主は違う御姿で再臨されるのでしょうか

    2019年 03月 07日

    信仰ステーションの兄弟姉妹の皆さんへ:

    お尋ねしたいことがあります。聖書には「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」。(使徒行伝 1:11)、という記述がありますが、主イエス様はユダヤ人の姿でユダヤ人の服装をまといながら天に上られたのだから、再臨される時もユダヤ人の姿で降臨されるものだと私はいつも思っていました。しかし、ある集会の時、説教師はこの預言は主がユダヤ人男性の姿で降臨されるといっているのではなく、私たち人間は預言の奥義を理解することができないため、自分たちの想像を基に再臨される主の御姿がユダヤ人の姿になると決めつけることはできないし、そうしてしまうと私たちは恐らく主をお迎えする機会を逃してしまうと言われたのです。なので、私は今とても困惑しています。主はお戻りになる際はユダヤ人男性の姿で私たちの前に現われるのでしょうか?もし御姿を変えられたら、私たちはどうやって主に気が付いて主の再臨をお迎えすればいいのでしょう?この質問に関して、ご教示いただければ幸いです。

    シーイン

    主は違う御姿で再臨されるのでしょうか

    姉妹イーシン、こんにちわ

    私も以前、主イエス様は再臨される時、以前と変わらずユダヤ人の御姿になられると信じていました。しかし、後に、私は聖書とその他の情報を細かく研究してみると、自分の理解は擁護できるものではないことを知りました。なぜなら、神の御姿は私たちが定義できるものではないからです。誰もが知っての通り、神は律法の時代にしばの中で炎に身を包みながらモーセの前に現われ(出エジプト記3:1-4参照)、主イエス様は、恵みの時代に働きをされていた時、弟子たちの前でその御姿を変えられました。そのことはマタイ17:1-2にこう記されています、「六日ののち、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。」これより、神の御姿は変わることがあり、私たち人間が定義できるものではないことが分かります。

    聖書にこういう記述があります、「神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである。」(ヨハネによる福音書 4:24)。「キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。」(ピリピ人への手紙 2:5-7)。これらの節より、神は霊であり、形を持たず、無定形であることが分かります。神は働きの必要性に応じて、ユダヤの地で人類の罪を贖う段階の働きを行う必要がありました。従って、神は十字架に磔にされる働きをより好適に成就するために、ユダヤの地でユダヤ人のかたちで受肉されました。しかし、私たちは主イエス様の御姿をもって神の御姿を定義して、主イエス様は再臨される時、ユダヤの地におられた時と同じ御姿で来られるという確信に至ってはなりません。もしも、主が再臨される時にその御姿を変えられる場合、ユダヤ人のかたちでないことを理由に主を受け入れることを拒否してしまうと、私たちは携挙される機会を逃してしまいます。こうすることは、聖句の預言を基に、来臨されるメシアが宮殿の中で特別な魅力と、崇高なかたちでお生まれになると決めつけていた過去のパリサイ人と同じです。しかし、主イエス様はその御姿をお見せになり、働きをされた時、普通の人間のかたちをとられました。さらに、主は彼らの観念および想像とは異なる働きをされました。従って、パリサイ人は主イエス様のことをメシアではないと決めつけ、最終的には主を十字架に釘付けにして神を怒らせてしまったのです。パリサイ人の犯した失敗を知る私たちは、自分たちの観念と想像によって再臨される主のかたちを定義してはいけないのです。

    今は主イエス様の来臨をお迎えする重大な時です。主が再臨される時にそのかたちを変えられるとしたら、私たちはどうやって主に気が付いて、主をお迎えすればよいのでしょうか?主イエス様が以前働きをするために来臨された時、主に従っていた弟子と信者たちは、主の御言葉と働きによって主がメシアの再臨、キリスト様であられることに気が付いたのです。それはヨハネによる福音書1:47-49にこう書かれています、「イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた、『見よ、あの人こそ、ほんとうのイスラエル人である。その心には偽りがない』。ナタナエルは言った、『どうしてわたしをご存じなのですか』。イエスは答えて言われた、『ピリポがあなたを呼ぶ前に、わたしはあなたが、いちじくの木の下にいるのを見た』。ナタナエルは答えた、『先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です』。」 最初、ナタナエルは主イエス様がメシアだとは信じていませんでしたが、主イエス様がいちじくの木の下で彼が言ったことを知っていると言った時、彼は主イエス様がメシアの来臨であることに気が付き、主に従うようになりました。他の例としてサマリア人の女を挙げましょう。彼女も最初は主イエス様がメシアの来臨だとは知りませんでした。しかし、夫が五人もいるという彼女の秘密を主が暴露された時、人間の心の一番奥深い所までお調べになるのは神だけだということを知っていた彼女は、すかさず主イエス様がメシアだということに気が付きました。ペテロ、ヨハネ、マタイ、そしてマルコといった人たち全員が主イエス様はメシアであるということを主の教えの内容から気が付き、その結果、主に従うようになり、主の救いを得ることができたのです。

    主の再臨について、聖書には以下のような預言がたくさん書かれています、「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。」(ヨハネによる福音書 16:12-13)。「わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。」(ヨハネによる福音書 10:27)。「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」(ヨハネの黙示録 3:20)。これに加え、ヨハネの黙示録にはこの預言もあります、「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。」(ヨハネの黙示録 2:29)。 これらの預言から、神は終わりの日に現れて働きをされる時、御言葉を話されるということが分かります。神の羊は神の御声を聞き、主をお迎えに出ることができるので、神の御前に引き上げられていきます。主イエス様はかつてこう仰りました、「夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。」(マタイによる福音書 25:6)。私たちは主が再臨される時、どのようにして私たちの戸を叩かれるかは分かりません。私たちは神の御声を教会の兄弟姉妹たちから、または福音を宣教しに来る親戚や友人たちから、またはインターネットやその他の場所から聞いて、全ての教会に向けられる神の御言葉を知ることになるのかもしれません。しかし、主がどのような形で私たちの戸を叩かれようと、それが私たちの観念と想像に合っていてもいなくても、私たちは賢い乙女となり、虚心に神の御言葉を求め、調べ、それに耳を傾けなければなりません。神は間違いなく、私たちが神の御言葉から神の御声を認識し、そして主の再臨をお迎えできるように私たちをお導きくださると、私は信じています。

    信仰ステーション

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