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職場の問題を解決する-お酒を諦める

私たちの生活において、人々はお酒なしでは生きられないことが多々あります:人は他人から助けを求める時は、彼らをおごって一緒にお酒を飲む必要があります。部下が上司と食事をする時、彼らはお酒を飲む必要があります。友人と親戚たちもお互いの良い関係を保つためにお酒を飲みます。お酒は私たちの生活と仕事においてほぼ必需品であると言えるでしょう。

「酒を飲まなければ人生が無駄になる」や「酒を飲まなけれは将来性は見込めない」という諺すらあるほどです。私は大人になった後、町に働きに出ました。次第に、私は次のことを知りました:「人は他の人たちから助けが欲しければ、彼らに夕食をおごってプレゼントを渡す必要がある。彼らは食事とお酒に満足してくれれば、期待通りに動いてくれる。」

酒を飲む,人間関係,神の恵み

私の伯父はある会社のマネージャーをしていました。一度、彼に仕事を見つけるのを手伝ってもらおうと、私は両親と一緒に彼の家を訪れたことがありました。私たちが食事をしていた時、彼はお酒を取り出して私に一緒に飲もうと言ってきました。実は、私はお酒を全く飲まないし、アルコールの匂いを嗅ぐだけで気分が悪くなっていたのです。私が少しだけ飲んだのを見た彼はこう説得してきました、「お前は仕事をしに行くのに、酒を飲まなくていいわけないだろう?将来出張に行くとき、お前が酒を飲まなかったら他の人たちの顔が立たないだろ。そうしたらお前は彼らの心を傷つけることになる。後で酒を飲む練習をしないとな。考えてみろ、今日の俺があるのは全て酒を飲んで他の人たちとの関係を維持してきたからだ。」彼の説得を受けながら、私は嫌々コップを飲み干しました。

後に、私は機械製造会社で働くようになりました。それから間もなく、私たちはマネージャーから夕食に誘われました。私の同僚がこう言いました、「マネージャーは特に酒好きだから、これは私たちが認めてもらういいチャンスだ。」これを聞いた私はこう思いました、「私は大してお酒が飲めないのに。でもマネージャーと一緒に飲まなかったら彼は私のことをどう思うだろう?」私たちが食事をしようとしていた時、まだ全員が座ってもいないのに、ある同僚が私たち全員のジョッキをリキュールでいっぱいにしました。私の他の同僚が小声で私にこう言いました、「今日はマネージャーのおごりだから。彼の面目を立てないといけないよ。飲めないんだったら、ちびちび飲んでたらいいよ。」その後、全員が私たちのマネージャーと乾杯しました。私は飲んでいなかったので、マネージャーが先に飲んで私と乾杯してくれましたが、私はとても恥ずかしくなりました。私は飲まないと彼が不満になることを恐れたので、嫌々ながら一口飲むしかありませんでした。

次の瞬間、私の同僚が私と乾杯しにやってきました。またその次の瞬間、他の同僚が乾杯しになってきました。全員と乾杯した後、私は頭痛がするようになり、ほっぺがとても熱くなっていました。私はなんとかコップに入っていたリキュールを飲み干しました。その瞬間、ある同僚がまた私にリキュールをつごうとしました。私はコップを手でふさいで飲むことをきっぱりと拒否しました。しかし、他の同僚がこう言いました、「全員飲むんだよ。どうしてお前は飲まないんだ?酒を飲まないと人生が無駄になるぞ。俺たちはいい友達なら、一緒に一気飲みする。言葉を交わす程度の友達なら、酒はたださっと一口飲むだけ。俺たちに深い友情があるなら、いくら飲んでも飲み足らない。さあ、飲むかどうかはお前次第だ。」彼はこう言った後、私のコップにビールをつぎました。その時、私はもう断ることができませんでした。しかし、私は一口飲んだとたん吐き気がしました。私はそれを無理やり抑えながらトイレに走りました。私は数回吐こうとしましたが、何も出てきませんでした。なので、私は指を喉に差し込むと吐くことができました。私はお腹が空になるまで吐き、とても惨めな気分になりました。私がトイレを出ると、私の同僚たちは全員酔っぱらっていましたが、それでもまだ乾杯していました。私はこう思いました、「マネージャーの機嫌を取るために、この人たちは体を痛めつけてでも我慢してお酒を飲んでいる。でも私はお酒を飲まないから、私が将来成長する見込みはないとマネージャーに思われてしまうのだろうか?」こうして、私は自分のコップに残っていたビールを無理やり飲み干しました。。。

その後すぐ、私たちの部署の部門リーダーが仕事でミスを犯し、会社がクライアントに10万元以上の補償金を支払うことになりました。従って、会社は彼を解雇するつもりでした。しかし、彼は頻繁にマネージャーと一緒にお酒を飲んでいたので、マネージャーとはとても良い関係にありました。従って、マネージャーは彼がこの問題を解決するのを手伝い、会社側もただ彼の職務内容に調整を加えただけでした。私はこう思いました、「彼は本当に大きなミスを犯したのに、マネージャーは彼がそれを解決する手助けまでした。この'人間関係'というのは極めて大切だ。どうやら私はお酒を飲む練習をきっちりと行うする必要があるみたいだ。お酒が飲めなければ私は何の将来性も見込めない!」私はお酒をもっと飲めるようになろうと、仕事の後にスーパーマーケットに行って赤ワインを1ケース購入し、毎晩それを少しずつ飲むことにしました。私は、「こうやってしばらく練習すれば、もっとお酒が飲めるようになるだろう。そうしたら、次回みんなとお酒を飲む時はそんなに苦しまないで済む」、と思いました。

一度、私の同僚が電話で夕食に行こうと誘ってきました。彼はマネージャーも来ているからそこに早く行くようにと私に言いました。お酒を飲むテーブルで、私は自発的にマネージャーと乾杯し、彼は満足気に頷きました。そして私は小型のグラスに入ったリキュールを飲みました。私の胃はむかむかしましたが、私は心の中でとても嬉しくなりました。その後、私たちは繰り返し乾杯し、私はどれだけ飲んだか分からなくなっていました。彼らと別れた後、私は自転車に乗って遠くに出ることなく我慢できず吐き出しました、家に帰る道中でまた吐きました。帰宅してからもまた吐きました。お腹は空っぽになった感じがして、私はかなり目眩がしました。私はベッドに倒れ込み、寝返りを打っても寝られず、こう考えました、「私はまだ若いけど、このまま飲み続けたら健康を崩してしまわないだろうか?私はまるでお酒を飲んで他の人たちとの関係を保つゲームをしているかのように自分の体を扱ってしまっている。これは正に苦しみ以外の何でもないじゃないか!私は彼らの言う通りにお酒を飲まないと、本当に大した将来を手にすることができないのだろうか?」

後に、私は神の福音を受け入れ、神のこの御言葉を見にしました:「ひどく汚れた国に生まれ合わせて、人は社会に駄目にされ、封建的倫理の影響を受け、『高等教育機関』で教えを受けてきた。後ろ向きの考え方、堕落した倫理観、さもしい人生観、卑劣な哲学、全く価値のない存在、下劣な生活様式と習慣──これらはすべて人の心をひどく侵害し、その良心をひどくむしばみ、攻撃してきた…こうした社会動向は、心身の健全さが欠如し、真理とは何かを知らず、肯定的なものと否定的なものの判断が出来ない人間に、そうしたサタンに由来する社会動向や人生観、人生哲学、価値観を、次々と進んで受け入れさせる。この種の人々は、どのような人生を送るべきかに関してサタンが述べた言葉や、サタンにより『授けられた』生活の道を受け入れる。この種の人々には強さ、能力、またことさらに拒否する意識が欠乏している。」

神の御言葉を通じて私を覚まし、自分は常に「酒を飲まなければ人生が無駄になる」や「酒を飲まなけれは将来性は見込めない」といった誤った考え方の影響を受け、お酒は他の人たちとの関係を保つために極めて重要な保証であると思っていたのです。それ故に、私は素晴らしい将来を手にしようとお酒を使ってマネージャーを喜ばせて彼に給与を上げてもらい、私を昇進してもらおうと思い、自分のレベルを上げるためにどのような努力しようかということは考えていなかったのです。私は同僚、親戚、そして友人たちと良い関係を築くために無理やりお酒を飲み、完全に疲れ果ててしまうほど自らを痛めつけていたのです。私はお酒を飲むことがもたらしたのは苦しみ意外の何でもないことは分かっており、とても止めたかったのですが、他の人たちからのけ者にされたり、見下されるのを恐れていたのです。今、私は自分が苦しい思いをしていたのは全てサタンの思考と考え方に拘束されて、増々体力を消耗していくような生活をするよう仕向けられていたからであったことが分かりました。私はこう思いました:「私の周りにいる人たちの多くは胃出血を起こしてでもリーダーにごまをすったり、顧客と商談したり、友人の気持ちを傷つけないようにしている」。さらに、彼らは、'お互いに深い愛情を持っているなら、胃から出血しても構わない'、'私たちの心を傷つけるくらいなら体を傷つけた方がましだ' そして'私たちの関係を壊してしまうくらいなら酒を飲んで胃穿孔を起こした方がましだ' 等ということを口にします。これら全ては、サタンが私たちに「与える」生き方は邪悪であり、私たちを傷つけ、没落させるだけであることをよりはっきりと示しているのです。神の御言葉は私にこう決意させてくださりました:「私はもうこれまでのサタンの人生観に頼って自らを痛めつけるのは止めます。」

一度、私たちの会社のスタッフは祝日で休みの時がありました。私たちの部署の部門リーダーが私に電話をしてきてこう言いました、「今日は部門のメンバー全員が休みだなんて本当に素晴らしい。みんな出て来て軽く飲んでるんだ。みんな来てるのに、お前だけが来ていないじゃないか。出来るだけ早く来てくれよ。みんなで待ってるからな。」この言葉を聞いた私は心の中でこう思いました、「私はもう飲まないって決めたんだ。でも、行かないとはっきり言ってしまったら、部門リーダーは間違いなく不満になって、私は彼の面目を潰していると感じるだろう。でも彼らの言う通りにしたら、私は飲んだ後に苦しい思いをすることになる。一体どうするべきなんだろう?」そして、私は心の中で神に祈りを捧げ、私がこれまでのサタンの考えと観点を指針にして生きて行かなくてもいいように、自信と力を与えてくださるよう請いました。そして、私は彼にこう言いました、「最近私は仕事で少し疲れているので、ちゃんと体を休めたいんですよ。なので、今日は遠慮しておきます。」私の言葉を聞いた彼はがっかりしてこう言いました、「了解、でも今度飲み会をする時は、絶対来てくれよ!」

酒を飲む,人間関係,神の恵み

電話を切った後、依然として落ち着かず、心配だった私は心の中でこう考えました、「今回は飲みに行かなくて済んだけど、次回また彼らは飲みに行こうと誘ってくるだろう。彼らと一緒に行くのをいつも断っていたら、私は彼らの面目を潰していると思われないだろうか?彼らは私のことをどう思うだろう?でも、行ってしまったら依然として酒を飲むことの苦しみから抜け出せないでいることになってしまう。」従って、私は神に祈りを捧げ、自分の心の中の考えを伝え、私を御導きくださるよう請いました。後に、私は神のこの御言葉を目にしました、「神との正常な関係を持たなければ、あなたが他の人たちとの人間関係を維持するために何をしようとも、また、そのためにいかに励み、いかに多くの労力を費やしたとしても、それは依然として人間の人生哲学に属するものであろう。あなたは、人々が自分を賞讃するように、人間の観点と哲学により、人々の間で自らの地位を維持している。あなたは、神の言葉に従って人々との正常な関係を確立してはいない。もしあなたが、人々との関係に重点を置かず、神との正常な関係を維持し、自らの心を進んで神に捧げ、神に従うことを学んだならば、全ての人々との関係も極めて自然に正常なものとなるであろう。…正常な人間関係は、自らの心を神に捧げることを基礎として成り立つのであって、人間の努力によって達成されるものではない。神なしでは、人々の間の関係は単なる肉の関係である。そうした関係は正常ではなく、情欲に耽溺することであり――それは神が嫌悪し、忌み嫌う関係である。」私は神の御言葉を受けてこう理解しました:「人々の関係は神の御言葉を実践することを土台に確立しています。それはお酒を飲んで維持することはできません。過去、私は昇給と昇格を手にしようと、常にお酒を飲むことを利用して同僚やマネージャーたちとの関係を維持したがっていました。しかし、私はその関係を維持すればするほど、増々疲れていきました。私は昇格できなかっただけでなく、沢山苦しい思いをしました。今、私は神を信じているので、物事を神の御言葉に従って捉え、神と適切な関係を築くべきなのです。それい、人々の関係はお酒を飲んで維持されているものではありません。人々がお互いに良い関係を持てていれば、それは一緒にお酒を飲まなくても変わらず良い関係になります。良い関係でなければ、一緒にお酒を飲んでも、悪い関係のままです。他人からどう見られようとも、私の全ては神の御手にあり、誰もそれを変えることはできないのです。」私は神の御心を理解したら、心が安心しました。

翌日、私が仕事に行くと、皆は普段通りに挨拶してくれ、部門リーダーも私に怒ってはいませんでした。全てが普段通りに行きました。私は心の中で嬉しくなり、神の言葉に従って実践したから想像していたように皆から見下されるようなことにならなくて済んだと感じました。このようなことが数回あった後、皆が私を飲みに誘ってくることはなくなりました。

一度、部門リーダーがまた仕事の後にお酒を飲みに行った後、車の事故を起こして2か月の療養期間を必要としたことがありました。マネージャーは私にこう言いました、「部門リーダーはいつも酒を飲みに行ってたから、仕事にいつも問題があった。それに、彼はたまに残業をした後ですら酒を飲みに行くことがあった。だから、彼が事故を起こすのは時間の問題だったんだ。お前はあまり酒を飲もうとしないし、物事にも現実的に取り組んでいる。私はお前を部門リーダーに指名する。今後一生懸命働いて、仕事の後、家に帰る道中は気を付けるんだぞ。事故は起こさないようにな。」私は繰り返し頷きました。私はマネージャーとほぼ半年近くお酒を飲んでいなかったことを思い出しました。にもかかわらず、彼は私に部門リーダーの仕事を引き継ぐように頼んできたのです。私はこれにより、人は他の人を夕食に招待したり、プレゼントを贈ったりして一時的な利益を手にすることはできるが、正直な仕事をしていなければ、将来的に周りの人たちの称賛を得ることはできないということを心から学びました。私はまた、神を信じるようになってから、何かを狙ってマネージャーの機嫌を取るのではなく、神の御言葉に従って実践するようになっていたことにも気が付きました。こうすることで、私の心が落ち着いただけでなく、他の人まで心が安らいでいたのです。

神はこう仰ります:「神の本質は聖なるものであるので、あなたは、神によってのみ、人生を通して光ある正しい道を歩むことが可能となり、神によってのみ、人生の意味を知ることが可能となり、神によってのみ、真の人生を送ることが出来るようになり、真理を獲得し、知り、真理からいのちを得ることが出来るようになる。人間が邪悪を回避するのを助け、サタンの危害と支配から人間を救うことが出来るのは、神のみである。神以外に、あなたが苦しまないよう、辛苦の海から救い出すことが出来る人間や物は存在しない。このことは、神の本質により決定される。」その瞬間、私は神のみが人間に対して真の愛を抱いておられるということを更に深く学びました。以前、真理を理解せず、自分の面目と将来の懸念に支配されていた私は、邪悪なトレンドに従うことを嫌がってはいても結局は大衆について行き、苦しい思いをしていたのです。神の御言葉による御啓示と御指導のおかげで、私はサタンの誤った考えによる抑制と束縛から抜け出すことができたのです。今、私は面目と将来の支配力に抵抗し、神の前で生きられるようになりました。マネージャーは私が彼らと一緒に飲みに行かなからといって私を見下さなっただけでなく、むしろ私を信頼して育ててくれたので、私は神の御恵みと祝福を心から感じることができました。

今、私は神の御言葉を頻繁に読み、その理解を兄弟姉妹たちと共有し合うことで多くの真理を理解できているため、邪悪なトレンドから距離を置き、真の愛情の意味を理解できています。現在、私はもう人間関係に悩まされてはいません。代わりに、私は物事を神の御言葉通りに捉え、神の御指導と主権に従うことで真の解放と自由を手にしています。私は神が私を御救いくださったことにとても感謝しています!

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