもかかわらず、主を十字架に磔にしてしまいましたよね?ペテロ、ヨハネ、その他の使徒たちが主イエス様に従ったのは祭司長とパリサイ人の判断を基に決めたことではなくて、神の御声を聞いて、それによって主に気が付いたことが理由でした。だから、私も賢明な処女になって、神の御声を聞く必要があるんです。そうしないと、主をお迎えすることはできないんです。」

7番目の弟が割り込んで、私にこう聞いてきました、「この家族は全員が教会で社会的な役割を担っているし、家族の中には牧師と伝道者だっている。それに、私たちは数世代に渡って指導者の立場に就いてきたんですよ。なのに、お姉さんは家族の伝統的な信仰に背いてしまった。これを父と牧師と長老にどう説明するつもりですか?」私の6番目の弟も7番目の弟と同じ意見でした。

私は言いました、「私たち家族は主の恵みのおかげで、長年に渡って主を信仰してこれました。しかし、今、主は再臨された上に、贖いの働きを土台に終わりの日の新たな働きを開始されています。私は全能神を信仰して主イエス様に背いているわけではありません。ペテロとヨハネが神殿を出て主について行った時も、彼らはヤーウェ神に背いていたわけではなく、むしろ子羊の歩みについて行っただけなのです。彼らは本当に神に忠実な人たちだったのです。私たちは神の新たな働きを探求し、調査するべきで、宗教的な観念に従ったり、年功を掲げているべきではないのです。」私の6番目と7番目の弟はもう私の話を聞くことに嫌気が差していました。彼らは私をとても激しく咎めてきたので、私はこの会話を止めざるを得なくなりました。しかし、私は心の中で神にこう祈りました、「全能神様、私は自分の家族に終わりの日のあなたの働きを証言したかったのですが、自分は真理を知らな過ぎるし、十分な知恵も持っていないので、弟たちの頑固な態度の前に何を言えば良いのか分かりませんでした。どうか、私の心をお静めください、そして私がこの臆病で怖がる気持を乗り越えられるようお助けください。」

私に全く心の変化がない様子を見た伯父は困惑した口調で言いました、「おかしなもんだ、以前はお前がここまで情熱的に主を信仰していたことは一度もなかったのに。どうしてお前の信仰は誰もその気持ちを変えられないほどに強くなったんだ?」

私の6番目の弟は続けて私を脅してきました、「私たちの言うことを聞かずにここで福音を伝導し続けるなら、お姉さんを警察に通報して、お姉さんと東方閃電のお友達を逮捕させますよ。」

私は自分の弟がこんな無情なことを言ったのが信じられませんでした。私はこれに傷つき、惨めな気持ちになりました。そして、私は自分の感情に捕らわれないでいられるように、神にお導きいただくよう祈りを捧げずにはいられませんでした。私は主イエス様のこの御言葉をとてもはっきりと覚えていました、「地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。 わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。 そして家の者が、その人の敵となるであろう。」(マタイによる福音書 10:34-36)私が終わりの日の神の働きを受け入れたがために、弟たちは私を敵とみなし、私を止めて、私に無理やり信仰を止めさせる手段を考え出そうとしていたのです。これは 「そして家の者が、その人の敵となるであろう」 、という主イエス様の御言葉を現実としているのではないでしょうか。私は神に忠実である必要がありました。自分の家族がどのような形で私を止めようとしても、私は頑固たる姿勢で神の証言をする必要があったのです。

心が落ち着いた後、私は神のこの御言葉を思い出しました、「あなたがたはパリサイ人がイエスに逆らったことの根源を知りたいか。あなたがたはパリサイ人の本質を知りたいか。彼らはメシアに関する空想に満ちていた。さらに、彼らはメシアが来ると信じていただけで、いのちの真理を求めなかった。だから今日になっても未だに彼らはメシアを待ち続けている。いのちの道に関して何の認識もなく、真理の道がどのようなものかも知らないからである。これほど愚かで頑固で無知な人々が、神の祝福を得ることなどあり得ようか。彼らがメシアを見ることなどできるだろうか。…これらのパリサイ人は本質的に頑固で、傲慢で、真理に従わなかった。彼らの神への信仰の原則は、『どれほど説教が奥深く、どれほど権威が高かろうとも、あなたがメシアと呼ばれない限り、あなたはキリストではない』というものである。これらの見方は不合理でばかばかしくないであろうか。」私は自分の弟たちと伯父の振る舞いをこの御言葉に照らし合わせてみた時、彼らがパリサイ人と同じように傲慢で、頑なに自分たちの考えに固執していたことに気が付きました。私の言葉がどれだけ真理に適っていても、彼らはそれを受け入れることを拒み、彼らの心は真理を求めてもいませんでした。代わりに、彼らは神の新たな働きに抵抗し、非難を向けているだったのです。これはパリサイ人と全く同じではないでしょうか?私は彼らについて神に抵抗する誤った道を歩むわけにはいきませんでした。これに気が付いた時、私は神への信仰を再度確認したのです。

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