メニュー

福音とは何か。なぜ福音を宣べ伝えるべきか

「福音」とは、「よい知らせ」のことです。イザヤ書第61章1節にこう書かれています。「主はわたしに油を注ぎ、主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして貧しい人によい知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由を、つながれている人には解放を告知させるために」

福音というと、コリントの信徒への手紙二第1章10節に「神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています」と書いてあるのを思い出します。この節から、わたしたちは神が三度人類を死の危険から救ってくださることが分かりました。旧約聖書にはこのことが記されています。アダム、エバが善悪の知識の木の果実を食べて、サタンに腐敗させられた後、人類は死亡に直面するようになりました。そこで、神は人類を救う仕事を始められました。一回目の救いは、ヤーウェ神によってもたらされたのです。当時のイスラエル人は衣食住、交通手段について分かっているだけで、生活常識をわきまえず、またヤーウェがどういう神か、どのように神を礼拝すべきかを知りませんでした。神が人類を導かないなら、全人類は神を礼拝せず、偶像を礼拝し、どのように正常な人性における生活を送るべきか知らないため、淫乱、腐敗の中に生きるようになり、しかも世界はサタンに踏みにじられる地になります。そうなったら、全人類は神に懲罰されて、烏有に帰します。だから、神はモーセを使って、イスラエル人をエジプトから導き出された後、モーセを通して律法、戒めを発布し、生まれたばかりの人類の地上での生活を正式に導き、人に厳格に律法を守ったり、神を礼拝し、神をあがめることを学んだりするように要求されました。神が律法、戒めを発布しなかったなら、当時の人類はどのように生活すべきか、全然分かりませんでした。人がヤーウェの律法を守ったら、神の祝福が彼に伴います。だれかが律法を犯したら、石で打ち殺され、或いは天の火によって焼き殺されます。だから、律法の下のイスラエル人はみな律法を厳守し、ヤーウェ神の御名を聖としました。そのため、彼らはヤーウェ神の祝福を得ました。イスラエル人はまたヤーウェ神の福音を、イスラエル人以外のあらゆる国と部族に宣べ伝えました。福音を受け入れた人たちはヤーウェ神の祝福を得ましたが、福音を受け入れなかった人たちはヤーウェ神の祝福を得られませんでした。

律法の時代の末期、人がますます腐敗したので、人の罪悪がますます多くなり、人がもはや律法を守れなくなり、あらゆる人はいつでも律法を犯して死刑にされるという危険に直面していました。神は人類を愛し、自らの手で造られた人類がこのようにサタンの権威の下に死ぬのを見るに忍びなかったので、自ら受肉して地上に来て働き、人を救われました。最終的に、彼は十字架につけられて、全人類の罪祭になり、人をサタンの手の中から贖い出されました。それ以後、人類は主イエス・キリストを救い主として受け入れたことによって、罪の赦しを得ました。これは天の国の福音です。マタイによる福音書第9章35節に書いてあるように、「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた」。主イエスによってもたらされた天の国の福音を受け入れたすべての人は罪の赦しを得ました。しかも、彼らが「主イエス」という御名を呼び求めさえすれば、豊かな恵みを得られます。例えば、盲人が見えるようになったり、足の不自由な人が歩けるようになるなどです。しかし、主イエスの福音を拒絶した人たちは永遠に罪の赦しを得ることができず、また主イエスから与えられる豊かな恵みを得ることができません。今、主イエスの福音はもう地の果てにまで宣べ伝えられました。多くの人はすでに天の国の福音を得ました。

わたしたちが主イエスに贖い戻されて、罪の赦しを得ましたが、わたしたちの内側の罪の性質は依然として存在しています。そのため、わたしたちは常に罪を犯し、完全には神に得られていません。腐敗した人類はただ罪の赦しという救いを得、まだきよくならず、まだ神の国に入ることができません。ヘブライ人への手紙第9章28節に「キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです」と書いてあります。ヨハネの黙示録第14章6節に「わたしはまた、別の天使が空高く飛ぶのを見た。この天使は、地上に住む人々、あらゆる国民、種族、言葉の違う民、民族に告げ知らせるために、永遠の福音を携えて来て」と書いてあります。この中から分かりますが、イエスに贖い戻された人は神から来た永遠の福音、神の二回目の救いを得てこそ、罪を犯すという本性から徹底的に解放し、神によって天の国に導き入れられ、永遠の命を得ることができます。これで分かるように、世の終わりの永遠の福音を得ることは、真心をもって主を信じ、主の再来を待ち望むすべての兄弟姉妹にとって極めて重要です。他人がわたしたちに福音を伝える時、わたしたちは慎重に扱い、多く探究し、調べなければならず、盲目的に結論を下してはなりません。それは、最後の永遠の福音を失うことがなく、ふとした心得違いをして悔いを千載に残すことがないためです。わたしたちすべてが多く目を覚まして祈るよう願っています!

コメントを残す